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樹の散歩道
        松のある風景


 松、とりわけアカマツとクロマツはいかにも日本の原風景を形成する要素となっていて、白砂青松を織りなし、人々の生活と密着した里山の二次林を形成し、多くの格式高い庭園の主木をなし、東海道その他地域で松並木、松林として街道や海岸の景観を形成するなど、古くから人々に親しまれ、大切にされてきた。また、デザインの素材としても多用され、小さいものでは松をデザイン化した多くの家紋があり、大きいものでは障壁画として、さらには能楽堂の鏡板には実に大胆な構図の老松が描かれているのを目にすることができる。
 松はまた古くからの生活習慣とも密接な係わりがある。元々は中国文化の影響に由来するものといわれるが、日本人にとってはごく普通の新年、慶事の心落ち着く演出の素材ともなっている。【2011.7】
 


   以下に写真を中心に、目にした松が主役をなす風情を感じる美しい風景を並べてみる。
   
 1  能楽堂   
   
 
セルリアンタワー能楽堂本舞台 
   
 


部分拡大写真
 能楽堂の鏡板には必ず1本の老松が描かれている。その形態については特段の拘束はないから、松の枝振りは庭園の松を造り上げる庭師よりも自由な画家の想像力に委ねられている。
 この能楽堂は平成2001年5月に開設さられたもので、ヒノキの新鮮な白木と松の葉の鮮やかな緑色がまぶしいほどである。松絵は日本画家 仁志出高福(にしでこうふく)の手によるものである。松絵に関しては、「一説には能の前身である猿楽が、草創当時に自然の松を背景あるいは境域として行っていた名残とされ、また一説には、奈良春日神社の一の鳥居脇にある影向の松の下で演能した事蹟を写したとしています。(セルリアンタワー能楽堂チラシ)」とする説明例がある。

 屋内ではあるが、屋根は檜皮葺となっている。松葉の鮮やかな緑色については一般に孔雀石(マラカイト)から製される松葉緑青(まつばろくしょう)の名の顔料(岩絵具)に由来するとの説明事例を目にした。

セルリアンタワー 能楽堂
  東京都渋谷区桜丘町26-1ーB2
   
 2  新宿御苑の多行松(タギョウショウ) 
   
 
 管理不行き届きの多行松はボサボサになって見苦しいが、キッチリ手入れされた多行松はこうして実に美しい。ただし、型に変化を付けることは難しく、皆同じような印象となってしまうため、庭園にあっては主木にはなれないが、個性ある形態は庭園、公園の効果的なアクセントとなる。多行松はすべて赤松である。

新宿御苑
  東京都新宿区内藤町11番地
   
 3  気比の松原
   
 
 福井森林管理署が管理する国有林で、アカマツクロマツ及びこれらの交雑種で構成されている。美しい松林は日本の白砂青松100選(日本の松の緑を守る会選定)にも入っているが、マツ材線虫病の被害からは免れることが困難で、毎年発生する被害木を処理する一方で、後継マツの植栽もされているなど、見えない努力に支えられている。

気比の松原(けひのまつばら)
  福井県敦賀市松島町
 
   
 4  皇居外苑の黒松 
   
 
  皇室苑地が国民公園として解放されたものて、現在環境省が管理している。穏やかな天気の時は、芝生でゴロゴロしている日本国民の姿を見るほか、外国人の観光客も多い。ゆとりある空間の黒松が皇居とビル群の緩衝帯を形成するとともに、格式と落ち着きを演出している。

皇居外苑
  東京都千代田区皇居外苑 1-1
 
   
 5   兼六園の根上松(ねあがりまつ)
   
 
   
   説明板には「十三代藩主前田斉泰(なりやす)(1822〜1866)が、稚松を高い盛土にお手植えし徐々に土を除いて根をあらわしたものと伝えられる。」とある。クロマツである。自然状態では腐朽した倒木上に木が芽生えて大きく育ち、後に倒木が消失して結果根上がり状態となる事例(倒木更新)は知られているが、こちらは人の手によるものということである。なかなか力強い姿である。

兼六園
  石川県金沢市兼六町1番
 
   
 6  浜離宮恩賜庭園 「三百年の松」 
   
 
 説明板には「およそ300年前の宝永6年(1709)6代将軍徳川家宣が、この庭園を大改修した(その時から「浜御殿」と改称された)ときに植えられたと伝えられており、その偉業を表現するような雄姿は昔時をしのばせるもので、都内では最大級の黒松であります。」とある。太い枝がくねくねと大きく広がり、全体の構図が捉え難いほどである。

浜離宮恩賜庭園
 
東京都中央区浜離宮庭園
   
 7  万博記念公園の名木 黒松  
   
 
   
   説明板には「この名木は、福岡県久留米市から移植されました。この休憩所の階段前からは、背景の築山と名木の松が大きな額縁に入った名画として鑑賞頂くことができます。」とある。丁寧に手入れされていることがよくわかる。年間何人工を要しているのか、参考に知りたいものである。黒松である。

万博記念公園
  大阪府吹田市千里万博公園
   
 8   栗林公園のお手植松
   
 
 説明板には次のようにある。

 「前に並んでいる背丈の高い5本の松は、次の方々がご来園賜ったときに記念したお手植えになられた松です。向かって右から

 秩父宮殿下(大正3年)
 高松宮殿下(大正3年)
 エドワード・アルバート王太子殿下(大正11年)
 良子女王殿下(大正12年)
 北白川大妃殿下(大正14年)


 いずれも黒松である。

栗林公園
  香川県高松市栗林町1丁目20−16
   
 9  霧島松  
   
 
 霧島国有林内のアカマツを銘柄化して販売するための呼称に由来する。霧島連山を中心とした広大な地域に産するもので、宮崎、鹿児島両県にまたがる国有林、民有林内の自生アカマツで、樹齢200年以上のものを銘木としていた。関西方面では霧島地方のマツを「日向松」と呼んでいたのが全国的に広がり、一般に霧島松を日向松と呼称する習慣が定着した。近年大木は減少し、ほとんど生産されていない。材の特徴は以下のとおり。
@通直、完満で、枝下高が長く、節が少ない。
A赤味が多く、年輪が揃っていて、色はピンクがかり、良材は拭き込むと光沢が出て、関西方面では上品なマツ材として賞味された。(銘木史:銘木史編集委員会(S61.2.20,全国銘木連合会))
   
10  アカマツとクロマツの樹皮の表情
   
 
アカマツ大径木の樹皮
 
クロマツ大径木の樹皮
 
    こうして並べて改めて見比べてみると、それぞれの個性と質感・色彩の魅力を感じる。
   
11  松の家紋
   
   松をデザインの素材とした家紋を改めてみると、実に多様で、幹、枝、葉、球果のそれぞれが使用されていることがわかる。一部を紹介すれば以下のとおりである。
 
 
一つ松 三つ重ね松 三つ松 櫛松 抱き若松
 三つ割り若松  丸に立ち若松  松葉菱  三つ追い松葉  抱き松葉に松笠

 出典:悟桐書院 日本家紋大図鑑(2002.3)  
   
12  南部せんべい 
   
   南部せんべいのデザインは、表が菊水裏が三階松の紋が入ったものが典型で、その他裏に文字の入ったもの、両面とも無地のもの等のバリエーションが見られる。産地は岩手県の二戸市、盛岡市、青森県八戸市等のほか、不思議なことに北海道札幌市産のものも存在する。 
   
 
 菊水三階松の紋の使用の由来に関しては諸説あるとされ、商品のパッケージにも紹介されていることもあるが、本当のことは製造者はもとより、だれにもわかっていない点が実によい。要は昔からこの伝統の文様の型を使用して焼いているということが肝心な点である。 
菊水の紋(表) 三階松の紋(裏)   
   
  <参考>文字入りの例 
 
 ところで、何の縁もゆかりもない北海道の地で「南部煎餅」の呼称を使用した製品が作られているのは実におもしろい。しかも、写真のように「八戸名物」の文字入りである。北海道で「きび団子」が作られている(こちらを参照)のと共通する「北の大地の細かいことにはこだわらないおおらかな体質」が反映しているようである。 

(注)南部煎餅」、「南部せんべい」の語自体は登録商標となっていない。
岩手県盛岡市産  北海道札幌市産   
   
 
   
   庭園の松の手入れをしている風景はしばしば見かけるが、脚立を立てて二人がかりで黙々とみどりを摘み、あるいはもみあげする姿は、根気を必要とする労働に伴う苦痛の感覚を超えた修行僧の心境を連想してしまう。しかし、よく考えてみると本当のところはやや違うのかもしれない。広大な庭園に多数植栽された松や皇居外苑の遙か彼方まで続く多数の松は、庭園業者、庭師にとっては伝統的な仕事を生み出す貴重な場であることは間違いない。個人宅ではかつての庭石ブームはとうの昔に去り、維持管理に金のかかる松は敬遠されているのではないかと思われる。庭師が定期的に、一定期間張り付いて庭の手入れをする風景は限られているから、主たる仕事は街路樹や公的空間の樹木管理等が主になっているのかもしれない。こうした状況の変化の中で、本来の庭木手入れの典型たる松の剪定等の仕事に当たる際の心境は、決して修行僧のものではなく、もはや松の存在にひたすら感謝し、松にひれ伏す敬虔なる信徒のものであるに違いない。


<松に関連したサイト内記事リンク>

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お化け松%o場