木の雑記帳 鎧松(ヨロイマツ)とは何か
鎧松(ヨロイマツ)の名のマツが存在する。かつては日本各地に全国で名をはせた赤松や黒松の著名な銘木が高値で取引され、現在では名前だけが伝説として語り継がれているが、こうした中には鎧松の名のマツは存在しない。その理由は、地域でわずかな数量の産出量に止まり、知る人の間では銘木的な高い評価があったものの、広く知れ渡ることもなく、資源の先細りとともに消えゆく運命をたどったもののようである。【2010.4】 |
「鎧」は「よろい」と読む。ついでに、漢字の勉強を兼ねて並べてみると、 「鐙」は実によく似ているが「あぶみ」。 「鑓」は「やり」で、 「鏑」は「かぶら」である。 こうした漢字は最近は手書きされることのない「パソコン依存漢字」となっている。 |
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さて、まずは鎧松(鎧マツ、ヨロイマツ)がどんなものなのかについてである。 ヨロイの呼称が使われているのはその樹皮の外観によるものとされる。マツの枝の出方は、輪生枝といって、同じ高さで放射状に枝を出すことからこう呼ばれるが、この輪生枝は樹の成長とともに下方の部位のものは枯れ上がって普通は枝の痕跡が消えて平滑になってしまう。しかし、鎧マツでは樹が大きく成長しても、輪生枝の部位の竹の節のような形状が残り、この部分の樹皮が鎧の草摺(くさずり:鎧の胴に付属したスカートのように広がって垂れた部分で、大腿部を被護するもの。)のように下向きにやや浮き上がった状態を呈するという。 単に樹皮の外観に特徴があるだけでは銘木扱いはされないが、この樹を製材すると、板目面で美しい複雑な杢目が現れるというものである。 |
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(鎧マツが分布した地域) 鎧マツの特性を示したものはアカマツとクロマツ、さらに両者の交雑種であるアイノコマツと思われる個体でも見られたとされ、島根県大田市大屋町一帯で点在、自生していたといわれている。島根県の調査では、鎧マツがかつては太田市西部の大屋町を中心に、東は簸川郡境から、西は邇摩郡仁摩町まで点状に分布していたことを推定している。 |
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(近年の自生木の状況) 既に自生はないと思われていた中で、大田市の行政区域内で平成5年に1本、さらに平成8年に2本の鎧マツ(いずれもアカマツ)が相次いで発見され、その後に鎧マツと思われる別の個体の存在も確認されている。 (注)平成19年に、平成8年に発見されたもののうちの1本が枯損したという。 |
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(増殖の取組み状況) 自生木の発見を機に、地元の林業関係者の間で貴重な遺伝資源の保存・増殖に向けた機運が高まり、林業研究グループである大田市林友会がつぎ木による遺伝子保存、増殖活動を継続的に実施している。松くい虫被害から無縁であり続けることは困難であるが、将来につなげる取組みとしてしばしば話題を提供している。 これとは別に、国のジーンバンクの一翼を担っている関西育種場(岡山県勝央町)の取組として、鎧マツの実生系統を鳥取県国府町の事業地で保存してきた経過がある。台帳上は、町名から「大屋アカマツ」、「大屋クロマツ」と称していて、前者が1本、後者が4本存在していた。30年生ほどのものであったというが、ダム工事に伴う代替補償用地として転用されることとなって、やむなく伐採するに至り、現在はこれらから接ぎ木増殖したものが別の事業地に保存されている。関西育種場には先の大田市林友会が増殖した3系統の鎧マツも併せて保存されている。 |
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<参考資料>
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<参考メモ1> ヨロイスギ(鎧スギ、鎧杉)とは? 鎧マツならぬ「ヨロイスギ」が存在する。南米チリ等原産の「チリマツ」の国内での別名である。危うく「鎧マツ」として同じ名前になった可能性も感じる。
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<参考メモ2> ほかにもチリマツが・・・ 紛らわしいことに、別のチリマツ(チリ松、チリーマツ)が存在する。 米国原産のラジアータマツを指す場合があり、これが世界各地で広く植栽されていて、輸入材について、輸出国の名前をとって慣用的に業界用語としてニュージーランドマツ、ニュージーマツ、チリマツ(チリ松、チリーマツ)の名を見る。
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