木の雑記帳
松の行方
消えゆくアカマツとクロマツの風景
松くい虫によるマツ枯れの風景は、すでに北海道を除く日本の風景と化した感がある。被害がピークに達した昭和54年度以降は、被害エリアの拡大はあるものの被害量自体は減少傾向にあるという。ただし、これについては、マツそのものが減ってしまったことによる結果にほかならないとの見方がある。 こうして日本の原風景を形成してきたアカマツ、クロマツは確実に減少している。先行きどうなるのであろうか。これによる影響は・・・ 【2008.9】 |
松くい虫被害はマツノザイセンチュウによるもので、その線虫をマツノマダラカミキリが媒介することは明らかになっているが、わからないことが色々ある。 宮脇 昭はその著「日本植生誌」で、人為的干渉から隔離されたところでは被害がないことに着目し、人間活動の何らかの影響の可能性を示唆している。しかし、被害は低海抜高から拡大していることから、これはマツノマダラカミキリの生態に由来(通常の生息域からの拡大)するものとの見方もある。 マツ枯れの材は自ずと含水率が低下して脂(やに)も形成されない状態となる。さらに材質が低下し、使い物にならなくなることが知られているが、マツ枯れ自体のメカニズムと合わせて材質劣化のプロセスは明かでなく、複合的な要因の可能性も指摘されている。 マツ枯れは何らかの外的条件(乾燥、高温など)によるストレスで発症が促進されることが知られているが、この詳細も明かではない。 山間部の高速道路沿いでしばしば著しい被害が見られる一方で、同程度の海抜高の隣接する谷で被害の有無が明確に分かれている例もしばしば見られるという。 以上のように、マツ枯れ現象にも謎が多い。 まずは、ヒトと松の関わりとして、身近な利用事例を概観してみたい。 |
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1 | 備前焼の薪(割り木) 焼き物の窯ではアカマツの割り木が広く使われてきたところであるが、特に岡山県の備前焼ではこのこだわりが強く、アカマツ割り木の県内での調達条件が厳しくなった中では県外からも広く調達に努めている模様で、例えば遠く山口県からも買い付けていると聞く。
なお、松枯れの材では備前焼に必要とされる1200度程の温度が確保できないという。 また、割り木としてクロマツが使えるのか否かに関しては明記されたものがないが、材質的には大きな違いはなく、使えないとする理由はないと思われる。 |
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2 |
肥松木工 四国の高松や広島の宮島の製品が知られている。製品は高価であるが、実に美しい。脂の強いマツ、特にクロマツは古くから賞用されてきて、こうした工芸品はもとより床の間の地板にも好まれて使用されてきた歴史がある。
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3 |
建築用材 構造材としてのマツの梁は昔からの定番である。かつての大工はマツの曲がりを上手に使いこなした。 茶室や数寄屋造りの床柱として、赤松皮付き丸太が好んで使用された。 クロマツ大径材の肥松は床の間の地板として好まれてきた。 古くから各地の地名を付したマツの銘木が知られていて、特にアカマツでは岩手県の南部松,福島県の津島松,宮崎県の日向松、九州霧島山系の霧島松など多くの呼称がある。 内装材としてのマツは格式が高く、赤坂迎賓館和風別館の内装にもマツ材が多用されていることに驚かされた。 |
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4 |
松明(たいまつ) 松明はマツの脂の多い部分等を束ねて灯をともしたもので、これは既に日常生活からは姿を消したが、盂蘭盆会(うらぼんえ)で迎え火、送り火として肥松等を燃やす習慣が各地にある。これも松明とも呼んでいる。時期になると、スーパーでも脂気のあるマツを小割りしたものが束ねた状態で、あるいは袋詰めで販売されている。 一方、京都五山の送り火は玄関先でちょろちょろ焚くのとは規模が違い、大量のアカマツを使用するため、その調達に苦労しているようである。そのため、林野庁の協力でマツ枯れ材も使用していると聞く。 |
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5 |
墨(松煙墨) 墨は煤(すす)と膠(にかわ)から作られる。ほとんどの墨は油煙墨(ゆえんぼく)と呼ばれ、主として菜種油を燃焼してでる煤が原料である。これに対して、松煙墨(しょうえんぼく)の名の墨があり、松脂や脂気の強い古松を燃焼して出る煤を原料としている。三重県鈴鹿市の鈴鹿墨は伝統的工芸品に指定されているところであり、ここでは松煙墨を生産していることが知られている。また、和歌山県田辺市でも伝統を守り、煤の採取を自前で行いながら松煙墨(紀州墨)を生産している工房の存在が知られている。松煙墨は墨色に味わいのあるのが特徴である。
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6 |
鍛冶用松炭(鍛冶屋炭) 鍛冶に松炭は定番であるが、現在はコークスが主流になっているものと思われる。そもそも、鍛冶仕事に松炭が好まれたのは、火が起きやすくて、灰が少なく、ふいごによる火力調整が容易であったことによるとされる。砂鉄を原料としたたたら製鉄では松を含む多様な樹種をやや生焼き気味にした「たたら炭」を使用(備前長船刀剣美術館で聴き取り)したとされるが、刀剣鍛冶には必ずアカマツの松炭が使用されるという。また、現在では数少ない鋸鍛冶が、コークスでは温度が上がり過ぎて鋸の火造りにはなじまないとして松炭を使用している例がある。 |
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まつたけ山 アカマツ林はマツタケの繁殖適地であるが、放置された状態では駄目である。昔から多くの人がマツタケの人工栽培に取り組んできた歴史があるが、未だに成功を見ない。生きたアカマツ林でないと駄目である。そのため高い価格が維持されている。 |
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アカマツの本場のような印象のある中国地方では、かつては高海抜域以外はほとんどが常緑広葉樹林で被われていたという。ところが、現在のマツ林は土地本来の自生地、すなわち潜在自然植生域の250倍以上に増えているという(宮脇,中国地方調査)。つまり、現在の風景は人間活動の影響により、本来の植生とは全く異なるものと化しているということである。 これを考えると、現在のマツ枯れは自然の揺り戻し、豊かな本来の植生に向かって遷移するプロセスと見えなくもない。しかし、長きにわたる歴史の中で、先にも掲げたような松との関わりにより育まれた文化が、そしてまた慣れ親しんだ古くからの大切な景観や生活環境の保全に必要な海岸防災林などが失われようとしていることは深刻である。こうした中で、マツノザイセンチュウに対する抵抗性をもったマツを選抜・育成し、普及する努力が関西育種場をはじめとする各育種場や各都府県で講じられている。 |
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【参考】 以下は「木材の工藝(芸)的利用」(明治45年3月)に掲げられている明治末期における松の利用事例である。 |
アカマツ |
樹皮の色沢の雅致あるを利用す | 床柱 |
木理材色を主として利用す | 建築装飾材(天井廻縁,棹縁,長押,落掛,敷居,鴨居,椽[タルキ]板等) |
肥松の雅致あるを利用す | 盆及茶托〔宮島,関西〕 |
材の屈曲部を利用す | 船艦用各種曲材 |
材の高圧強抗折強を主として利用す | 打台,米搗[コメツキ]臼,鐵道枕木,道路敷木,稻扱[イネコキ]台木,セメント樽,釘樽,橇,普通建築材,(梁,母屋,榱木,床,根太,羽目等)車輛,杵の穂先,木馬 |
材の音響伝導を利用す | 太鼓胴 |
材軽軟若は狂ひ少きを主として利用す | 建具(戸,障子等),木型模型,細工台,羽子板,鋳物木型,指物家具 |
材の曲従性及抗張強を利用す | まつ縄(錨縄,釣瓶[ツルベ]縄),木毛 |
材運搬衝動に堪え釘の利き可なるを利用す | 貨物包製箱 |
材燃焼し易きを利用す | 附木[ツケギ] |
材色白きを主として利用す | 燐寸小箱木地及軸木,棺 |
材の水湿に堪ゆるを利用す | 橋梁材,地形材(杭,方杖,捨て等)水工材(水道樋,枠組井戸側,盥),風呂桶,屋根板〔対馬国〕 |
クロマツ |
肥松の雅致あるを利用す | 盆及茶托〔関西殊に宮島〕 |
抗圧強を主として利用す | 鐵道枕木,臼,道路敷木,普通建築材(アカマツと略同し唯材質粗にして脂多くアカマツより下等なり) |
材の軽軟なるを利用す | 戸,障子 |
材水湿に堪ふるを利用す | あかまつと同じ |
材の曲従性及抗張強を利用す | まつ縄 |
枝葉の形状及緑色を利用す | 飾松 |