トップページへ  木の雑記帳目次
木の雑記帳
   “流木バイオリン(震災バイオリン)”は何の木で作られているのか


 バイオリンドクター(修復・鑑定のプロ)として知られる中澤宗幸氏が、東日本大震災による津波で被害にあった流木でバイオリンを2台製作したことが話題となっていたが、先の陸前高田市における追悼式(2012年3月12日)でそのバイオリンが弾き初めされ、今後、国内・国外でそれぞれ弾き継がれる運びという。
 バイオリンの裏板には氏の友人の画家により「奇跡の一本松」が描かれていて、その映像も既に広く報道されているところである。
 本来的には材料にはうるさいバイオリンであるが、被災地の復興を願う氏の思いが込められた演出により無理を乗り越えて実現したものである。
 さて、まったく個人的な関心であるが、このバイオリンの素材として、どんな木材を使ったのであろうか。
【2012.4】 


 
   「奇跡の一本松」あるいは「希望の松」の名を持ち、日本人のまぶたに焼き付けられた姿である。何とか生き延びてもらいたいとする関係者の必死の努力にもかかわらず、既に静かにその命を閉じている。しかし、厳しい条件にあったものの、林木育種センター東北育種場住友林業がそれぞれ接ぎ木に成功し、この樹のいのちが引き継がれることになった。 
 場所は岩手県陸前高田市のかつては高田松原であったところである。  (写真提供:林木育種センター 東北育種場)
   
   バイオリンの用材に関する一般論は別項(こちらを参照)で紹介したとおりであるが、報道によれば、この流木バイオリンの「表板」は高田松原のマツの流木(あるいは住宅のがれき)で、「裏板」は同じくがれき中のカエデとされている。(注:追記を参照) 
   
   流木バイオリン(震災バイオリン)の裏板のカエデについて

 話の進めの都合で、まずは裏板からである。
 バイオリンの裏板は(側板を含めて)、普通はヨーロッパ産のセイヨウカジカエデ(シカモアメイプル)や北米産のサトウカエデ(シュガーメイプル)が使用されている。国内では木材として一般に利用されているカエデ材となると、自ずとイタヤカエデとなろう。
 流木バイオリンの裏板と側板の報道写真を見ると、やはりカエデ類によく見られる波状杢が確認され、多分イタヤカエデの流木を素材としたものと思われる。

 このカエデは非常に堅かったことから、「裏板をできるだけ薄くし、中心部分の隆起を厚くすることで理想の音色に近づけようとした(NHK NEWS WEB)」とのことである。 イタヤカエデはかつては国産バイオリンの裏板に利用された模様であるが、現在利用の実態がわずかでもあるのかはわからない。材の特性としては、イタヤカエデは先の2種の外国産のカエデ類よりも、やはりやや重硬なようである。 
   
   流木バイオリン(震災バイオリン)の表板のマツについて 
   
(1)  報道による情報では・・・ 

 バイオリンでもギターでも、表板はヨーロッパや北米のトウヒ類(マツ科トウヒ属)が利用され、それぞれの製作の世界では、しばしば慣行的に(あるいは分類上の種名には無関心なことが多いため)単に「松」、「マツ」と表記していることがある。

 このため、報道で「マツ」の名を聞いたときには、東北地方ではヨーロッパから北海道よりも早くヨーロッパトウヒを鉄道防雪林として明治中期に導入した歴史があるから、この地域にもヨーロッパトウヒの造林木があって、たまたまこの被害木が運良く手に入ったのかもしれないと思ったりもした。しかし、ハッキリと「高田松原のマツ」とした報道(NHK NEWS WEB )があるため、国産のマツと受け止めざるを得ない。(注:追記を参照)
   
(2)  アカマツかクロマツか それとも・・・

 国産のアカマツ、クロマツ(マツ科マツ属)の材は、ヨーロッパで古くからバイオリン用材として使用されてきたヨーロッパトウヒとは全く性質を異にすることから、国産バイオリンに敢えて国産マツを使用した歴史などなく、これは本当に驚きである。しかも、時間をかけた乾燥をする間もなかったはずであるし、かなり過酷な条件下での仕事であったに違いない。

 国産マツとなると、東北地方の海岸部にはアカマツとクロマツが存在し、高田松原には実際にアカマツとクロマツ数万本が海岸林を形成していたという。
 したがって、流木バイオリンの表板はアカマツかクロマツのいずれかとなりそうであるが、実は事は単純ではない。

 アカマツとクロマツが混生する地域には両者の自然雑種が見られ、これに対してはちゃんと「アイグロマツ 相黒松」とか「アカクロマツ 赤黒松」の和名があり、学名( Pinus densi-thunbergii 、Pinus ×densithunbergii )も存在する。この学名は見てのとおり、アカマツとクロマツの種小名が合成されている。

 しかも、その雑種はアカマツとクロマツのちょうど中間的なものをアイマツ又はアイノコマツと呼ぶ以外に、例えばアカマツに近いものをアイアカマツ、クロマツに近いものをアイグロマツとして仕分ける呼称が従前からあるが、これらの変異は当然のことながら連続性があるから、わかりやすい基準に基づく普遍性を持った区分にはなっていないため一般的なものにはなっていない。
(呼称の例については「参考」を参照)

 ちなみに、高田松原で唯一残存し、日本中に知られるところとなったマツは、「奇跡の一本松」、「希望の松」の名が与えられたが、これもアカマツとクロマツの雑種で、ちょうど中間的な性質を示していた模様で、そのため、「アイマツ」であるとして公表され、報道されてきた。

 普通であれば、この世にアカマツとクロマツが交雑した、どちらとも言えない中間的なものが存在することを承知すればそれで十分である。しかし、例えば苗木を販売するような立場であれば、それがアカマツなのかクロマツなのかをはっきりさせなければならないし、購入者からクレームがあっても困る。また、育種の観点では、交雑種の特性を調べると共に、その積極的な活用の可能性を検討・評価するのであれば、何らかの客観的な仕分けの目安が必要となる。
 このため、いろいろな区分手法の提案があり、必要性に応じた対応もなされている。
(具体的な仕分けの基準例は「参考」を参照)

 さて、そこで流木バイオリンの表板の樹種であるが、手がかりとなる情報がないため、勝手に想像すれば、(選択ができたのであれば)材質的にはクロマツよりもわずかに軽軟とされるアカマツかもしれない。もちろん、本当に国産マツであればの話である。 
   
   参考 
   
 @  アカマツとクロマツの雑種の呼称  
   
   外観が中間的なものは見ればある程度わかるため、従前からいろいろな名前をもらっていたようである。 
   
 
区 分  一般的特徴  三分法 地方名等  五分法 
アカマツ  樹皮:赤褐色
冬芽:細く赤褐色
針葉:細く短く柔軟
樹脂道:外位
厚膜細胞:発達少し 
アカマツ  アカマツ 
雑種  様々な属性毎に連続的な変異が見られる。  アイノコマツ *1
アカクロマツ
*1
アイグロマツ
*2
アイメン
アイノマツ
モドキマツ
スガマツ
ニタリマツ
テリアカマツ
*3 
アイアカマツ 
(間赤松)
アイマツ
アイノコマツ 
アイグロマツ
(間黒松) 
クロマツ  樹皮:暗黒色
冬芽:太く灰白色
針葉:太く長く強剛
樹脂道:中位
厚膜細胞:発達多し 
クロマツ  クロマツ 
 *1 アイノコマツ、アカクロマツの名は、アカマツとクロマツの交雑種の意。
 *2 アイグロマツの名は、幹がクロマツに、葉がアカマツに似ているものを指す。
 
 *3 テリアカマツの名は、幹がアカマツに、葉がクロマツに似ているものを指す。 
   
注: 従前からの各地での呼称は個別・沿革的にに形成されたもので、地域により意味合いが異なる可能性がある。 
 
 
資料:  樹木大図説:上原敬二(S34.3.20、有明書房)
日本のマツ:佐藤敬二(S36.3.25、全国林業改良普及協会)
 
   
   一般の図鑑では、雑種マツを細分するのは植物分類の守備範囲ではないし、一般的な必要性もないから触れてもいないものが多いが、以下は概略を紹介していた例である。

【平凡社日本の野生植物】
クロマツとアカマツが混生するところではときに自然雑種ができ、アイグロマツ(アカクロマツ)Pinus dennsi-thunbergii Uyeki といわれる。いろいろな形質は両種の中間形を示すが、クロマツに近いものをアイグロマツ、アカマツに近いものをアイアカマツ、まったく中間的なものをアイノコマツということもある。

【朝日百科植物の世界】
アカマツとクロマツが接触するところでは、しばしばどちらとも決めがたい中間型のマツ、つまり雑種ができる。この雑種はアイグロマツ Pinus × densithunbergii ともアカグロマツともよばれ、学名もアカマツとクロマツの種小名が組み合わされている。ところで、アカマツとクロマツのよい識別点は、冬芽の鱗片の色と針葉の樹脂道の配置にある。アカマツの樹脂道は、すべてが下表皮に接した位置にあるのに対し、クロマツでは葉肉中に散在する。面白いことに、アイグロマツの樹脂道は葉肉中にあるのもあれば下表皮に接するものもあり、これが雑種識別の重要なポイントになっている。また、冬芽の鱗片の色は、白色のクロマツ寄りのものから赤褐色のアカマツ寄りのものまで個体によっていろいろである。そこで、クロマツに近いものをアイグロマツ、アカマツに近いものをアイアカマツ、中間のものをアイノコマツとする意見もある。 いずれにせよ、雑種であっても種子はよく実り、樹勢は強く、マツケムシに対する抵抗力も大きいので、アイグロマツは林業上、重要視されている。 
   
 A  アカマツとクロマツの雑種の区分方法の例 

 先の図鑑の説明にもあったとおり、アカマツの樹脂道(主樹脂道、副樹脂道)は下表皮に接しているが、クロマツの樹脂道は下表皮と全く接しておらず、葉肉部内にある。一方、雑種の場合は主樹脂道、副樹脂道とも下表皮に接しているものや接していないものがあって、位置関係が一定していない。このため、クロマツ型の樹脂道の割合( 樹脂道指数 RDIResin Duct Index )で両者の雑種性を定量化する方法が実用に供されてきた。 
   
 
RDI = Rd'/2+rd'/rd
 RDI:樹脂道指数
 Rd':クロマツ型主樹脂道の数
 rd :副樹脂道の総数
 rd' :クロマツ型副樹脂道の数

 樹脂道と下表皮の距離に応じたスコアを与えて同指数を算出する方法も提案されている。 
 
 
   
   典型的なアカマツの樹脂道指数は0(ゼロ)となり、典型的なクロマツの樹脂道指数は2 となる。
 雑種の変異は連続的であり、アカマツ、クロマツ、雑種3区分の閾値についてはいろいろな考え方による提案があって、統一的なルールは特に定められていない。
 ちなみに、先に登場した奇跡の一本松(希望の松)の樹脂道指数は0.761であったことから、「アイマツ」として判定されたという。
 
   
 B  雑種形成の組合せ

 どんな組合せでも雑種ができるかとなると、実はそうでもないことが知られていて、以下の説明例がある。

 「クロマツとアカマツの人工交雑では、クロマツを雌親にしたとき(注:クロマツの雌花にアカマツの花粉をかけるとの意)に低率であるが雑種ができ、アカマツを雌親としたときにはほとんど雑種ができないことが知られている。DNA分析の結果でも、種間雑種はクロマツを雌親とするごく限られたものと考えられている。」【森林・林業百科事典】 
   
 C  木材のみでアカマツ、クロマツ、雑種の鑑定は可能か 

 聞くところによると、木材切片のプレパラートを顕微鏡で観察することで、アカマツとクロマツを区別することは困難とのことである。ということで、仮に流木バイオリンの表板からサンプルを採取できたとしても、残念ながら鑑定は困難である。 

 なお、葉緑体DNAによってもアカマツ、クロマツ、雑種の区別は可能とされている。
   
<追記 2012.9> 
   立ち枯れ状態となっていた「奇跡の一本松」が2012年9月12日に保存処理のために伐採されたとして報道があった。樹幹を9分割して極薄のペラペラの空洞とした上で防腐処理(樹脂による包埋処理)をし、炭素繊維複合材の芯を入れて組み直し、枝部分はプラスティックで製作するとのことであるが・・・ 何やら、限りなく巨大な人工盆栽のようになってきた。生きている木は強いが、樹脂で保存処理をした木を屋外で維持するのは難儀であり、劣化は避けられない。むしろ、モニュメントとして、一本松のステンレス鋼製の忠実・完全なレプリカを制作した方がまだよかったのではないかと感じる。幹は空洞などにしないで(ペラペラの空洞にするということは、殆どを木くずにすることを意味する。)、丁寧に小さな板に加工してお守りとし、売上代金を海岸林の再生資金の一部とした方が共感を得たであろう。
(注)1億5千万円のプラスティックのレプリカ一本松が2013年7月3日に完成式を迎えたという。近くで見ない方がいいであろう。

 なお、バイオリンを製作した中澤宗幸氏が2012年9月12日の当日のNHKニュース おはよう日本に出演し、材料とした木材に関して、以下のように語っていた。

 「流木の中からマツ、カエデを探して、適当と思われるものを拾ってきたわけですね。がれきの中から拾ったものですけど、それらは柱であったり、床柱(とこばしら)ですね、それから床板(ゆかいた)であったり、また木の梁(はり)であったり、そういう材料だったんですね。」

 ということである。当初の報道ではマツは「高田松原のマツの流木」としていた報道もあったが、倒壊してがれきと化した住宅の部材であるとして説明している。住宅部材の樹種としては、さすがにマツの柱は考えにくいが、古い住宅であればマツの梁はふつうであり、床柱(とこばしら)としてカエデ材の利用もしばしば見られるところである。

 かつてはある一家の穏やかな生活支えていた家の部材であったことを聞くと、改めて鎮魂のバイオリンであることを痛感する。  
   
<追記 2013.3> 
   流木バイオリン(震災バイオリン)の素材の素性に関しては、実は中澤氏本人にとっても正確に語ることは難しいことと思われ、著作の中では次のように語っている。

 「夜、月夜の工房で、ずっと木と対話をしていた気がします。おそらく家の梁だったと思われるマツの木と、床材として使われていただろうカエデの木と。木に語りかけ、木の思い出を聞きながら,わたしはずいぶん長い旅をしたように思ったのです。」
いのちのヴァイオリン 森からの贈り物:中澤宗幸(2012年12月、株式会社ポプラ社)より)

 余計なお世話かも知れないが、カエデの素性に関して、ブックマッチで裏板を木取りできるカエデの床板が存在するとは考えにくく、したがってカエデの素性はよくわからない。加えて、表板に関しても、本当にマツ属のマツなのか、実はトウヒ属の樹種なのかは、木目が全く異なるから見る人が見ればわかるはずである。

 また、中澤氏がNHKの「震災から2年 明日へ コンサート」(2013年3月9日放送)に録画出演し、流木バイオリン(震災バイオリン)の材料に係わる説明をしていた。その中で、魂柱(バイオリン内部の突っ張り棒)が奇跡の一本松の枝から製作されていることを自ら語っていた。バイオリンは一本松の伐倒前に仕上がっていたから、一本松を伐倒後に一部を手に入れ?、後追いで入れ替えたのかもしれない。バイオリンの部材はたくさんの部材で構成されているから、また情報がチョロ出しされるかもしれない。

 なお、バイオリン製作の演出が好評であったため、今後は流木でビオラやチェロも続々と生産する予定とのことである。そうなると、よいバイオリンを作るためには明らかに不本意であろう廃材(もちろんとびきりの“良質な廃材”であることが必要であろう。)の手当てが困難となり、製作者としての葛藤に苦しむかも知れない。あるいは、廃材などにこだわっていられないかも知れない。今後の展開は、少しだけ気になるが、使用木材に関する正確な情報を報道等の内容から知ることは難しいため、用材に関するフォローはこの辺で打ち止めとしたい。