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続・樹の散歩道 マロングラッセはかつて本当にセイヨウトチノキ(マロニエ)の実が使用されていたのか
前から気になっていたことの一つは、マロングラッセが古くはセイヨウトチノキ(マロニエ)の実が使用されていたとして記述している例がみられることである。この内容は、日本国内では出所が明示されないままに広くコピペされていて、既にウンチク話として登録済みの感がある。この情報源と思われる記述を2つ確認しているが、実はそもそもこれらも出典自体が明らかでなく、感覚的にもほんまかいなといった印象を持ち続けてきた。ということで、この件について、フランス語が壁となるが少し調べてみることにした。【2014.11】 |
1 | 情報源として確認した2件の記述 このことについて触れていることを確認できたのは以下の2件である。それぞれの一文を丸ごと検索すれば、コピペ文がぞろぞろヒットする。 |
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世間相場でいえば、共に出典が示されていない中で、ウィキペディアに較べたら、大手出版社の百科事典は圧倒的に高い信頼性があり、執筆陣もその分野の権威が選定されているから、大筋については素直に受け入れるのがふつうである。 そもそも本件はかの国での話であり、しかも生活に密着した話題であるから、海外サイトで当たり前の如くに論述されているのを確認できるはずである。まずは周辺事情から情報収集である。 |
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2 | セイヨウトチノキの周辺情報 (セイヨウトチノキのフランスへの導入時期) セイヨウトチノキは元々ギリシャ北部~小アジア原産とされている。これがフランスに導入されたのは1615年であるというのが定説となっている。 |
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3 | マロングラッセの周辺情報 (マロングラッセの起源など) マロングラッセのレシピの登場に関しては、16世紀のことであろうという説明が多い。(コピペも多いと思われる。) |
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4 | 食用としてのセイヨウトチノキの実 ヨーロッパグリが3千年もの間栽培されてきた(コリン・リズディルほか)とされるのに対して、セイヨウトチノキがヨーロッパ各地に導入されたのは1600年頃とされ、基本的には毒性があって食用にならないものとして一般に認識されているが、日本におけるトチノキのように救荒植物としての利用に関する記述も見られる。 |
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5 | 検討 さて、ヨーロッパで古くからクリが食用として利用されてきた中で、毒性があって食べるためには大変な手間のかかるセイヨウトチノキを本当にマロングラッセに利用したのかである。 日本ではクリは美味・良質な食料として縄文人が既に栽培的利用をしたことが知られていて、その一方でトチノキの実もでん粉源として山村で補助的に利用されたり、救荒植物にもなったとされるが、セイヨウトチノキの場合は事情が少々異なるようである。というのは、セイヨウトチノキが緑陰樹としてヨーロッパ各地に広まったのは古い話ではないからである。 そもそもマロングラッセの登場は16世紀であろうと言われている一方で、セイヨウトチノキが例えばフランスに導入されたのが1615年で、17世紀であるから、マロングラッセの登場の後となっていて、全くつじつまが合わない。さらに、トチノキの実を例にすると、粒ごと渋皮まできれいに剥がすのは困難であり、仮に日本栗のように手間を掛けて刃物できれいに剥いたとしても、丸実のままでアク抜きするのは合理性に欠け、現実的でない。しかも、美味しい栗が存在するのに、敢えて(実自体は決して美味しいはずのない)セイヨウトチノキの実を日常で積極的に使用することは全く考えられない。 したがって、古くにセイヨウトチノキの実がマロングラッセに使われたという話をそのまま素直に受け入れることは益々困難である。 海外サイトを検索しても、マロングラッセに関するウンチク話は多数あるが、セイヨウトチノキの実がマロングラッセに使われたなどという話は一切見られない。ということは、いよいよ日本国内だけでのとんでもない勘違いである可能性が高いと思われる。 この原因を考えてみると、フランスにおけるマロン marron の語の使い方がいい加減であることが関係している可能性がある。 ということで、セイヨウトチノキの実で作ったマロングラッセは誤解に基づく空想の産物である可能性が高いため、このことを得意になって口にしない方が賢明であり、とりわけ、欧州出身者に対してこんな訳のわからない話題を決して持ち出さないように留意すべきであろう。 |
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6 | フランスにおけるクリの呼称に関するメモ セイヨウトチノキとクリの呼称に関して推定も交えて経過を描いてみれば、おおよそ次のようになると思われる。 |
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実はフランス人にも混乱があるのか、フランス語の質問サイトを見ると、①マロニエとクリの実の区別や、②クリのマロンとシャテーニュの違いがよくわからない者が多い実態を伺い知ることができる。 なお冒頭に掲げた国内での情報源の記述内容について、根本的な間違いであろう部分以外に、枝葉の部分であるが、 ①で、「マロニエという名称はマロン(クリ)に由来し」の括弧書きのクリの文字は余分で、意味不明の文脈となっている。 あくまでマロンは本来マロニエの実を指すというのがふつうの認識である。 また、②で、「クリの実で代用するようになった」との表現自体、「代用」ではセイヨウトチノキを使った方が上質で美味しいとのニュアンスとなり、この部分だけでも全く意味不明の内容になっている。 |
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<参考1:ヨーロッパグリとマロニエ> (呼称はフランス語のみを掲げる) | ||||||||||||||||||||||||||
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<参考2:食用としての日本の栃の実の位置付け> | ||||||||||||||||||||||||||
栃の実は現在でもとち餅等に利用した製品が販売されている(とち餅はこちらを参照)が、既に決して日常生活における食品ではなく、かつての食文化を偲ぶ土産物、珍しい食べ物としての存在として生き残っているものである。 各地の山村部で栃の実を利用したのは、栗のように美味しい実ではなかったものの、山で比較的採取しやすいでん粉源であったからで、例えば、とち餅であればあくまでもち米の増量材として位置付けられる存在であったと理解される。簡単に言えば、米が何不自由なく潤沢に確保できれば、手を出すような代物ではなかったはずである。 さらに、これだけマメに手間を掛けて栃の実を利用した日本民族であるが、粗く割れた状態でアク抜きした栃の実でも単体で食べるには全くなじまない存在であったことに留意すべきである。こうしたことを念頭に置いただけでも、セイヨウトチノキの丸実を単体で菓子原料にするなど、全く考えられないことである。 |
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