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続・樹の散歩道
 キヌタソウの果実のどこが砧(きぬた)に似ているのか


 アカネ科ヤエムグラ属の多年草であるキヌタソウの名前の由来についてはさっぱりわからない。国語辞典では「きぬた」「砧」以外に該当はなく、多くの図鑑では仕方なく「果実の形を砧(きぬた)に見立てたもの」とする従来からの俗説を特に疑問を呈することもなくそのまま掲げている。 そもそも「砧」とは、かつて布を柔らかくし、あるいは光沢を出すための作業台を指すものといわれているが、果実が似ているとする立場では突然に〝砧は布を叩いた木槌の方を指す〟ことを前提とした講釈となっている。この時点で既に混乱が見られ、誰が見ても果実が木槌の形などに似ていないのは明らかであるから、もう少し遠慮がちに記述する配慮が求められるところである。こうしたなかで、さすがと言うべきか、古い版の牧野日本植物図鑑ではこの感性に欠けた訳のわからない俗説は紹介しておらず、珍しいことに名前の由来に関しては全く触れていない。ということは、全くお手上げということなのであろうが、ある意味これは〝良心的〟である。 【2016.10】 


 学名の種小名もせっかく日本人の学者により kinuta と命名されていても、当の日本人でこの「きぬた」の本当の意味、由来が誰にもわからない状態は非常に残念なことであり、もとより植物の名の由来はわからないものが多いから、仕方のないことかもしれない。特に、本種ではなかなか手がかりもないから、にわか語源探偵団にとってもやっかいである。
 なお、キヌタソウの属名の Galium (ヤエムグラ属)はギリシャ語で牛乳を意味する gala に由来し、かつてヨーロッパでは牛乳を凝固させてチーズを作るときに、本属のカワラマツバ類が使われたことによる(植物の世界)とされる。
 
 
キヌタソウの花や果実の様子  
 
 キヌタソウは花も果実も極めて微小で、肉眼ではその形態を確認しにくいほどである。その果実は、ヤエムグラ属で共通する属性があって、通常は2個の分果からなっている。ただし、分果の片方が不稔で1個のみの場合もかなり見られる。  
 
 
 
          キヌタソウの葉の様子
 アカネ科ヤエムグラ属の多年草。Galium kinuta Nakai et Hara 葉は4輪生風であるが、1対は托葉とされる。
      キヌタソウの花序 
 円錐状の集散花序をつくる。
 
     
 
    キヌタソウのつぼみ 1
 つぼみの時点で既に子房が2分果であることを示している。
     キヌタソウのつぼみ 2
 
   開花途中のキヌタソウの花
 
 
     
     キヌタソウの花 1
 花冠は径約2.5ミリで先が4裂、雄しべ4個、花柱2本。しばしば3裂した花冠も見る。
     キヌタソウの花 2
 短い花柱2本は基部まで裂けていて、果実の先端に残る。葯は花粉放出後に暗褐色になる。 
    キヌタソウの若い果実
 果実は2個の分果からなる。1個のみが成熟することも多い。  
 
     
     キヌタソウの果実 1     キヌタソウの果実 2      キヌタソウの果実 3 
 
 
 キヌタソウの果実に関しては図鑑では写真が掲載されているのはまれで、しかもその形状、サイズについても詳しい説明は見られず、単に「果実は無毛」とだけ説明している例が多い。
 こうしたなかで、中国植物誌ではこの果実について「果実は無毛、直径2.5ミリ、球形に近く、双生又は単生」としている。  
 上の写真を撮った個体の果実は径2.5ミリよりはるかに小さい点が気になるところであるが、写真のものが少々発育不良なのか、それとも中国のものは果実が大きいのかについては、真相は不明である。          

 以下は図鑑で示されていた数少ない写真、イラストの例であるが、1と2のイラストの果実については子房が真ん丸で大きく、実際に観察したものとはかなり様子が異なっており、どういうことなのかよくわからない。
 
     
   図鑑に掲載されていたキヌタソウの果実の例  
 
1APG原色牧野植物大図鑑
 におけるキヌタソウの果実
 花後風であるが、真ん丸の果実は標準形とは思えない。 
 2 植物観察事典における
  キヌタソウの果実

 左の絵のお仲間風である。  
 3 世界文化生物大図鑑に
  おけるキヌタソウの果実
  明瞭な2分果の絵であるから納得である。
 4 山に咲く花におけるキヌ
  タソウの果実
 
  花と果実を示していて、果実は2分果になっている。
 
     
   ウェブ上ではしばしばかなり大きめの暗褐色の球状の子房に暗褐色の蕾か花がらを乗せて、ダルマ状になった画像、あるいは球状に子房が大きくふくらんだような画像見かけるが、これらは正常果とは考えにくく、虫こぶ(虫えい)である可能性がある。  
     
 砧(きぬた)とは  
 
 砧は既に日常の生活用具ではなくなっているため辞典に頼らざるを得ないが、別に難しいものではなく、一般には布を柔らかくし、あるいは光沢を出すための木又は石の台とされる(別に棒タイプのものもあり後述する。)。そもそも中国から伝来したものとされるから、中国語の辞典でも確認してみると、やはり同様で、決して打ち付ける木槌を指しているものではないことは明確である。
 砧打ちの作業を指して中国伝来の語で擣衣(とうい)と呼んでいる。中国語では同じ意味であるが捣衣(搗衣)の表記の方が一般的なようである。
 
 
 ① 【日本語大辞典】
きぬた(砧・碪):
きぬいた(衣板)の変化した語。槌で布を打って柔らかくし、つやを出すために用いる木、または石の台。また、それを打つことやその音をもいう。 
 ② 【広辞苑】
きぬた(砧・碪):
(キヌイタ(衣板)の約) 槌(つち)で布を打ちやわらげ、つやを出すのに用いる木または石の台。また、それを打つこと。
 ③ 【中国語大辞典】
砧(碪) Zhēn
ものをたたいたりつぶしたりするときに、下に敷く器具。きぬた。鉄床(かなとこ)。 
注1  国内の百科事典では「織った布または洗濯した布や着物をたたいてやわらかくし、同時に目をつめて、艶を出すのに用いる道具。(世界大百科事典)」とか「織物を織り上げたのち織機から下ろしたままでは、堅くてなじまないので、織り目をつぶして柔らかくし、つやを出すために使われる道具(日本大百科全書)」として、台と槌の全体を指したような曖昧な書きぶりの例も見る。
 なお、中国語で布をのせる台と布をたたく木槌の両方を指す場合は「砧杵」の語がある。つまり、搗衣石(砧板)棒槌を指している。 
注2  砧打ちの用具は2型が知られている。1つは主に麻や木綿を対象に、石や木の台に折りたたんだ布を置いて木槌で打つもので、もう1つは主に絹を対象とし、丸棒に織物を巻き、両端を支える構造で浮かせて回転させながら木槌で打つものである。後者のタイプは、能楽の「砧」で小道具として登場することが知られている。次の画像を参照。 
 
 
   砧の参考資料1:東京国立博物館所蔵品の絵画  http://www.tnm.jp/   
 
     砧打ちの用具 その1 (鈴木春信)
    表題は「擣衣玉川 相模」とある。
    砧打ちの用具 その2 (磯田湖龍斎)
   表題は「摂津国擣衣玉川」とある。
 
     
 
砧の参考資料2:書籍で掲載していた図像や写真の例    
 
           「日本民具辞典」より
 写真は木槌の例であるが、本文の説明では誤ってこれを砧としている。民俗学の世界ではどこでねじれてしまったのか、砧打ちの木槌を指して砧と呼んでいるのが普通のようである。
      「日本を知る事典」より
 
説明では「砧を使う人」としている。丸棒に織物を巻いてたたく方式である。この型の場合、丸棒部分を指して砧と呼んだのかは確認できない。  
 
 
     
     
 果実が砧に似ているとしている例  
     
  <本文の説明文>

 キヌタソウ:
 花後に黒っぽい超小型の実がなる。その実の形が砧(きぬた)に似ている。
 砧はワラ、植物をたたいて柔らかくする農具。実はごく小さいが、砧に似る。
 本来の砧は、布を打つ台のこと。丸い棒で両端が細くなり、細い部分を下の台座から立ち上げた柱で支えた。丸い棒に太い部分と細い部分があるのが砧の特徴。その後、ワラを柔らかくする木槌(太い部分と握りの細い部分あり)も砧といい(注:これは後世の根の深い誤用である。)、この草の小さく黒い実が後者の砧に似る。

注:   下線部の用具は布を畳んでたたく場合のシンプルな通常の台とは別タイプで、布を丸棒に巻いて両端の支えで浮かせた状態でたたく形式のものだけを説明しているため、読者にはわかりにくい。また、果実のイラストも、花後の萎んだ花冠がまだ付いているような風情で、しかも真ん丸であり、不自然でわかりにくい。
 
 平凡社「野草の名前」より  
 
 
 この図鑑は野草の名前の由来をイラスト付きで説明することを基本としているため、怪しげな語源説であってもとにかく採り上げないことには本として成立しないという事情を抱えていて、この説明はやはり無理を感じる。まずは、あくまでも砧は木槌ではない。このことを横に置いても、キヌタソウの果実は先に写真を示したとおり、明らかに木槌にも全く似ていない。

 なお、砧を木槌と思い込む誤解は非常に根の深いものがあり「砧青磁」の名も国内での誤った使用例である。一方正しい使用例として「キヌタ骨」がある。これは、中耳の中にある3個の耳小骨の1つで、形が鉄床(かなとこ)に似ているのでこの名がある。
 
 
 巷のうわさ  
 
 キヌタソウの果実を実際に確認した者であれば、その形が木槌(横槌)に似ているなどという話に対して違和感を持つのは素直な感性である。しかし、自分の見方が悪いのではないかと思い、何とか自分で納得しようと努力してしまうという奇妙な現象がみられる。

 具体的には、プックリした子房の上につぼみが乗った状態、あるいは花後の花弁が閉じた状態を指しているのではないかといううわさがある。これは奇妙な説に疑問を持つのではなく、信者として既存の説を支持する方向にエネルギーを投入しているもので、賛同を得られるような内容にはなっていない。

 なお、図鑑によっては同様の視点で少々自信がなさそうに「昔、布をやわらかくしたりつやを出したりするために、砧(きぬた)という道具で布を叩いた。果実かつぼみの形がこの砧に似ているので名付けられたという。(野草大図鑑)」と独自にアレンジを加えている例も見る。

 やはり、怪しいものは怪しいと自らの普通の感性に素直に従うべきである。
 
 
 砧草の名は日本固有なのか、中国伝来なのか  
     
   キヌタソウの名前の由来の手がかりを求めて中国の図鑑にあたってみることにした。
 そもそも「砧」の漢字は中国伝来であるし、モノとしての砧も中国から伝わったものであるから、何かヒントがあるかもしれない。 
 
     
(1)  キヌタソウの中国名について   
     
   キヌタソウの中国名は残念なことに、中国植物誌で「显脉拉拉藤(顕脈拉拉藤)」としていて、全く別の名前である。
 この名前の由来は漢字から明らかで、果実がどうのこうのではなく、葉の脈が目立つことに着目したものであることがわかる。「拉拉藤」はヤエムグラ類の意である。
 
     
(2)  中国で「砧草」の種名はないのか   
     
   同じヤエムグラ属で中国名として「砧草」の名を持つ別種が存在するのを確認した。シベリアキヌタソウの和名がある Galium borealeGalium boreale var. boreale)で、中国名として「北方拉拉藤」の名もある。

 中国植物誌では、これを原変種(基準変種)として、10種もの変種(エゾキヌタソウを含む。)を掲げていて、このうちの7種の種名の語尾が「砧草」の語となっている。The Plant List では、これらの変種はシノニムとしてとりあえず整理している。 
 
     
    茜草科 Rubiaceae 拉拉藤属 Galium 砧草 (アカネ科ヤエムグラ属シベリアキヌタソウ)    
 
中国植物誌(和名は付記したもの) The Plant List
基本種 北方拉拉藤(原変種)
砧草(中国本草図録)
和名:シベリアキヌタソウ
Galium boreale Accepted 
原変種  Galium boreale var. boreale 
変種 狭叶砧草 Galium boreale var. angustifolium Synonym
変種 硬毛拉拉藤 Galium boreale var. ciliatum Synonym
変種 斐梭浦砧草 Galium boreale var. hyssopifolium Synonym
変種 砧草 Galium boreale var. intermedium Synonym
変種 堪察加拉拉藤
和名:エゾキヌタソウ
Galium boreale var. kamtschaticum Synonym
変種 光果砧草 Galium boreale var. lanceolatum Synonym
変種 披针叶砧草 Galium boreale var. lancilimbum Synonym
変種 宽叶拉拉藤 Galium boreale var. latifolium Synonym
変種 假茜砧草 Galium boreale var. pseudo-rubioides Synonym
変種 砧草 Galium boreale var. rubioides Synonym
 
     
   日本と中国では該当する種が異なってはいても、「砧草」の名前の元祖が中国であれば、是非とも中国での講釈を知りたいところであるが、有用な情報が得られない。ヤエムグラ属の多くの植物は先のシベリアキヌタソウを含め、中国で薬効が知られているから、このことがきっかけで日本に名前が伝わった可能性があるかもしれない。

 一方、万万が一、逆に日本から中国に名前が伝染したものとしたら、これは誠に不幸なことで、中国でも訳のわからない事案であることに変わりないことになってしまう。さらに、最悪のケースは、「砧」の文字が、国内での単なる当て字であった場合である。

 とりあえずは、中国情報を得ることが課題である。中国発であれば、果実が木槌に似るなどという名称の由来などあり得ないと思われるからである。 
 
     
  <比較用参考:アカネ科ヤエムグラ属の花と果実の例>   
 
  ヒメヨツバムグラの花
 花冠は普通4裂するが、写真のようにしばしば5裂のものを見る。 
 ヒメヨツバムグラの果実
 果実は明確に2分果となり、表面はコブ状及び鱗片状の突起が見られる。
   ヤエムグラの花 
 花冠は普通は写真のように4裂するが、しばしば5裂のものも見る。  
 ヤエムグラの若い果実 
 果実は球状の2分果となり、表面には鈎状の毛がある。
 
     
  <追記: キヌタソウの訪花昆虫>   
   非常に小さなキヌタソウの花の花粉をだれが運んでいるのか少し気になって観察していると、やはり小さなハチ、アブ、ハエの姿を確認することができた。その他蜜泥棒のアリの姿も確認した。   
     
 
ホソヒラタアブ  ハチの仲間  ハエの仲間  ツマグロキンバエのお尻