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続・樹の散歩道
  エゾエンゴサクから盗蜜する


 ある植物園で、自然観察指導員の腕章をしたおじいちゃんが、大勢のにぎやかなおばちゃん達を引き連れて観察会を行っているのを見かけた。聞けば無料の集まりとのことで、これ幸いと早速ながら潜り込んだ。まだ春先の花の少ない時期であったが、普段であれば蹴飛ばして歩いていたアキタブキについて、遠目で雄株と雌株の花を見分けるポイント等々の講釈に耳を傾けることができた。そして、エゾエンゴサクが咲く一画で、「みなさん、この花の蜜を小さい頃になめたことはありませんか?」との問いかけがあった。しかし、参加者の中で経験ありは誰一人としていなかった。
 そこで、その場にあったエゾエンゴサクの一花を遠慮がちに採って、突き出した距の部分を口に含んでみるが、甘くも何ともない。そもそも、こんな小さな花の蜜の甘さをスイカズラと同じように舌で感じることなどできるものなのか
【2014.6】 


 1  エゾエンゴサクの様子   
     
 
                  エゾエンゴサクの群落
 北海道の早春の風景である。他の草本類に先立って一面にこの花の咲く風景をしばしば見かける。
 (エゾエンゴサク Corydalis ambigua ケシ科キケマン属の多年草 - 北海道内 5月上旬)
 
     
 
        エゾエンゴサクの株
 花は総状花序。葉は1~3回3出複葉。
         エゾエンゴサクの花
 筒状花の先は唇状で、基部が距(きょ)となっている。
 
     
   この件については中途半端な気分で終わったため、日を改めて確認してみることとした。
 まずは事前学習で調べてみれば、エゾエンゴサクは多くが蜜泥棒セイヨウオオマルハナバチ(外来種)等による攻撃に曝されているとのことである。ということは、甘くなかった花には盗蜜された小さな穴があったのかも知れない。盗蜜後の花であったら、蜜の甘さを実感することなどできるはずがない。

(注)盗蜜:昆虫などが花が期待する受粉に貢献することなく、花の横腹に穴を欠けて蜜だけをかすめ取ること。 
 
     
  <参考資料>   
  エゾエンゴサク:Corydalis ambigua ケシ科キケマン属   
     
  【日本の野生植物】
 樹林地又は開墾地などに生える多年草。毛はなくてなめらか、または毛状の乳頭突起がいくらかあって、全体に弱々しい。地下に球形で、径1~2センチの塊茎がある。
 花序は頂生で、ふつうは多数の花を密につける。花期は4~5月。苞は卵形で全縁。小花柄は長さ1センチ内外。花は青紫色で、開花中に多少変色するが、まれに白色のものもあり、長さ17~25ミリ。
 南千島、北海道、本州北部、樺太、オホーツク沿岸に分布する。
 
 
     
  【植物の世界】
 これらの種は、雪解けの湿り気が残っている土の上に顔を出し、あわただしく葉を広げ、花を咲かせて果実をつける。周りの草が高く伸びるころには姿を消してしまうから、地上に出ているのはたった2ヶ月弱で、1年のほとんどは地中で球状の塊茎として過ごす。
 
 
     
  エゾエンゴサクの試練

 蜜を味合うために、盗蜜の被害に遭っていないエゾエンゴサクを探し始めたところ、実に多くの花が既に被害に遭っていて、小さな穴の開いた花だらけであることに驚いた。株ごとに見ても、鈴なりに付けた花のすべてがやられているものも珍しくないのである。特に一定規模の群落となっている場合は、絶好の餌場となっていて、むしろ小規模に慎ましやかに咲いている場合に、無傷なものを確保しやすいという傾向も見られた。
 
 
     
 
       盗蜜で穴を開けられた花 1
  花の距(きょ)の部分にしっかり穴が空いている。
      盗蜜で穴を開けられた花 2
   複数の穴が開けられている事情は後に検討。
 
     
 
   セイヨウオオマルハナバチ
 
盗蜜の主たる犯人とされている。エゾオオマルハナバチも盗蜜する。 
     アカマルハナバチか? 
 こちらは花の正面から訪問しているようである。
   エゾトラマルハナバチか?
 こちらも花の正面から訪問しているようである。花粉も集めている。
 
     
   エゾエンゴサクの蜜の所在    
     
 
 無傷の花の距のをよーく見れば蜜の滴を確認でき、これを口に含むと、わずかながらも蜜の甘さを実感できた。
 蜜は花の距の中に伸びた蜜腺から分泌されるとされ、花を日にかざして見ると、水滴状の蜜が確認できる。盗蜜による穴がしばしば複数見られるのは、この蜜の所在箇所を狙ったものと思われる。
 
 エゾエンゴサクの蜂蜜が存在すれば、自然を感じるいいイメージの製品になると思われるが、蜜蜂が本格的に活動を始める前の花であるから、無理な注文であろう。
 
          距の中の水滴状の蜜  
 
     
   セイヨウオオマルハナバチ等による被害を免れて、首尾よく結実すると、面白い形態の種子ができる。          
     
 
   エゾエンゴサクの2裂した
   若い果実(蒴果)の中味

 種子が2列に付いている。
    エゾエンゴサクの種子 1
 径1ミリほどの種子にはスミレ類よりはるかに大きなエライオソーム(種枕)が見られる。ハリボーのようである。 
    エゾエンゴサクの種子 2
 エライオソームは種子の大きさに対しても随分大きめである。
 
     
   エンゴサク(延胡索)の呼称

 そもそも、エンゴサク(延胡索)とは奇妙な名前で、漢字表記は日本語の感覚とは異質であることを感じる。調べてみれば、やはり「延胡索」は中国に自生する固有種 Corydalis yanhusuoCorydalis turtschaninovii f. yanhusuo)の名称そのものを頂いたものであることがわかった。中国では伝統の薬材で、これが薬用植物として日本に導入され、植物体及び生薬たるその塊茎も「延胡索」と呼ばれてきた経過があるようである。
 日本には「エンゴサク」を名前にもつ仲間として、先のエゾエンゴサクのほかに、ジロボウエンゴサク、ヤマエンゴサク(ヤブエンゴサク)等が知られているが、中国からの導入種に名前を乗っ取られているのは奇妙なことである。やはり薬用として導入された「延胡索」の名に優位性があった結果なのかも知れない。エゾエンゴサクはアイヌが「トマ」と呼んで食用としたという。他の種は中国種の表記の影響を受ける前から国内、地方で何らかの名前があったはずである。標準和名として生き残った地方名が存在しないというのも残念なことである。
 
 
     
  <参考:エンゴサクの名を持つ仲間の例> (「日本の野生植物」等より)

エンゴサク Corydalis yanhusuo(Corydalis turtschaninovii f. yanhusuo) 
 中国各地に栽培され、主産は浙江省。
 (中国名)延胡索、延胡、玄胡索、元胡索、元胡
 *日本の自生はないが、かつて導入栽培の歴史があった模様。

ジロボウエンゴサク Corydalis decumbens :関東以西、中国、台湾に分布
 (中国名)伏生紫菫

エゾエンゴサク Corydalis ambigua:東北、北海道、朝鮮半島、中国東北部、極東地方にに分布。
 (中国名)東北延胡索、土元胡

ヤマエンゴサク Corydalis lineariloba:本州、九州、朝鮮半島、中国東北部に分布。
 ヤブエンゴサク
ササバエンゴサクとも。
 (中国名)狭裂延胡索

ヒメエンゴサク Corydalis lineariloba var. capillaris 

キンキエンゴサク Corydalis lineariloba var. papilligena

ミチノクエンゴサク Corydalis capillipes :本州中北部の日本海煙害地方に分布。ヒメヤマエンゴサクとも。

コウライエンゴサク Corydalis ternata (Nakai) Nakai (Corydalis nakaii Ishid.)中国内蒙古、東北諸省、朝鮮半島産。
 (中国名)三裂延胡索

(メモ)
Corydalis bulbosaヒメエンゴサクとしている例が見られる。
Corydalis bulbosaC. cavaオランダエンゴサクとしている例がある。
 
     
  <参考写真>   
     
 
          エンゴサク
 中国原産の本家エンゴサク(延胡索)である。小葉が細長い。 
          ジロボウエンゴサク
 「ジロボウ」「次郎坊」とされ、スミレを俗に「太郎坊」と呼ぶのと対をなすものとされる。
 
     
 5  生薬としてのエンゴサク   
     
 
 生薬としてのエンゴサク(延胡索)の元祖はもちろん中国種の延胡索であるが、日本自生のエンゴサク類の塊茎は生薬として利用可能なのか、延胡索の代用品として使用してきた歴史があるのかが気になるところである。手近な資料でざっと見た限りでは以下の点を確認した。    
       エゾエンゴサクの塊茎
  径は1.5センチほどであった。
 
     
 
 日本薬局方ではCorydalis yanhusuo(中国種・延胡索)のみをエンゴサク(延胡索)として収載している。
   太田漢方胃腸薬、大正漢方胃腸薬などにもエンゴサクが配合されている。
 (エンゴサクの塊茎医薬品扱いであるのに対して、国内自生種は対象外のため、胃腸薬の原料とされない。有効成分の差があるのか、明確な記述を目にしない。) 
 国内自生種のエンゴサク類は漢方として認知されている。 
 エゾエンゴサクの塊茎は、この名前で生薬として一般に市販されている例がある。 
 種類別の流通の実態は確認できない。 
 
     
   具体的な記述例は以下のとおりである。

【第十六改正日本薬局方(抄)】
エンゴサク(延胡索)Corydalis yanhusuo塊茎を、通例、湯通ししたものである。本品は定量するとき、換算した生薬の乾燥物に対し、デヒドロコリダリン(デヒドロコリダリン硝化物として) 0.08 %以上を含む。

エンゴサク末(延胡索末)は「エンゴサク」を粉末としたものである。本品は定量するとき、換算した生薬の乾燥物に対し、デヒドロコリダリン(デヒドロコリダリン硝化物として)0.08%以上を含む。

【牧野和漢薬草大図鑑】
・ エンゴサクは鎮痛、鎮痙薬として月経痛、腹痛、頭痛に用いられる。ただし妊婦の服用は避ける。鎮痙薬として配合剤(胃腸薬)の原料とすることがある。

【日本の野生植物】
漢方で言う延胡索は中国原産の植物であるが、現在日本での栽培は絶えたと思われる。(国内で)その名で呼ばれるものは日本産の近縁のヤマエンゴサク、シロボウエンゴサクなどの塊茎であって、鎮痛、通経に用いられる。

【原色日本薬用植物図鑑】
ジロボウエンゴサク、エゾエンゴサク、ヤマエンゴサクの塊茎延胡索(えんごさく)として、漢方で浄血、鎮痛、鎮痙薬とし、瘀血、月経痛。頭痛、腹痛などに用いる。成分は種類によって異なるが、いずれもベンジルイソキノリン型アルカロイドで、ジロウボウエンゴサクは bulbocapine 、 エゾエンゴサクは corydaline 、 や corybulbine 、 ヤマエンゴサクは tetrahydrocolumbamine などを主成分とする。
(注)ヤマエンゴサクの生薬は国内的に「和延胡索」とも。

・ ジロボウエンゴサクの塊茎は中国の江西省、浙江省などで夏天無(かてんむ)と呼び、民間薬として鎮痛薬とし、中風、小児マヒ後遺症、座骨神経痛、リウマチ性関節炎に用い、また最近では点眼薬として仮性近視に有効と報ぜられている。

中国産の延胡索は Corydalis yanhusuo (中国名:延胡索)が主で、朝鮮半島産のものはコウライエンゴサク C.nakaii Ishidoya を基原植物とするもので、日本に輸入される延胡索はほとんどがこの2種である。

【牧野和漢薬草大図鑑】
・ 延胡索は唐の陳蔵器の「本草拾遺」(739)に初めて収録され、玄胡索という名であったが後に延胡索に改められ、開宝本草から歴代の本草書に収載されている。現在では、中国、韓国産のものが輸入されている。中国産は良品で価格も高い。

【保育社和漢薬百科図鑑】
・ エンゴサク(延胡索)の基源は Corydalis yanhusuo の塊茎を乾燥したものを正条品とし、その他、コウライエンゴサク Corydalis nakaii Ishidoya の塊茎を乾燥したもの(内蒙古、韓国産の延胡索)も輸入されている。