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続・樹の散歩道
  リュウノウギクには本当に竜脳の香りがあるのか


 リュウノウギクの名前については直感的に違和感がある。植物の和名については、今となってはその意味・由来がわからなくなってしまったものが多いのは仕方のないことであるが、一般的には各地域で定着するに至った呼称は総じて誰にもわかりやすくその植物の特徴を捉えたものが普通であったはずである。つまり、万人が素直な感性で受け入れられるものでなければ生活の中の生きた呼称とならないのは明らかである。ところが、リュウノウギクの「リュウノウ」は香料の「竜脳」以外あり得ないものの、この中国経由で古い時代に渡来した希少で貴重・高価であった「竜脳」の香りを連想するなど、いかにも一般人の感性からかけ離れていて、奇妙である。そもそも、ほとんどの者が単体の竜脳固有の香りなど知らないのが普通であったと思われるにもかかわらずこの格調高い名が標準的な和名として取り扱われているということは、たぶん地域名とは関係なく命名されたものと思われる。 【2017.10】


 
 
                     リュウノウギクの様子
  キク科キク属の多年草。 Chrysanthemum japonicum syn. Chrysanthemum makinoi 日当たりのよい山地の崖にふつうに生えるとされる。和名は、茎や葉に竜脳に似た香りの揮発性の油が含まれることによるといわれるが、後で確認する。本州、四国、九州に分布する国内固有種。 
 
     
 
         リュウノウギクの花
 キクの花はみんな同じように見えるから、細部のことについてはあまり関心が向かない。 
            リュウノウギクの葉
 葉はふつう3中裂、まれに3浅裂し、大きな鈍歯があり、表面は緑色で短毛があり、裏面は密に丁字状毛があって灰白色。葉の基部はくさび形(日本の野生植物ほか)。写真では素直な3裂の葉はあまり見られない。
 
     
 竜脳とは  
 
 香は焼香供養に欠くことのできない儀礼品の一つとして仏教と同時に将来したものと考えられていて、その中で竜脳はわが国では沈香、白檀に次いで早くに中国からもたらされた(香料 日本のにおい)とされる。化学名はd-ボルネオール(d-Borneol)、化学式はC10H8O。、ボルネオ樟脳(ボルネオ・カンファー)の名もある。樟脳にやや似た清涼感のある香気をもった白色結晶とされる。

 基源植物はマレー半島、スマトラ、ボルネオの熱帯降雨林に分布するフタバガキ科リュウノウジュ属の常緑大高木であるリュウノウジュ(竜脳樹)Dryobalanops aromatica で、古くは老木の樹幹に自然に析出する結晶を伐採・採取し、その後に需要が高まると粉砕した材を熱して脳分を昇華させる手法(昇華法)が11世紀頃から採用されたという。
 
 
 竜脳の利用  
 
 古代の原住民は天然の結晶として得られた竜脳を経験的に額に塗って頭痛薬などに利用し、後にインド人、中国人、アラビア人が薬用香料としての価値を知って交易に参入するところとなって、竜脳生産が盛んになったという。この竜脳に関しては中国の玄宗皇帝や楊貴妃にまつわるエピソードが伝えられているほか、マルコ・ポーロの旅行記にも記されているといわれ、中国、ヨーロッパでは古くからてんかん、頭痛、内臓痛、眼痛、歯痛の薬として知られていた(世界大百科事典)。またアラビア人は食べ物の香り付けにもした。しかし、12・3世紀頃、中国の福建・広東地方で、クスノキ材から安価な樟脳が代替品として採取され始めて、次第に竜脳を駆逐し、さらに17世紀(江戸時代)には日本でも樟脳生産が伸びて中国産の樟脳に取って代わった経過があり、20世紀に入ってからは竜脳採取はほとんど行われなくなったとされる。

 現在、国内で使用されている竜脳はほぼ全量が合成樟脳からの合成品と思われるが、天然竜脳として販売されている製品も随分見かける。原料としている合成樟脳の原料が樹木から得られるテレピン油であるから〝平然〟天然と称しているフシがあり、内情を知らない素人に対しては誠実ではない印象がある。

 竜脳の伝統的な用途としては、焼香、線香、匂い袋、墨の付香が知られているほか、お馴染みの仁丹救心などにも配合されている。中医法では今日も竜脳を樟脳などと混合して薬用にされ、神経を刺激し、穏和な止痛効果があり、神経痛や各種の炎症に対して使われ、脳出血や熱による昏睡、頭痛、のどや口内の炎症、歯痛、痔、火傷など、各種の病気に対して用いられる(世界大百科事典)という。
 
     
<参考:竜脳に関するメモ>  
 
 ボルネオール borneol は、リュウノウ(竜脳)ボルネオ樟脳ともいう。樟脳様の芳香をもつ葉状または板状晶の白色個体。昇華性が強い。ボルネオールには、d-, ℓ-,dℓ- の光学異性体が存在するが、天然に存在するのはd-体とℓ-体である。d-ボルネオールは竜脳樹 Dryobalanops aromatica をはじめ種々の精油中に、 ℓ-ボルネオールはキク科のリュウノウギクや Blumea balsamifera の精油などに、イソボルネオールはアリサンヒノキなどの木精油 wood terpentine に含まれている。樟脳を還元するとボルネオール、イソボルネオールの混合物が得られる。(世界有用植物事典)
:樟脳自体が現在ではほとんどがテレピン油から合成されている。 
 竜脳の名は、中国人が古来最も目出度いと想像されている龍の頭の中の「脳」にあたるものと考え、竜の脳、即ち竜脳という最高級で最高貴な美称を与えていたのである。(香料 日本のにおい) 
 
 
<参考:竜脳樹に関するメモ>  
 
 竜脳樹は先に触れたように特定の樹種を指すが、竜脳成分は竜脳樹ほか同属の他種にも含まれている中で、特に竜脳樹に多く含まれていることから、これが龍脳の採取源とされてきた模様である。竜脳樹の呼称は国内では全く馴染みがないが、同属の樹種については木材利用の分野ではカプール又はカポールの呼称が広く一般に知られている。 
【世界有用植物事典】
リュウノウジュ: Dryobalanops sumatrensis , Dryobalanops aromatica 英語名 Borneo Camphor Tree
マレー半島、スマトラ、ボルネオの熱帯降雨林に分布する(フタバガキ科の)常緑大高木で、この属の最も代表的な樹種である。樹体内に竜脳を多く含み、芳香が強い。竜脳はもっぱら本樹から採取された。 
【カラーで見る世界の木材200種】
プール、カポール、ボルネオカンファーウッド(Borneo camphor wood)、Kapur、Kapor
学名Dryobalanops aromatica , D. beccarii , D. fusca , D. keithii , D. lanceolata , D. oblongifolia , D. rappa など。一般的によく知られているのは、上記の7種で、スマトラ、マラヤ、ボルネオなどに分布。
用途:建築、床板、車輌、構造物、家具、比較的早い時期から合板用材として使われるようになった。
D. oblongifolia は材が乾燥するとにおいが消え、D. keithii には香りがないとされる。しかし、これらの樹種は植生上極めて少ないので、市場で見るカポールはほとんど樟脳の匂いがあると見てよい。(熱帯の有用植物) 
【知の遊びコレクション 樹木】
リュウノウジュ(カプール) Dryobalanops aromatica
樹高:33mになる
樹種:常緑樹
自生地:マレー、ボルネオ、スマトラ
巨木で径2mをこえるものが多く、材木や竜脳をとるために重要な供給源であった。樹皮は赤みを帯びてはがれやすい。葉は緑色、革質、ろう質、三角形から心形、花は円錐花序、花弁は白色、ロゼット状、雄しべは黄色で約30本。果実は平滑、堅果。 
 
 
<参考:中国での呼称>  
 
 「竜脳(龍脳)」の呼称はもちろん中国伝来の語であるが、中国では一般に「冰片(氷片)」と呼んでいて、その他の名として、片脑(片脳)、桔片、龙脑香(龍脳香)、梅花冰片(梅花氷片)、羯布罗香、梅花脑(梅花脳)、冰片脑(氷片脳)、梅冰(梅氷)、瑞脑(瑞脳)、腦子(脳子)、天然冰片(天然氷片)、老梅片、梅片等の名を見る。

 上記の名称中、花、梅、梅花の文字は、竜脳の結晶がしばしば薄片状となることに由来し、冰(氷)の文字は結晶の色合いに由来するものと思われる。

 なお、中国では「フタバガキ(双葉柿)科 竜脳樹」の呼称は「龙脑香科(竜脳香科)龙脑香树(竜脳香樹)」であるが、実はかつては日本でもフタバガキ科を龍脳科としていた時代があったようである。 
 
     
 リュウノウギクは竜脳を含有しているのか  
 
 リュウノウギクの葉を揉んでクンクンしてみると、確かにクスノキのような強い香りはないが、軽い清涼感のある香りの存在は確認できる。しかし、客観的なデータがなければ本当に竜脳の成分を含んでいるのかはわからない。そこで調べてみれば、幸いにもリュウノウギクの精油成分を分析した論文を目にすることができ、間違いなく竜脳成分のボルネオールが含まれているのが確認された。主たる成分は以下のとおりとなっている。  
 
 リュウノウギク精油の主たる成分 (松尾、内尾、中山、林による)  
成分 メモ(最新香料の事典ほかによる)
(ℓ-)カンフェン(Camphene) 4.8 温和な樟脳様香気の無職液体。多くの精油に存在。樟脳、サンダルウッド系香料の原料として重要。調合香料、フレーバーにも少量用いられる。
(dℓ-)カンファー(Comphor) 4.5 特有の香気を有する半透明の昇華性のある粒状結晶。クスノキから得られる天然樟脳は d-体。消炎、鎮痛など医療目的に多用される。香料としては焼香陽、ミントフレーバーの変調剤、ボルネオールの製造原料として使用される。
:クスノキ精油の主要成分であるともに、樟脳成分そのものである。
ボルネオール(Borneol) 2.6 弱い樟脳様香気の白色結晶。d-体は竜脳樹に、ℓ-体は中国産竜脳草(注参照)に存在。薫香および墨の香料、香粧品、口腔剤、貼り薬などに用いられる。
リナリルアセテート(Lynalyl acetate) 2.1 酢酸リナリル。リナロールの酢酸エステルで、ベルガモット様の香りを持ち、香料として利用されている。クラリセージ、ラベンダー、ベルガモット、プチグレイン(ダイダイの枝葉)の精油の主成分。
ボルニルアセテート(Bornyl acetate) 6.8 モミ精油の主要成分としても知られる。
トランス-クリサンテニル・アセテート(trans-Chrysanthenyl acetate) 1.2  略
β-カリオフィレン(β-Caryophyllene) 7.5  略
ゲルマクレン-D(Germacrene-D) 21.0  略
T-ムロロール(T-Muurolol) 8.1  略
 
     
   これによれば、ボルネオールが 2.6 %となっている一方で、クスノキ精油の主要成分たるカンファーが 4.5 %、カンファーに似た香気があるとされるカンフェンが 4.8% とある。こうして、天然精油成分の香りは、多くの成分に由来する総合的なものであるから、素人の講釈は困難であるが、リュウノウギクの葉の香りはクスノキの葉の香りよりも軽い印象があるのは確かである。しかしながら、リュウノウギクに鼻に突きつけて、フムフム、確かにこれは竜脳の香りがするであるな・・・とわかればよいが、そこまではわからない。

 竜脳樹の竜脳は d-ボルネオールで、リュウノウギクは ℓ-ボルネオール、合成樟脳由来の合成竜脳は d ℓ-ボルネオールとややこしく、真正の竜脳は手に入らないし、体感的にこの辺のところを理解するのはハードルが高く困難である。

 次に示す写真は、薬用植物として植栽されていたリュウノウギクの説明看板である。何れも用途は「浴湯料とされているが、有効成分の記述振りが少々異なっている。
 
     
 
:  メモ欄でボルネオール(竜脳)を含む植物として「竜脳草」が登場しているが、中国植物誌には該当がない。たぶん、中国等に分布するキク科ツルハグマ属の多年草タカサゴギク(高砂菊)Blumea balsamifera (L.) DC.と思われる。中国名は艾纳香(がいのうこう 蓬納香)である。ボルネオールの原料となることから、冰片艾(氷片蓬)の名があり、インド、パキスタン、ビルマ、タイ、インドシナ、マレーシア、インドネシア、フィリピンに分布する(中国植物誌)という。  
 
     
  民間薬としてのリュウノウギクの利用   
     
   民間療法として、膨大な数の植物が利用されてきたことが知られているが、リュウノウギクについてもいつの時代からなのか、あるいは地域性があったのか等の詳細は確認ができないが、湯浴料として利用されてきたとされる。このため、薬用植物園ではお馴染みの植栽植物となっている。ただし、リュウノウギクは漢方では使われないし、もちろん生薬名もない。     
     
 
           某薬科大学の看板(既製品?)
 成分としてdℓ-カンファーとしているが、これは合成樟脳を意味するから表記としては疑問である。
           都立薬用植物園の看板
 こちらでは、成分を特定せずに「精油他」としている。 
 
     
 
【原色牧野和漢薬草大図鑑(抄】
薬用部分:全草。秋の開花中に全草を刈り取り、陰干しする。
薬効:竜脳菊は薬用浴湯料として冷え症、腰痛、リウマチ、神経痛などに用いられる。
使用法:浴湯料として、1回量500gを目安に、木綿の袋に刻んでつめ、水のうちから浴槽に入れ湯を沸かす。 
精油分の ℓ―カンフェン、dℓ―カンフェンの成分が、皮膚を刺激し血行をよくします。(東邦大学薬学部) 
リュウノウギクの葉をすりつぶし、ショウガを混ぜたものは肩こりや腰痛に効くという。(野に咲く花)  
 
     
   なお、参考としてカモメギクの葉を揉んで嗅いでみると、何と似たような香りがあることを確認した。そこで調べてみれば、竜脳の香りに関しては、日本の自生するキク属の植物の多くに共通するもの(日本の野菊)とあるから、リュウノウギクに限ったものではないようである。ということは、リュウノウギクでは竜脳成分が比較的多いということなのかも知れないが、正確には成分比較のデータがなければわからない。    
     
 リュウノウギクの名前   
     
   リュウノウギクの方言を調べてみると、こぎく、ぜにぎく、にがふつ、にがふっ、のぎく、やまぎくの名を確認できる。(日本植物方言集成)

 やはり、野菊は似たようなものがたくさんあって、地方名ではマニアックな区分はしないから、上から目線の学者の立場からすると、標準的な和名とするにふさわしいものがないという受け止めとなるのかも知れない。

 これは想像であるが、冒頭でも触れたとおり、リュウノウギクの名前は国内での呼称(地域名)に由来するものではなく、教養に溢れた権威ある学者が中国における教養・用語を踏まえて新たに名付けとものと思われる。

 結果としてのリュウノウギクの名は一長一短が生じている。困ったことは、竜脳菊といっても、誰も龍脳の香りを知らないという奇妙な結果を招いたことである。一方、決してメリットというわけでもないが、逆に、この香りから自信を持てないとしても龍脳の香りを妄想するという、想像力を刺激する材料を与える変な効果をもたらしており、これはまた、科学的であることは間違いない。 
 
     
 リュウノウギクの丁字状毛   
     
   リュウノウギクを含む複数のキク科キク属の植物で、丁字状毛 T字状毛とも)と呼んでいる竹とんぼのような形態の毛が特に葉の裏に密生していることが知られている。植物の葉の毛の機能自体の詳細はまだ十分には解明されていない模様であるが、丁字形であることの特性、有利性が何なのかは興味を感じる。グミ類の鱗状毛星状毛と並ぶ面白い形態の毛である。図鑑では葉裏は丁字状毛が密生すると記述しているのがふつうであるが、実は株全体に丁字状毛がある模様で、特に葉裏に多いというのが本当のようである。 丁字形の水平部分は、扁平で両端が尖っているから、喩えて言えば180度に開いた腕時計の針のようである。   
     
          リュウノウギクの葉表           リュウノウギクの葉裏 
   
      リュウノウギクの丁字状毛 1(葉裏)     リュウノウギクの丁字状毛 2(葉裏) 
 
     
 
         リュウノウギクの丁字状毛 3(葉裏)     リュウノウギクの丁字状毛 4(葉表) 
 
     
   図鑑によれば、同様に葉に丁字状毛を有するものとして、キク科キク属のイソギク、シオギク、サツマノギク、ノジギク、ナカガワノギク、オキノアブラギク、シマカンギク、イヨアブラギクの名が掲げられている。    
     
 
 中国産とされている「竜脳草」の存在について確認できない。
 草本では、中国等原産の和名タカサゴギク、中国名「艾纳香(がいのうこう 蓬納香)」 Blumea balsamifera (L.) DC.  が竜脳の原料となることで知られている。キク科ツルハグマ属(菊科 艾纳香属)の多年草で、竜脳の原料となることから冰片艾(氷片蓬)の名がある。中国、インド、パキスタン、ビルマ、タイ、インドシナ、マレーシア、インドネシア、フィリピンに分布する(中国植物誌)。
 竜脳草は、日本の一部におけるこの植物の慣用名かも知れない。