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続・樹の散歩道
  バクチノキの虫えい果
  (あるいは単なる果実乗っ取りの犯行現場)


 バクチノキは樹皮の様子が樹木の中ではダントツの衝撃的な印象があり、大径木であれば、しばし目が釘付けとなるほどに個性的である。自然林で突然眼前に現れるヒメシャラの大径木といい勝負である。また、花はウワミズザクラやシウリザクラなど(サクラ属)と近縁(バクチノキ属)で、総状花序がやや似ていて、果実は赤紫色に熟すことなども承知はしていたが、お試しで一度種子を植えてみようと考え、都内日比谷公園のバクチノキに狙いを定めることにした。 【2019.7】 


 まずは1月下旬に果実の様子を見ると、大きさに随分バラツキはあったものの(実はこのことが既に尋常ではない事態を示していた。)、大きなものは既に赤紫色となっていた。しかし、図鑑によれば、果実は(開花の翌年の)5月頃に熟すとある。

 そこでしばらく辛抱し、4月の中旬に様子を確認した。すると、1月下旬に見られた大きめの果実はすべて姿を消していて、小さな歪んだ形の果実が不均一な色付きのままで存在するのみであった。樹下を見れば、大きめの果実(要はふつうの成熟果実である。)はばらばらと落ちていて、既に果肉がほとんど消失していた。ということは、落果してから少なくとも1か月以上の期間が経過したことを物語っていた。図鑑の記述が変なのか、何らかの理由で早めに落果してしまったのか・・・

 この状態を不審に思いつつ、奇妙な小さな果実を次々に採って割って見ると・・・・・
 何と!この時点のすべての果実はタマバエの餌食となっていた!
 つまり残っていた果実は正常な生育を示しておらず、小振りで歪んだ形態で、色も緑色又は一部のみが赤紫色となっており、これらの果実はすべてが虫えい果≠ナあった。
 
 
 バクチノキの様子  
 
    バクチノキの樹皮 1 
 延岡市行縢(むかばき)神社の大径木である。説明看板には樹高35m、幹周330センチとしている。
     バクチノキの樹皮 2
 個体差はあるが、これは見事な色である。
    バクチノキの樹皮 3 
 バラ科バクチノキ属の常緑高木
 Laurocerasus zippeliana
 種小名は残念ながら人名から。
 
 
        バクチノキの樹皮 4 
 小石川植物園の植栽樹である。
         バクチノキの樹皮 5 
   小径木でも個性を示している。
 
     
       バクチノキの葉
 葉柄の上部に2個の蜜腺が見られる。かつては葉を蒸留して薬用(咳の薬)のばくち水を作ったという。 
      バクチノキの花 1(開花初期)
 雄しべが長い上ににぎやかでよく見えないが、花弁は5個あり、萼筒は浅い杯型。(9月下旬)
 
 
 
               バクチノキの花 2(10月中旬)
 
              バクチノキの花序(10月中旬)
 雄しべは多数あり、雌しべは1個。写真右側の葉でわかるように、葉柄の上部には、サクラの葉のように蜜腺が見られる。 
 
     
 比較用:ウワミズザクラの花序(サクラ属)    比較用:シウリザクラの花序(サクラ属)
 
 
 以上はあちこちで見かけたバクチノキの様子である。

 左の写真の果実は、今改めて見れば、ほとんどが正常な果実であったことがわかる。

 図鑑では一般に、果実はゆがんだ長楕円形としているが、特に歪んでいるという印象はない。 
       バクチノキの果実  
 
 
   以下は日比谷公園で見たバクチノキの果実である。   
     
   
    バクチノキの正常果実と虫えい果
 小さな歪んだ果実はすべてタマバエに乗っ取られた虫えい果であることがわかった。(1月下旬)
    バクチノキの虫えい果
 正常な果実はすべて落果し、残ったものはすべて小振りの歪んだ虫えい果であった。(4月中旬)
 バクチノキの虫えい果の存在については認知度があまり高くないようである。  
   
   
     バクチノキの正常果実と種子
 果実は核果とされるが、内果皮は堅くないため、果肉もろとも簡単に剥ぎ取ることができる。種皮を剥がしたし種子は白色で無胚乳、2個の子葉は落花生のようである。1月下旬の様子であるが、既に成熟していると思われる。
    バクチノキの種子
  種皮に包まれ種子で、落花生と全く同じ印象である。
 4月下旬に落下していた果実からほとんど消失していた果肉と内果皮を剥ぎ取った状態である。
   
   バクチノキの虫えい果の様子
 虫えい果は色付きが不均一で、小さく、歪んでいる。 
    バクチノキの虫えい果の断面
 虫えい果には各1匹のタマバエの蛹が見られた。蛹は灰色の柔らかい布団≠ノ包まれている。 
 
 
 さて、この虫えい果を何と呼び、さらにその形成者を何と呼べばよいのか。

 一般性のある呼称は、虫えい果は「バクチノキミフシ又はバクチノキミミドリフシ(博打の木実緑フシ)」、形成者は「ダイズサヤタマバエ(旧バクチノキミタマバエ)」と理解すればいいようである。

 ここで、突然の「ダイズ」の名が登場するのは、次のような事情があることがわかった。

 湯川淳一ほかの編著による日本原色虫えい図鑑(1996,全国農村教育協会)では、バクチノキの虫えい果を「バクチノキミミドリフシ」(異名:バクチノキミフシ、バクチノキミチビフシ)とし、形成者を「バクチノキミタマバエ」としている。

 ところが、虫えい同好会の掲示板で、湯川淳一氏が次のように最近の知見を紹介している。

 「これまで、色々な植物のゴールから採集した Asphondulia 属のタマバエの幼虫の DNA を解析し、合致するものがあれば、そのタマバエの夏寄主や冬寄主を決定してきました。例えば、ダイズサヤタマバエ Asphondylia yushimai は夏〜秋寄主として、ダイズやマメ科植物の莢にゴールを作り、秋〜冬寄主としては、バクチノキ(バラ科・バクチノキ科)やヒイラギ(モクセイ科)の実にゴールを形成して、1年の生活環を完成させています。」
注:ダイズサヤタマバエがダイズに形成する虫えい果には「ダイズサヤクビレフシ」の名がある。

 つまり、従前、バクチノキに虫えい果を形成するタマバエに対して命名されていた「バクチノキミタマバエAsphondylia sp.)」は、ダイズなどに虫えい果を形成する「ダイズサヤタマバエAsphondylia sp.)」と同一種のタマバエであったということである。しかも、このタマバエは3科(マメ科、バクチノキ科、モクセイ科)の植物にわたって、それぞれ虫えい果を形成するというから驚きである。

 ここで、虫えい果の形成者名が、「バクチノキミタマバエ」よりも「ダイズサヤタマバエ」の名が優先されているようにみえるが、単に一般性の高いダイズの名を優先的に採用しているものと思われる。
注:  虫えい果の色は観察したものでは部分的に赤紫色となっていることが多かったから、バクチノキミミドリフシよりもバクチノキミフシの名の方が馴染むと思われるから、ここでは後者を使用する。 
 
 
 ダイズサヤタマバエ(バクチノキミタマバエ)の蛹と成虫の様子  
     
   4月中旬に採取した虫えい果の蛹及び蛹から羽化したダイズサヤタマバエ(バクチノキタマバエ)の様子は以下のとおりである。    
     
ダイズサヤタマバエの蛹・背面 ダイズサヤタマバエの蛹・側面 ダイズサヤタマバエの蛹・腹面
 
 
  ダイズサヤタマバエ(バクチノキミタマバエ)の成虫 A 
 双翅目タマバエ科の蚊に似たハエ Asphondylia yushimai
 本種はダイズなどのマメ科作物の鞘に被害を及ぼす害虫として広く知られている。
 
  ダイズサヤタマバエ(バクチノキミタマバエ)の成虫 B 
 
  ダイズサヤタマバエ(バクチノキミタマバエ)の成虫 C(腹側) 
 平均棍が確認できる。
 
 
 ダイズサヤタマバエ(バクチノキミタマバエ)が羽化した後のバクチノキミフシの様子   
 
     バクチノキの虫えい果
 4月中旬に採取した虫えい果からタマバエが羽化した様子である。蛹殻を残す方式は、虫えいを形成するタマバエの共通パターンのようである。脱出部位の周辺は暗褐色に変色している。 
     バクチノキの虫えい果
 4月下旬に現地で見ると、既にほとんどの虫えい果で羽化が終了し、蛹殻が残っていた。さらに、5月上旬には、タマバエにとって要ナシとなった空の虫えい果は、多くが萎んだ状態となっていた。
  
 
 
   正常果はとっくの昔に落果している中で、タマバエが寄生した虫えい果のみがしばらく樹上に残るということは、タマバエ自身が羽化が終了するまでは虫えい果が残るようにコントロールしてきたということになる。
 虫えい果が正常な果実より長く残る風景は、アオキの虫えい果の場合と同様である。 
 
     
 4  バクチノキの果実に関する図鑑の記述  
     
   バクチノキの果実に関する図鑑の説明が少々わかりにくい。内容は定型的であるが、その例は以下のとおりである。   
     
 
改訂新版 日本の野生植物  果実(核果)は歪んだ長楕円体形で、長さ15−20ミリ 。翌年の初夏に熟す。
原色日本植物図鑑  核果はゆがんだ長楕円形、長さ1.5センチ。翌年の初夏に紫黒色に熟す。 
樹に咲く花  果実(核果)は長さ1.5センチほどの長楕円形。翌年の5月頃に熟す。 
APG原色樹木大図鑑  果実は歪んだ卵形から楕円形、長さ1.5〜2センチ 
 
     
   果実についてはそれほど詳しい記述は見られないが、歪んだ(長)楕円形であるとしている場合が多い。しかしながら先に学習した範囲では、正常果については歪んでいるといった印象はほとんどなく、明らかに歪んでいるのは虫えい果である。

 ひょっとすると、虫えい果の形態が図鑑の記述に影響しているのではないだろうか。さらに、果実の成熟時期に関しても、初夏あるいは5月に熟すとかの記述が見られるが、都内でも遙か前に熟して落果していおり、この頃に見られるのはタマバエが羽化した後の虫えい果のみであるから、果実の成熟時期に関する記述も虫えい果が影響しているように思われる。  
 
     
 5  バクチノキの発芽試験   
     
   取り播してみたが、残念ながら成功していない。   
     
【追記 2021.4】   
     
   2021年に改めて観察対象としていたバクチノキの果実の様子を確認してみた。

 まずは1月初旬(果実はもちろん2020年に受粉・結実したものである。)に見てみると、果実は成熟前であるものの、2019年の時とは大違いで、ほとんどが健全な果実で、虫えい果らしきものは全く目に入らなかった。

 つまり、ダイズサヤタマバエ(バクチノキミタマバエ)による果実の被害は年によって随分変動が大きいことを知ることになった。ついでながら、まだ未成熟状体と考えられる果実が多数のヒヨドリの餌食となっているのも確認できた。 
 
 
  バクチノキの健全果実(1月初旬)
 一見すると成熟果実のような色合いであるが、一般には初夏に成熟するといわれていて、この時点では果肉はまだ硬い。
  果実をむさぼるヒヨドリ(1月初旬)
 多数のヒヨドリが鈴なり状態となって、果実をむさぼっていた。鳥は果実の成熟時期を承知しているはずであるが、バクチノキの場合はやや未成熟でも気にしないようである。まあ、どっちにしても丸呑みであるが・・・ 
 
     
   次に、虫えい果がどの程度あるのかを見極めるために、4月初旬に見てみると、ヒヨドリに相当食べられた思われるが、果実は樹上にはほとんど見られず、地上に多数の変色した落下果実が見られた。この時点で、既に果実の成熟時期を過ぎていたようである。

 樹上を子細に見るも、果肉が柔らかくなったわずかな成熟果実と(目が届く範囲では)1箇所の小枝でわずかな数の虫えい果を確認できたただけであった。やはり、この年は微害であった。 
 
     
 
 落果後の果柄の残った小枝の様子(4月初旬)
 成熟果実はほとんどが落果していた。 
 わずかに見られた虫えい果(4月初旬)
 虫えい果はやはり不規則にゆがんだ形で、一部分だけに赤味がある。赤矢印は既に羽化した蛹の殻である。その他の虫えい果にはそれぞれ羽化間近な茶褐色の蛹が1匹ずつ収まっているのを確認した。