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続・樹の散歩道
  ブナの実クッキーが一般に販売されていない理由


 別項でカヤの実を使ったカヤの実クッキーを試作して、記録に留めたところであるが(こちらを参照)、これには市販品も見られた。しかし、いかにもありそうな印象のあるブナの実クッキーを探索すると、趣味的に焼いたレポートをしばしば見かけても、市販品に関しては皆無である。ブナの実は美味しいという講釈を目にしたり、耳にしたりするにもかかわらず、不思議なことである。高級クッキーとしても存在しない。Beechnut Cookies やBeechnut Pie のレシピは英語サイトでも確認できるが、製品は見当たらず、Beech Nut の名のベビーフードの会社を目にするのみである。そこで、ブナの実クッキーが販売されていない理由を実践的に考察してみた。 【2018.7】 


     若い果実をつけたブナの樹の様子
 ブナは北海道南部〜九州に分布するブナ科ブナ属の落葉高木 Fagus crenata
            ブナの若い葉
 若い葉には幼葉時の毛がしばらく残り、やがて葉脈部を除いて脱落する。側脈を単位にじゃばら折り状態となっているのは、当初の展開の経過によるものである。 
   
          美しいブナの黄葉
         裏日本系のブナの大きな葉
 裏日本系のブナは葉が大きいことが知られていて、この葉では葉身が15センチほどあった。 
 
 
 まずは頭で考えた理由  
 
 頭で考えた理由その1

 そもそもブナの木は庭木なるようなものではなく、人の生活・居住空間に存在しないのが普通で、銀杏を拾うような調子でブナの実を手に入れることは困難である。
 たまに緑化樹として、比較的広い公園に単木的に植栽されている姿を見かけることはあるが、こうして植栽されたブナが実をつけている姿に遭遇したことはなぜか一度もない。だからといって、ブナの実を求めて、当てもなく山をさまよい歩くなどあり得ないことである。

 頭で考えた理由その2

 仮に身近なブナが実をつけるようなことがあったとしても、全く目立たないから見逃す可能性が非常に高く、また、実の付け方も不定期(特に実を付けた翌年は必ず不作となる。)であることが知られていて、なお、出会いが困難なものとなっている。

 理由はこれだけで十分と思われ、とても事業的な規模で安定的に素材を確保することなど困難であろうと思われるが、実は、さらなる困難が待ち構えていることを知るところとなった。
 
 
 ブナの芽吹きから開花に至る経過  
     
 ブナの観察しやすい個体があったため、以下に芽吹き以降の様子をフォローしてみた。  
     
  (ブナの葉芽と混芽の芽吹きから開花に至る経過と果実の成熟経過)  
       ブナの葉芽 1
 芽鱗に包まれた細長い葉芽が膨らみ始めた様子である。托葉に包まれた葉が現れている。
       ブナの葉芽 2
 葉はじゃばら状に畳んだ状態で収まっていたことがわかる。
       ブナの葉芽 3
 葉が展開し始めた様子である。葉の両面は産毛のような白い軟毛に覆われている。
     
      ブナの混芽 1 
 膨らんできた混芽の様子で、混芽には複数の雄花序・雌花序・葉が収まっている。
      ブナの混芽 2 
 白色の毛のボンボンのようなものが個々の若い雄花序で、成熟すると柄が伸び出て垂れ下がる。 
     ブナの混芽 3        
 雌花序はよく見えないが若い葉が先端に見える。白い毛が何に由来するのかは後出。
 
 
   写真を撮った後に、後追いで図鑑を見てブナの雄花と雌花に関する説明を見ると、細部に関しては少々わかりにくい。以下は図鑑で学習した上で、可能な範囲で写真に説明を付してみたものである。   
     
 
         雄花序と雌花序の様子
 葉は既に大きく展開している。雌花序は太い柄をもっていて枝の上方を向き、雄花序は長い柄で垂れ下がる。  
              雄花の様子
 雄花の花被は鐘状で長軟毛があり、先端は6裂、縁は紫褐色で、写真ではわかりにくいが、雄しべは12個あるとされる。
   
           1個の雌花序の様子
 緑色の太い毛のように見えるのは総苞の鱗片(総苞片とも)で、総苞内には2花があって、それぞれ3個の淡紅色の花柱をもつ。  
            受粉後の雌花序
 受粉後の雌花序を横から見たもので、基部からは幅の広い鱗片が出ている。頂部の花柱は既に萎びている。
 
     
 
メモ:   ブナの場合、雌花序の「総苞」のイメージがとらえにくい。線形の柔らかい多数の鱗片にびっしり覆われているからである。

 わかりやすいクリの場合を例にすると、クリの雌花も総苞(若いイガ、若い殻斗)の中に3個入っているとして一般に表現されていて、成熟果実ではトゲのあるイガは殻斗と呼んでいる。ブナの場合も花の段階では若い殻斗を「総苞」と呼び、果期の段階では「殻斗」と呼んでいるのがふつうである。

 図鑑では、ブナの総苞のペラペラは
鱗片又は総苞片と呼び、クリの総苞の針状のもは鱗片、殻斗の針状のものをトゲ、クヌギ・アベマキ・カシワの殻斗のペラペラを鱗片又は総苞片と呼んでいるなど、用語が統一されていないため戸惑いを感じる。

 なお、ここで登場した樹種で、雄花序、雌花序を通じて「苞」についても図鑑でしばしば言及されているが、一般に写真で示されていないために、何を指しているのかよくわからない。  
    比較用:クリの花期の雌花(雌花序)の様子
 総苞の中に3個の雌花が収まっている。先端部の多数の白い針状のものが花柱である。この段階で基部で見られる平たい線状のものは鱗片と呼んでいて、総苞を覆う針状のトゲはまだ伸び出していないように見える。
 
     
 ブナの果実(堅果)をじっくり検分する  
 
   総苞(殻斗)に包まれたブナの果実(堅果)の微妙な形態については言葉で表現するのが難しいため、以下に整理した写真で見てみる。    
     
 
                 豊かに実(堅果)をつけたブナの樹の様子
 
     
         若い果実
 堅果を包む総苞は次第に硬くなる。
     ほぼ成熟した果実
 ほぼ成熟した状態で、総苞(殻斗)は木質化している。
     殻斗が裂開した状態
 堅果は2個入っているが、写真のものは1個が既に落果した状態である。 
     
     
     堅果が脱落した殻斗
 殻斗の底部には、種子のへそが付着していた三角形の痕跡が残っている。
    裂開前の殻斗の形態
 観察し易いように鱗片を落としたもので、上半部は決して四角錐状ではなく、全体は横方向から押しつぶしたようなやや扁平した形態である。
    開き始めた殻斗の様子
 2個の堅果はややずれた状態で密着して隣り合って4面を形成し、これに殻斗の内側の4面が向き合っていたことがわかる。
 
 
4   ブナの実の採取   
     
    ブナの種子(堅果)は殻斗が裂開すればバラバラと落としてしまうから、殻斗が開く前の褐色の成熟果実を採取するのがふつうと思われる。一晩から二晩も放置すれば、殻斗は大きく裂開して、種子(堅果)は簡単に集められる。  
     
 
                   ブナ果実の殻斗が平開した状態
 種子(堅果)は2個、頂点を少しずらして張り付いた状態で殻斗に収まっている。
殻斗の裂片は中の2個の堅果がつくる4面と密着していたことがわかる。しいなも随分見られたのは、決して豊作年ではないことによるのかも知れない。また、種子は通常は殻斗に2個入っているが、しばしば2個の正常な種子と1個のぺしゃんこのしいなが入っているものが見られた。
 
                      ブナの種子(堅果)
 種子(堅果)は3稜形で、三角すいの底部の角を丸めたような形態である。
 
 
 ブナの実クッキーの試作  
     
 種子は軽くローストしてから外種皮むきに取りかかったが、とにかく小さい種子であり、労多くして成果品はわずかであり、途中でいやになってしまった。

 ひまわりの種子を上手に食べるハムスターであれば苦にならないと思われるが、率直に言えば、ここまで苦労してまで執着する食べ物ではないということがよくわかった。こんな仕事は中国でも引き受け手がいないと思われる。

 この体験を通じて、ブナの実を使用した菓子が販売されていない理由がよくわかった。採れる量が年により不安定であることはもとより、致命的なのは手間ばかりかかって、量産する菓子の素材としては全く不適当であるということである。

 しかし、今回はあくまで体験を通じた確認であるので、ありそうなのに製品を見かけることのない、「ブナの実クッキー」を試作してみることにした。
 
 
                  果皮から取り出したブナの種子の様子
 クッキー生地に練り込むためには、味を損なうことがないようにさらに淡褐色の薄皮(種皮)を剥ぎ取る必要がある。薄皮を取れば淡黄色の実が姿を現す。(写真の一部で薄皮が剥がれている。)
 
 
                   ブナの実クッキーの試作品 1
 
                    ブナの実クッキーの試作品 2
 
 
 ブナの実は小さいため、特に割らずに丸のままで練り込んで焼き上げた。ナッツのようなコリコリ感が生まれて、おいしいが、特段の個性はないようで、そのためブナならではの味の表現は見つからない。

 ブナ林は豊かな自然の象徴的な存在で、「ブナ」の語自体が魅力の光を放つため、「ブナの実クッキー」もいい響きがある。しかし、その手間を考えるとパタパタママが子供たちを満足させる量を手当てすることは全く困難と思われる。むしろ、時間的余裕のある田舎のおばあちゃんが、孫の喜ぶ顔を思い浮かべながら焼くというのがあり得るストーリーかもしれない。
 
 
  <参考1:ブナとイヌブナの葉と樹皮の違い>   
     
 
   
 ブナとイヌブナの葉の比較(葉表) ブナとイヌブナの葉の比較(葉裏) 
 
     
 
     ブナ(自生木)の樹皮
 地衣類の付着がふつうに見られる。
     ブナ(植栽木)の樹皮
 自生地と異なる環境での植栽木では地衣類の付着はふつう見られない。 
      イヌブナの樹皮
 ブナの樹皮が平滑であるのに対してイヌブナはいぼ状の皮目が目立つ。
 
     
<参考2:ブナ材の様子>  
 
 (ブナの材面の様子)  
 
    ブナの材面 1(板目面)
 やや淡色の材の例である。
    ブナの材面 2(板目面)
 やや濃い色の材の例である。
    ブナの材面 3(柾目面)
 柾目面では放射組織が写真のように現れる。
 
     
   ブナの材は案外身近な存在で、ダイニングテーブルを含む各種の脚物家具、器具、小物まで広く利用されている。また、パチンコの盤面の伝統的な仕様はブナ合板である。日常生活であまり意識されることはないが、積み木、引き出しのつまみ、ボディーブラシの柄、雪平鍋の柄、ヤスリの柄、ワイヤーブラシの柄などにも多用されている。やや硬めで均質な材であり、乾燥した状態での使用であれば耐久性があり、加工性も良好で、特に丸柄はろくろ加工(旋削)に適していることによるものである。かつて、ダイソーがドイツ産のヨーロッパブナを中国で加工したものとして、ブナ製の実に多様な小物を並べていたことがあって驚いたことがある。見た目にはヨーロッパブナ Fagus sylvatica の材は国産ブナと全く見分けができないから、いつの間にか生産量がほとんどない国産ブナから置き換わっていたようである。

 なお、聡太君のおかげで突然知名度が高まったスイスのキュボロ社の木製知育玩具(立体パズル)キュボロ Cuboro もヨーロッパブナ製のようである。
 
     
 
         ブナの拍子木の試作品
 ブナで拍子木を試作して、その音色を確認してみた。
 拍子木はやや硬めの材が向いており、ブナもその候補となり得る。  
       ヨーロッパブナの小物入れ   
 写真はダイソーで百円也のヨーロッパブナ製の小物入れである。ろくろ加工品で、百円は驚きである。
 同じくダイソーのヨーロッパブナ製の200円のペンシルケースについてはこちらを参照  
 
     
  【追記】 都内でブナの豊かな実(結実・堅果)を確認!   
   都内の公園等でブナが植栽されている例は少ないが、何と、皇居東御苑にブナが植栽されていて、しかもかなりの量の実をつけているのが確認できた。5メートルほど離れた状態でしか観察できないが、何とも意外な存在である。聞くところによると、気軽には覗けない皇居吹上御苑にもブナが植栽されている模様で、その樹もシンクロして結実しているかはわからないが、少なくとも近くの日比谷公園のブナは全く実をつけていなかった。ブナは結実の豊凶差が激しく、しかも豊作の周期が長いことで知られているためか、東御苑のブナは関係者からも忘れ去られていたようである。  
     
 
           東御苑のブナ 1
           東御苑のブナ 2
 胸高直径は30センチ弱である。 
   
           東御苑のブナ 3
 枝によって実の付き方に差があったが、これだけ結実すれば立派なものである。 
           東御苑のブナ 4 
 堅果、葉とも真正のブナである。葉はやや毛が多い印象であった。
 
     
  【比較用:日比谷公園のブナ】    
     
 
   
        日比谷公園のブナ 1
 こちらは結実が全く見られなかったが、そもそもこの個体で結実の経歴があるのかは不明。 
        日比谷公園のブナ 2 
 胸高直径は24センチほどである。