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木あそび
  水中花の謎
   通草紙の水中花は今でも健在なのか


 水中花に関しては情報が貧困で、その歴史について論じた資料がほとんど見当たらないのは非常に残念なことである。百科事典での解説を見ると、平凡社の世界大百科事典と小学館の日本大百科全書の水中花の執筆がいずれも斎藤良輔氏によるもので、要はこれについて講釈できる者が限られているということなのであろう。
 水中花はつかの間のはかない存在であり、古いものが残りにくいことで研究対象となり難く、研究らしい研究が見当たらないことにつながっているようにも思われる。かつては素朴な小物として海外にも輸出されたようであるが、実は水中花の素材に関しても実態論が不分明で、技術面についても想像しても少々わかりにくい部分がある。まずは、生き残っている製品の探索からである。【2014.9】  


   平凡社世界大百科事典の記述内容を引用すると以下のとおりである。(注:小学館の日本大百科全書の内容も同一人物が書いているため、ほぼ同様である。)   
     
 
【平凡社 世界大百科事典】水中花
ヤマブキの茎タラノキの芯(しん)細かい木片を彩色して小さく圧縮した細工物。これを酒や水の中に入れると泡をだしながら美しい花鳥や人形となって浮かんでくる。おもに各種の花を題材としたのでこの名がついた。江戸時代に中国から渡来したものらしい。延宝年間(1673‐81)のころから酒席の遊びとして杯に浮かべて楽しんだので、〈酒中花〉あるいは〈杯中花〉ともよばれた。1695(元禄8)刊の《西鶴俗つれづれ》(井原西鶴)には〈桜をあるとき酒中花にしかけて〉とあり、同じくその挿絵に〈長さき酒中花つくり花からくり〉と記した看板が描かれている。一種のからくり細工として長崎あたりから流行してきたらしい。明和年間(1764‐72)ころからは江戸の浅草寺(観音様)参道の楊枝店(ようじみせ)(美人を看板にしてようじなどを売った)でこの酒中花も売り、盛場の名物として流行した。現在は夏の景物玩具で縁日の夜店などで売られる。(斎藤 良輔) 
 
   
   この説明を読む限りでは、かすかな記憶にある小さな造花のような形態のものとは少々異なるように思われる。特に初期のものは杯等に入れたということであり、それならなおさらのことで、茎を持った花のように直立形態のものではななかったことは明らかである。説明文中では、花鳥人形が例示されていて、花であれば花冠の部分、その他いろいろなものを模して圧縮 して供されたものと受け止めるものの、具体的な構造についてはよくわからない。  
     
 1  水中花は現在でも存在するのか 

 「水中花」の語は名前を聞いただけで郷愁を感じるが、ずっとご無沙汰していて、先の百科事典で「現在は夏の景物玩具で縁日の夜店などで売られる。」としていても、そもそも夜店を覗く機会さえない。しかし、実店舗で造花タイプの水中花を取り扱っている例はあって、そのうちの2店舗の製品を検分してみた。浅草の「江戸屋」相模原の「海福雑貨」である。(どちらもネット通販も行っている。) 
 
     
 
             水中花の例             水中花の例
      AとBは左の写真の袋の中味    
 
     
   いずれの店も、実は同じ生産者による別仕様の製品を扱っていて、包装には以下の表記がある。

 WATER FLOWER  都(みやこ)の水中花 TRADE MARK (小鳥ちゃん(鳩笛?)の絵柄)
 MADE IN JAPAN  
 
     
   登録商標の検索では事業者が見つからないため、現在は存在しないことがわかるが、どこの事業者であったのかはわからない。MADE IN JAPAN の表記は実を言うと意外で、直感的には中国製と想像してしまった。

 @海福雑貨の扱いで、他に花が2輪ついたタイプがある。
 AB江戸屋の扱いで、この二つがセットになっていた。他に色違いの花をつけたものが見られた。 
 
     
   いずれも茎は造花用の緑色の被覆のある針金で、@Aの松葉様の葉は樹脂製である。Bの葉だけは繊維状の水苔風の素材で、これも造花用の定番パーツと思われる。この葉の素材の見極めは困難であるが、かつては万年苔(注)が利用されたといわれている。(注:コウヤノマンネングサ Climacium japonicum

 花の部分の構造の基本形は、例えればレザータッセルと同じで、帯状の素材の片側にフリンジ状の刻みを入れて幾重にも巻いている。この派生形で、色違いのものを雄しべのようなイメージで内側短冊状のものを束ねて芯にしたものが写真Aである。水中では特に外側のフリンジの幅が広くなって、あたかも花が開いたような形態に変化する。

 さらにフリンジ部分に変化を持たせるために、当初の帯状の素材を複数枚重ねて折り曲げた上に、外側を薄い素材で覆う構造としたものものが写真@で、水中で花弁部がリング状になって変化をつけている。フリンジ部分が放射状に広がるが、個々のフリンジの幅が広くなる印象はない。

 閉じた傘布のように、シンプルにプリーツ状にして巻いたものがBである。これは、それほど大きく広がる印象はない。

 花部分はいずれも茎の針金に糸巻きで固定されていて、手作業による作業風景が目に浮かんでしまう。ひょっとするとおばちゃんたちの内職かも知れない。

 なお、海福雑貨では、少し前には昭和20〜30年代に日本で製造され、欧米向けに輸出されていたと思われる水中花が手に入って販売していたたそうであるが、既に完売したとのことである。その中には magic weighted water flowers と表記のある花冠のみのタイプもあった模様である。むしろ、古い製品に関心があったので少々残念である。  
 
     
   外観の検分は以上のとおりであるが、基本的にはミニ造花の仕様である。したがって、先に紹介した百科事典の説明にいう「圧縮した細工物」とは既に様子が異なるものであることがわかる。しかも、杯に入れたとする酒中花については、その構造、メカニズムが全く想像もできない別仕様のものであろうことを無力に認識するのみである。    
     
   かつてのタイプの水中花(酒中花)に関する一つのヒントになると思われるものとして、国立民族学博物館収蔵の「水中花」としているものがある。収蔵の資料目録データベースとして写真付きで公開されていて、素材は不明であるが、多様な具材を使った太巻きを薄く輪切りにしたような印象である。幅5.0cm、奥行き7.7cm、高さ1.7cm、重さ10gとしていて、意外にもやや大きめである。江戸時代にはいろいろなタイプの製品があったのであろう。

  http://htq.minpaku.ac.jp/images/mo/H0/10/81/H0108118-0001-ima04-0.jpg
 
     
 2    水中花の素材

 素材に関しては、一つの店では和紙であるとし、もう一つの店ではであるとしていた。しかし、よく見ると繊維質の紙ではないことは明らかであった。水中花の素材に関しては、先に引用した百科事典ではヤマブキ、タラノキの髄木片を例示している。また、先に別項(こちらを参照)で引用したカミヤツデの説明事例ではカミヤツデの髄からつくられる通草紙が使用されたとする複数の例を目にしている。ということは、水中花の素材は、カミヤツデの髄を含む複数の植物の髄等が使用されたということになる。

 しかし、実態上はどうであったのかは確認の術がない。
 水中花は水に投入すると吸水・膨潤してみるみる花が開くように変化する点が魅力であり、乾燥・圧縮した植物の髄が利用されたというのは、実に上手な利用方法であると感心する。花弁状に刻まれた部分の幅の変化を見たところ、驚くことに水中では2倍以上の幅に拡大している(写真Aの製品の場合)のを確認した。

 しかし、ウィキペディアでは、「素材は古くは和紙製だったが、現代のものはポリエステル製である。」としている。
 古くは和紙製だったとしているのは疑問があり、和紙は吸水して大きく広がる性質はないから水中花の素材としては考えられない。また、台湾産のポリエステル素材として明記している製品も販売されているが、吸水して倍以上に広がるポリエステル素材の存在は知らないから、仮にポリエステル製のものが存在したとしても、水中花の素材としては本来期待される効果は発揮されないと思われる。
 
     
 3   「都の水中花」の素材は何か

 
さて、先の「都の水中花」であるが、これが仮にカミヤツデの髄に由来する通草紙製であるとすれば、単に「紙である」として説明してくれた店は(実際の認識がどうであったのかは別にして)決してひどく間違えてはいないことになる。
 植物の髄であろうことはおおよそ推定はできるが、直接的に同定する手段がないため、周辺から探ってみる。
 
     
 
 
       水中で膨潤した水中花の様子 1
  水に投入したAの水中花のオレンジ色の花が開いた様子で、花弁の幅が2ミリほどしかなかったものが2倍以上の幅に拡大している。水の中で半透明となって揺らいでいる姿は実に美しい。
 中心部の黄色の短冊状のパーツは、やや厚みが増すものの、幅方向にはほとんど変化がない。
           水中花のパーツ
 写真の上段は、Aの水中花の紫色の花(オレンジ色の花と同じ仕様)を解体して水に漬けて膨潤させた後に乾燥したものである。(黄色の中心部は省略。)
 
 写真の下段は、Bの花の一つを同様に解体して水に漬けて膨潤させた後に乾燥したもので、Aと同様に横方向に伸びている。   
 
     
 
   水に投入した@の水中花が開いた様子である。
 こちらのタイプは花弁の幅はほとんど変化がないが、基部が締め付けられた状態で厚みが増すために、結果としてこのように放射状にきれいに開くという仕掛けである。

 水中での反応はAの中心の黄色の部位と同様である。 
水中で膨潤した水中花の様子 2   
 
     
(1)   火をつけて燃やすと・・・

 石油化学製品のような黒煙や悪臭は全くなく、植物系の物質(セルロース)の燃焼を思わせる。セルロースを分解する酵素(セルラーゼ)を使えばはっきりすると思われるが、あいにく持ち合わせていない。
 
     
(2)  顕微鏡で見ると・・・(水中花の部材の微細構造)  
     
 

 写真Aの状態は、Bの写真を見たことで、画面の上下方向に圧縮されていたものであることがわかる。 

 さらに、Bは後出比較用のカミヤツデの髄の接線断面の写真とよく似ている。

 この比較から、Bの画面上下方向は、髄の軸方向であることが推定できる。 
A 水に投入する前の花弁部の様子
 
圧縮状態となっているため、構造がよくわからない。(Aのオレンジ色の花)
(上下方向が花弁の幅方向)
B 水で膨潤したものを乾燥したもの 
 規則性のある配列が確認できる。左のものが吸水して復元した状態である。
(上下方向が花弁の幅方向)
     
 C、Dの様子は、後出比較用のカミヤツデの髄の横断面の様子によく似ている。 
C  Aの水中花の中心のパーツ  D @の水中花の花弁の芯のパーツ
     


 接線断面で見られる柔細胞は、軸方向に行儀よく配列していることが確認でき、写真Bと同様である。

 こうした配列模様は、カミヤツデの髄でも、水中花のパーツでもよく見れば肉眼で確認することがきる。  
 比較用:カミヤツデの髄の柔細胞 1 
 髄の接線断面で、上下方向が軸方向である。
 比較用:カミヤツデの髄の柔細胞 2
 髄の横断面(木口面)で、大きな細胞がまるでプチプチのように見える。 
 
     
   国内で、樹木の髄が利用されている最も一般的な例は、顕微鏡の切片を作成する際に補助的に使用するピス(Pith 髄の意)で、ニワトコヤマブキの髄が利用されている。これらがが水中花に利用できるかであるが、ニワトコの髄(芯)はタンニンを含み褐色であるため、自由な色づけの障害になるから不適である。ヤマブキの髄は百科事典では利用されたとあり、色が白いのはよいが、細いのが難で、今回採り上げたようなタイプの水中花の帯状の素材として仕立てるのは困難である。タラノキの髄はまだ確認していないが、そもそも、国内での髄のシートの生産の例は全く聞かないし、考えられない。

 「都の水中花」の素材に関して断定はできないが、気泡の配列は化学製品とは考えにくく、通草紙である可能性が高いと考えられる。MADE IN JAPAN の表記がそのとおりであるとすれば、台湾産の通草紙の在庫又は中国産の通草紙を素材として国内で加工したものであろうか。

 「都の水中花」が本当の通草紙であるならば、水中花を製作する素材としては非常に脆弱で、決して使い勝手のよいものではないという印象を持った。つまり、乾燥状態で折り曲げれば簡単に割れてしまい、引っ張ればまた簡単にちぎれてしまう弱さは意外なほどで(石油系化学製品なら明らかにもっと強い。)ある。水に戻せば柔軟さが回復して取り扱いやすくなるのは明らかであるが、そんなことをしたら素材が膨潤してしまって、水に投じた際にみるみる大きく広がる製品には仕上がらない。細かい加工の難しさを感じた次第である。 
 
     
    気になる点が・・・

 水中に投入すると、花弁の部分で言えば、Aのタイプでは幅方向に2倍以上に増大したが、長さ方向にはわずかに伸びた程度で、厚みについてはほとんど変化が見られなかった。(Bのタイプも同様。)
 
 さて、このように吸水・膨潤に伴うサイズの変化の程度に方向性が見られるというのはどのように理解すればよいのであろうか。まず確認しておかなければならないのは、とりあえずサイズの変化と表現したが、正確には当初の形態への復元であって、伸びが大きいということは、それだけその方向に圧縮されていたということに他ならない。

 また、それ以前に、そもそも水中花の素材として、単に厚さ方向だけに圧縮された通草紙を使う限りは、水中では花弁の厚みが少し増すだけで、花弁自体が伸張することにはならないという重大なポイントに気付いた。そこで思いついたのであるが、仮に円柱状の髄を軸方向に強く圧縮・乾燥したものを桂剥きすれば、上下方向に膨張率の大きいシートが採取で得きるはすである。これを素材にして、花弁の刻みを帯状シートの長さ方向に切り込めば、横に大きく広がる花弁に仕上がるはずである。(Aの花弁の素材の伸張の方向性は、この考え方に一致している。)

 次に、@の赤い花弁と、Aの中心の黄色い部分についてであるが、顕微鏡で見た限りでは、いずれも髄を軸方向に圧縮したものを横に輪切りにしたような印象である。しかし、こうした方法では@の赤い花弁で見られるような長い部品が得られないという問題がある。 

 あれこれ考えてみるものの、水中花の素材用として、特別の仕様の通草紙が作成されてとは考えにくい。水中花の素材の調製、あるいは花が伸張するメカニズムを仕込む方法に関しては、よくわからないことだらけである。

 懐かしい水中花であるが、このおかげで難問を抱えてしまった。想像はしてみたが、本当のところは製作者に確認しなければよくわからない。さらに、江戸時代の圧縮した細工物としての水中花(酒中花・杯中花)は依然として謎のままである。

 とりあえずは本件は保留・先送りである。 
 
     
  <参考資料>

 【日本国語大事典】酒中花:
 酒席に興を添えるため、山吹の茎の髄などで花鳥などを造り、おしちぢめておき、酒などの中に浮かべるとふくれて開くようにしたもの。

 【日本の酒文化総合辞典】 酒中花:
 山吹の茎髄
で作った花鳥の形(なり)を酒に浮かせ酒を吸い込んで膨れ咲くのを興とした景物。浅草寺境内の楊枝屋でもこの酒中花売られ人気を呼んだと記録されている。
 酒中花の方たらうの木(筆者中:タラノキの地方名か?)の心に人形にても花鳥にても描き、剃刀にて絵なりに切まはしかすところは小刀にてほりて縁を絵の具にて彩色しむらなきやうに薄く切りたたみつける。(公益秘事大全) 
 
     
  <追記>

 英語サイトで水中花を発見!!

 英語の ウォーターフラワーWater Flower は一般的にはスイレンを指しているので、水中花を意識して使用されることはまれで非常に捉えにくいが、何と、戦後間もない時代に米国に輸出された水中花が、現在米国内のアンティークショップで販売されているのを確認した。日本国内ではまず手に入らないシロモノと思われる。事業者は米国イリノイ州ペカトニカに店を構えて、ネット通販も行っている Vintage Ville である。この事業者はよく勉強していて、製品の説明は一部疑問点もあるが、気味が悪いほど詳細にわたっていて、敗戦当時の日本の国内事情にまで言及している。以下は通販の販売カタログ写真である。( esnarf.com ) 
 
     
 
 左の写真は、販売時はぺちゃんこ状態の見たことのないタイプで、1940年から1950代のの製品としている。戦後間もない頃に、僅かながらのドルを稼ぐために家族労働で手づくりし、一生懸命に輸出したものとされる。

 米国内では悲しいことに多くの製品の小売価格が何と1セントであったことから、ペニートイ Penny Toy (1セントのおもちゃ)と呼ばれたのだという。 
販売品の水中花(Vintage Ville )   

 製品は小型の封筒入りで、その裏側には何と、 MADE IN OCCUPIED JAPAN(占領下の日本製)とある。たぶん、これが希少価値となっているようで、昔は1セントだったものが、現在の販売価格は何と12.85ドルである。
 その表記の上にうれしい発見があった。先の「都の水中花」と同じ商標(TRADE MARK)の小鳥ちゃん(鳩笛印?)が印刷されていたのである。当時から(あるいはそれ以前から)現在に至るまで生産を続けているということなのであろうか。 しかし、考えてみると、ひょっとすると現在販売されている「都の水中花」の事業者はすでに存在せず、在庫限りの販売となっている可能性も感じる。商標検索で見つからなかったのもそのせいかもしれない。
 
 販売事業者はこの水中花の詳しい説明をしていて、これが海綿(Sea Sponge )とライスペーパー(Rice Paper ここでは通草紙の意)と針金でできていること、ガラスに挟んで圧縮後に天日乾燥されて、平らな形状となっていること、ガラスコップに投入すると数分で花が開き、茎が立ち上がること等に触れている。

 ただし、海綿の利用に関しては聞いたことがないからよくわからない。 
   
   
                 水中花の見本(Vintage Ville )
 昔の日本の “よいこ” の顔のイラストも写し込んでいる。製品の紙箱あるいは個々の製品パッケージのチラシのイラストと思われるが、女の子の顔の下に上の製品と同じ鳩笛風のトレードマークが確認できる。先の「都の水中花」の鳩笛マークに似ているが、少々異なっているから、たぶん別の事業者であろう。六角形の鉢形の陶器製のおもりの形態は、現在国内の在庫として見るものと全く同じである。

 水中花の製造者としては、かつて「株式会社みさお製作所」の名の会社も存在したことが知られている。
     販売品の水中花
     
(Vintage Ville )
 パラフィン紙の袋入りである。
 
     
 上の写真は別のタイプの販売品で、六角形の陶器のおもりがついた、現在でも国内で販売されているタイプ(ミズゴケ風の人工の葉がついたバージョン)と同様であるが、パラフィン袋に入っている点が異なっている。それもそのはずで、こちらは1950年代初期の日本の製品として説明している。この製品も海綿ライスペーパー、針金でできていて、膨潤したときの10%の大きさに圧縮・乾燥されていているとしている。(海綿と10%の件はよくわからない。) 価格は6.85ドルである。こちらは単に MADE IN JAPAN とあるから、占領軍による日本人の洗脳がもくろみどおりに完了した1952年以降のものであることがわかる。  
     
   2つの製品についてはていねいな注意書きがあり、これらはまだ安全基準がない時代のもので、問題がある可能性があるため、子供用としては適当ではなく、大人向けの純粋のビンテージ・コレクション・アイテムであるとしている。   
     
   水中花に関してはいよいよわからない事だらけであることを認識した。米国内の通販の説明では、当時、日本からは数種のタイプの水中花が輸出されていたとしていているが、この具体的なことを知るのは日本人でも当時の製造・輸出に係わった者だけと思われる。

 郷愁を感じつつ、調べて楽しいテーマであったが、1セントの売値のことを知り、今度は哀愁を感じることになってしまった。かつて日本のほとんどの街を破壊し、一般市民もろとも残酷にも焼き尽くしたその当事国にすがらざるを得なかった資源なき貧乏国日本の当時の悲しい象徴のような存在に見えてきてしまった。