刃物あそび
なぜ「ラシャ切り鋏」か? 東鋏とは?
昔はどの家にも和裁・洋裁用の大型の裁ち鋏があって、特にお年寄りの指導の下で大切にきっちりと管理されていた。しかも、紙は切ってはいけないとか何かとうるさくいわれ、子どもにとっては遊び道具にしたくてもできない存在であった。 このはさみは「羅紗(らしゃ)切り鋏」とも呼ばれる。さて、この名前の由来は? また、製品の商標たる銘のとなりに「東鋏」の刻印がよく見られるところであるが、この由来は? 【2007】 |
ラシャ(羅紗)はポルトガル語の raxa に由来し、羊毛で地(ジ)の厚く密な毛織物を指す【広辞苑】が、冬物服地としては廃れてしまって、ラシャ切り鋏に名を残すのみとなってしまった。幕末から明治初期にかけて、ミシン、裁断用の業務用のラシャ切り鋏、洋服仕立て技術が導入され、特に外来の当初のラシャ切り鋏と呼ばれた鋏は大きくて重かったことから、日本人向けに改良が重ねられて、現在見るようなかたちのものになったという。 鋏を改良した最大の貢献者は吉田弥十郎とされ、この技術を継承したのちのちの職人たちが、戦後に「東鋏親和会」を形成し、昭和30年代には「関東裁鋏工業会」と改名している。改名の事情は、都内の鍛冶職が千葉方面に転居せざるを得なかったことによるという。会の通称としてはかつての名称の略称「東鋏会」の名が使用されており、会員共通の商標として「東鋏」(とうばさみ)、“TOBASAMI”の名が製品に刻印されている。 なお、江戸時代からの鍛冶職人の流れをくむ東京の刃物産業は、平成元年に東京都から「東京打刃物」として伝統工芸品の指定を受け、製造者は都内と一部は近隣県にも分散しているが、平成12年2月時点で37の事業者が東京刃物工業協同組合の組合員となっている。この内訳は以下のとおりとなっている。(平成19年3月に問い合わせたところ、改訂版は取りまとめていないとのことで、総数はやはり減っている模様である。) |
都県別組合員内訳
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主たる製品別組合員内訳
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写真は8寸、24センチのもので、このサイズが標準的。普通、刃部は鋼と軟鉄の複合材を型鍛造し、別に鋳物で作った柄を溶接している。厚い布でも薄い布でも、これを快適に裁断するのが使命であることから、その切れ味ははさみの中でもワンランク上のものになっている。 ■(株)庄三郎 東京都台東区根岸5−1−2 |