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刃物あそび 明珍の火箸とはこれ如何に
明珍は甲冑やら火打金だったのでは・・・
姫路駅で少々時間をつぶす必要があって、駅前の「じばさんびる郷土名産コーナー・播産館」を見物していたところ、一角に妙な黒い棒が多数ぶら下がっているのを目撃した。近寄って手に取って観察すると、いろいろなデザインの火箸が黒い糸で宙吊りにされていたのである。これだけでは「何じゃこりゃ」であるが、名称を見ると「明珍火箸風鈴」とある。名称を見てもなお「何じゃこりゃ」である。明珍(みょうちん)の名は聞いたことがあるが、確か甲冑やら時代下って火打金の世界ではなかったのか。これは姫路のミステリーである。 【2009.12】 |
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1 | 明珍の系譜 明珍の系譜と作品については甲冑に関する文献でしばしば論じられている。明珍は甲冑師(正確には兜(かぶと)その他の鉄鍛えの部品造りの下職であったという。古くは轡師(くつわし)であったとも。)の一流派で、自らの伝承では平安時代に初代が近衛天皇から名を賜ったとしている。しかし実際に甲冑の作品をみるのは室町時代以降からとされる。よくあることであるが、ある流派、家系が一定の評価を得たときに、過去にさかのぼって系図を整えるのは珍しいことではなく、明珍の場合も同様の模様で、さらに各地の他流派・その作品の取り込みもあったとされる。つまり、決して明珍系図どおりの連綿たる一族、家系というわけでもないようであり、また、古い時代の作品とされるものに関しても由来がよくわからないものも多いとされる。したがって、あくまでこれらは物語として受け止めればよいものと思われる。しかしながら、作品の鍛えの良さに関しては評価が一致している模様である。 |
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2 | 明珍の火箸と風鈴火箸 明珍火箸に関しては、実は広辞苑でも認知されていて、「明珍製作の火箸。千利休の依頼により茶室用に作ったのが始まりという。現在は兵庫県の工芸品で、風鈴などに造る。」とある。これも真偽のほどは確認の術もないが、話としては面白い。 兜作りからなぜ火箸作りなのかについては、要は武具の需要がなくなった明治以降、姫路在住の明珍家が生業として火箸づくりを本業とし、先細る需要を風鈴火箸の考案で持ち直し、姫路市の特産品(兵庫県指定の伝統的工芸品にもなっている。)として知られるまでになったということである。 火箸がぶら下がっているのを見ると、火箸が気の毒で仕方がないが、手仕事の技がこうしたかたちであれ生き続けているのは喜ばしいことである。 なお、念のために触れておくと、風鈴火箸はあくまで火箸の他用途転用であって、火箸の機能を失っているものではない。しかし、もっぱら風鈴として名が知られている現在では、期待に応えるべく音にこだわった製品作りに励んでいることは事実のようである。 注:本来の用途に供されている姿はこちらを参照。 参考として明珍火箸に添付されているしおりの内容を以下に紹介する。 |
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3 | 明珍の火打金 「明珍の火打金」がかつて存在したことは承知していたが、さすがに広辞苑や百科事典でも採り上げられていない。 文献情報としては次のようなものを目にした。 |
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4 | 火打金の行方 生活用品としての火打ち金は明治時代にマッチが普及したことで絶滅したため、民俗資料館のような施設の展示物として見ることは可能である。ところが、不思議なことに現在でも火打金がしばしば販売されているのである。 |
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よく知られているのは「登録商標 吉井 本家請合」の焼き印のある製品である。上州で江戸時代からずっと生産されているわけではなく、商標を得た都内の製作所が生産しているもので、ネット通販で知られているほか、東京江戸博物館でも火打石、火口(ほくち)、付け木もセットにして販売していた。旦那様が出勤するときに美人妻がカッチカッチやる風景はこの世にあり得ないから、ほとんどが遊び心での購入と思われる。一方、子供たちに対する社会勉強のいい教材にもなると考えられることから、こうした用途もあるのではないかと思われる。 製造・販売者の製品チラシ及びホームページでは以下のように説明している。 |
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生産者ではないが、複数の軒を並べた店が販売している風景が京都市内で見られる。伏見稲荷大社界隈である。場所柄、神具類を販売する店が多く、これらのほとんどの店舗で火打金と火打石を販売していた。製品は先の吉井の木の持ち手のある板付き型と、同じく吉井の刻印のある木の持ち手のない丹尺型(中ぶくれした長方形)が見られたほか、生産地は不明であるが、○に八(以下「丸八」と呼ぶ。)の商標と「板付鎌」の焼き印の入った板付き型と、商標を刻印した丹尺型が見られた。 | ||||||||||||||||||||||
■株式会社 友田神具店 「神具の福乃家」 ほか扱い 京都市伏見区深草藪ノ内町58 |
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吉井と丸八の火打鎌を見比べると、柄はいずれもホオノキであるが、やや形状が異なる。ハガネ部も厚さ、大きさのほか、表面仕上げも異なるが、いずれもかすがい型に打ち抜いた鋼材をホオノキの板に打ち込んだ構造である。ハガネの硬度に関しては、両者を戦わせたところ、吉井の方が硬さでは勝っていた。 | ||||||||||||||||||||||
神具としての「お清め」用が建前としての主たる用途であるが、このうちのある店舗のホームページには、これに加えて「お札の入れ替え時や、一家の主がお仕事などにお出かけになる時にお清めの火でお送りください。」とした説明を付していた。この利用を「切り火」と呼んでいる。 「切り火」の説明については以下の記述が参考になる。 |
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しかし、一般の家庭でのこうした使用は慎むのが賢明であろう。たとえ面白半分であっても女房が突然背中でカッチカッチとやったら、間違いなく「あんた、いい加減にもっと出世してよ!!」と言わんばかりの嫌みとして受け止められて、家庭不和を招きかねないからである。 | ||||||||||||||||||||||
5 | よい火打金とは 江戸時代には特定の製品が支持され、高いシェアを有したことが伝えられているが、それが営業努力によるものなのか、それとも製品の品質に由来するものであるかに関しては特に論じたものを目にしたことがない。 そもそも火打金は刃物のように難しいものではなさそうであり、いわばハガネのかけらと思ってもよいと思われる。ハガネとすれば硬度の違いの存在しか考えられない。では、どの程度の硬度であれば使いやすいのか? 試しに、軟鉄とハガネの鉄片ををグラインダーに掛けてみると、同じように見事に火花(赤熱した鉄粉)が飛ぶ。これでは全くヒントにならない。次に軟鉄を火打ち石に打ち付けてみたが、火花を発することは困難であった。やはりある程度の硬さが必要なようである。念のために火打金(丸八)と軟鉄で硬さ勝負をしたところ、火打金の方がやや硬いといった印象であった。丸八より吉井が硬度で勝っていたことは先に触れたとおりであるが、さらに火打金(吉井)とカッター刃で硬さ勝負をしたところ、カッター刃がやや勝っていた。とまあ、こんな感じである。 火打石の硬度と相性のいい硬度があるということなのであろう。科学的なコメントはできないが、神経質になるほどの繊細さが求められる製品ではないと思われる。 現在手元にある先の2製品のハガネ部分を見ると、断面、その他の形状から鋼材を単に打ち抜いたものであることがわかる。鍛造のプロセスはないから、製品の質は既製品の鋼材の選定(もちろん熱処理を含む)のみに由来することになる。 |
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<参考> | ||||||||||||||||||||||
@ | 火打ち石、燧石 火打ち石には主に石英の一種である燧石(すいせき)を用いたが、メノウ、水晶なども使用した。【日本民俗大辞典】 |
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A | 火打金、火打石の使い方の説明例 普通は左手に火打石を持ち、その面の上に一つまみの火口(ほくち)を載せ、これを親指で押さえ、右手に持った火打金で強く石の角を擦りながら火口に火をつける方法で火を起こした。【岩井宏實】 (竈の場合):ほくち(火口。この場合はイチビの茎の皮を剥いだものを消し炭にしたものなど。ほくち殻。)の上に火打鎌をかざし、火打石にて火を打ち出して、ほくちに火を移す。木片の先に硫黄の付きたる付木(つけぎ)という、その付木の硫黄にほくちの火を移し、竈の下へ移して飯を炊くこと江戸一般の習いにて、これを捨てて他に火を取るの道、絶えてあることなし。 (野外散歩、旅人道中の煙草の火の場合):袋につめたる綿ぼくち(厚紙を揉みやわらげたものなどを使った。「吉井ぼくち」とも)を摘み取りて火打石の上に置きて、飛び散らざるよう指先に持ちて火打鎌を石に打ち付けて出づる火を、綿ぼくちに移して用ゆ。【絵本江戸風俗往来】 |
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B | 「らくらく火打鎌」とは 「らくらく火打鎌」の名の簡単に火花を出せるという、初心者用の製品が販売されている。普通の火打金よりも価格がやや高く、印象としては板にライターのフリント(オーエルメタルの名の合金)を接着したもののように見える。(確認はしていない。) |
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【追記 2012.1】 | ||||||||||||||||||||||
明珍の使い込んだ火打ち金を確認できないままであったが、たまたま都内渋谷区の「塩とたばこの博物館」に立ち寄ったところ、何と!!「本家明珍」の焼き印のある火打ち金」が展示されていた。 | ||||||||||||||||||||||
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