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木の雑記帳
   「うるし」と「うるしもどき」


 漆(うるし)はその優れた耐久性と美しさから、古くから最高の塗料として、また同時に優れた接着剤としても評価されてきたところである。しかし、乾燥の取り扱いが面倒であることから、一般向けの塗料としてはなじみにくい存在であり続けている。それにもかかわらず、漆器の質感に魅力を感じる多くの“ものづくり大好き人間”が漆塗りに挑戦する誘惑に駆られるのはごく自然な成り行きで、このため、こうした需要に応える小さなチューブに入ったお手ごろ価格の製品が従来から提供されている。例えば東急ハンズにもチューブ入りの数種類のが販売されている。あるとき、これらの商品の並びで、馴染みのない商品が販売されているのに気付いた。【2011.7】 


   ウルシの木はもともと漆の採取を目的として中国から導入された樹種であるとされている。したがって、日本はこの樹の原産国ではないし、漆の利用に関しても外来の知恵である。それにもかかわらす、漆器を英語でJapan というのは、多分本家の中国からすれば鼻持ちならないことに違いない。かといって陶磁器が china であり、加えて漆器も china というわけにはいかない。まあ、我々にとってはどうでもいいことである。  
   
 1  新うるし

 新○○○としたような名称は、新米新海苔等であれば結構なことであるが、聞き慣れないものは一般に販売者があまり健全でない動機で命名している場合が多い。販売者は、消費者が「新」の字以下に掲げられた本物の○○○のよいイメージの幻想を抱き、さらに新の字で、○○○並みか、場合によっては機能性、特性あるいは性能においてはるかに優れているかもしれないという錯覚を持つことを期待していることが透けて見える。

 こういった場合の商品名、「新○○○」の「新」の字は、木材における「新カヤ」、「新カツラ」、「新ケヤキ」等の不健全な呼称と同様で、似ているかどうかは別にして、要は「○○○ではありません」、「○○○と少しだけ似た全く非なるものです」と明記しているのと同義であると理解した方が安全である。

 この「新うるし」であるが、購入したのは東急ハンズ新宿店の木彫コーナーである。東急ハンズの価格は少々高いものの、何でもあって大好きであり、加えて店員もしっかりしているのは安心材料でもある。

 以前から自然系の塗料には興味があって、いろいろ試して楽しんでいるが、驚くべきことに、この製品には塗料の成分が全く表示されていない!!
   
 
 釣具に係わるメーカーの製品で、主として釣竿に塗ることを意識した製品であるが、特に用途は限定していない。現に「日曜大工等、DIY他百般」としている。

 しかし、家庭用品品質表示法に基づく表示は見当たらない。 それでいて、徳用の40グラム入りの製品にだけ「純植物性」とする表示がある。これだけで怪しさは十分であり、ますます中味を知りたくなる。

 なお、この製品の色の種類は実に多数あり、標準サイズは10グラム入りで、東急ハンズ価格は336円である。
   
   訳がわからないから店員にカシュー系の塗料なのかと聞いてみると、さすがに東急ハンズで、直ちにその場でメーカーに対して携帯電話で問い合わせてくれた。様子を見ていると、メーカーの担当者の説明が要を得ないようでもどかしそうな表情をしていて、最終的には「カシュー塗料その他で構成した塗料のようです。」との苦しげな説明がやっと得られた。天下の東急ハンズからの照会に対しても、頑なな姿勢に終始したようである。

 詳しいことは全くわからなかったが、店員にお礼を言いつつ、お試しで購入したのが、先の写真の製品である。

 製品の台紙及び本体には以下のような記述が見られる。

  むろに入れなくても乾く特製釣竿新うるし
  SPECIALLY MADE URUSHI(JAPAN)
  FOR FISHING ROD
  NO DRIER IS NECESSARY
  (訳:釣竿用特製うるし 乾燥機(施設)不要)
  発売元 櫻井釣漁具株式会社
       東京都千代田区鍛治町1-8-1


 今度はダメ元で会社にメールで照会してみた。答えは「成分や原料などには明確にお答えすることができませんが新うるしは当社で独自に配合しているオリジナルのものになります。」とのことであった。断固として開示するつもりはないという、固い決意だけが伝わってきた。

 仕方がないので、以下に推理しつつ、問題点を整理してみる。

 この塗料の臭いは、経験的にはカシュー樹脂塗料(参照)そのものであり、これと大きな違いはないと思われる。有機溶剤臭がやや強い印象があり、その辺にやや違いがあるかもしれない。いずれにしても、カシュー樹脂塗料を上回る性能・特性があるとは考えられない。
 非うるし塗料であり、カシュー樹脂塗料でさえ「合成樹脂塗料」に区分されているところであり、本塗料が「純植物性」と表示していることには重大な問題があると思われる。
 英語表記で「特製うるし」の意の表現を採用していることにも問題がある。
 会社ホームページで「ムロのいらない新感覚のうるしです。」として、また「うるし」と記述しているのは問題である。また、うるしではないから、ムロがいらないのは当たり前である。
 一般消費者が小売店等で購入する塗料については、ごく小容量のものでも家庭用品品質表示法で、その成分等について適正に表示することになっており、これに従っていないのは明らかに法律無視である。

 商品は消費者に対して誠実に向き合う姿勢が目で見えるように努めるべきである。 
   
   N.T. 特製うるし

 これは引き出しの奥に転がっていて、忘れていたものである。前出の製品と同様、小型のチューブ入りの製品で、名称は大胆にも“特製うるし”としていて、まるで「うるしの特選品」のような印象の呼称である。しかし、においはやはりカシュー樹脂塗料そのものである。しかし、この製品の場合はチューブと台紙に「主原料は熱帯植物中の漆科植物から採取した特殊なうるしです。」としていて、これは十分なヒントである。 
   
 
 先の商品と同じような印象で、やはり、カシュー樹脂塗料のにおいと同様である。

 本製品の対象は「バルサ材・竿各種浮子のボディ」としている。

 会社名は東邦産業株式会社(大阪市旭区新森4-20-9)である。
   
   この製品の問題は、「うるし」そのものの呼称と、家庭用品品質表示法に基づく表示とした表示はあるものの、中味が半端なことである。

 なお、参考情報を得るために会社ホームページを参照したところ、面白い事態に至っていたことが判明した。何と、経済産業省から家庭用品品質表示法に基づく表示がなされていないとする指摘を受けて悔い改め、平成23年2月より適正表示する旨のお詫びが掲載されていたのである。

 ちなみに、表示変更をするとしている内容のうち、品名と成分に関する箇所を示すと以下のとおりである。

区分 旧表示  新表示 
 品名 うるし塗料  合成樹脂塗料 
 成分 合成樹脂、有機溶剤 合成樹脂(カシュー)、有機溶剤 


 記載内容の変更で、初めてカシューの文字が登場している。「うるし塗料」とする紛らわしい表現を改めたことも当然であろう。ただし、本来のうるし以外の塗料で、今でも製品名に相変わらず「漆」とか「うるし」の文字が使用されている実態があり、これは是非とも改める必要があろう。

 ところで、先の商品にはまだ通商産業省による指導はないのであろうか?
 
   
 3  本物のうるし(漆)
 
 今度は真正のうるしである。
 漆塗りの職人が調達するような単位では素人は手が出せないため、趣味的利用に配慮したものとして、チューブ入りのお手頃な製品が広く販売されている。中国産なら40グラム入りでも千円ほどである。一方、生産量の少ない国産うるしは別格の価格となっている。 
   
 
 上段:生漆(きうるし)
 下段:生正味(きじょうみ)


 いずれも少し使った状態で、10年以上保管してあったものであるが、全く硬化していない。

 実は別の黒漆はなぜかチュープの中で半分ほど硬化してしまった。

 長持ちさせるために、どのように取り扱えばよいのであろうか。
 これは未開封の中国産生漆で、40グラム入りで840円のお手頃価格である。

株式会社播与漆行(はりよしっこう)
  東京都台東区台東2−24−10

 すぐ塗れーる MR漆
  左:透漆
  右:黒漆


 これは新しいタイプのうるしで、少量だけ使う場合には便利である。ネイルカラー(マニキュア)と同様で、キャップ部に小さな刷毛がセットされている。うるし自体は中国産と明示されている。

 価格は量の割りには高めで、10グラム入りで945円であった。

 なお、MR漆とは、従前のクロメと呼ばれる加熱精製をした製品と異なり、三本のロールミルを使用した非加熱精製によるうるしで、機能性において従来のうるしよりも優れているという。株式会社佐藤喜代松商店及び株式会社佐藤漆店の登録商標となっている。
発売元:株式会社播与漆行
   
   近年、国内で使用されるうるしのほとんどは中国産となっていて、中国産うるしが日本の伝統的工芸品である各地の漆器生産を支えている。元々中国が原産のウルシの木であるから、原産国からの輸入と思えば何も違和感はない。しかし、しばしば聞くのは国産うるしの方が優れているとする国内での評価である。

 漆職人でないとなかなかわからない世界であるが、、同じ種でも系統による差はあり得るし、気候条件の違いによる成分の変動もあるのかもしれない。また生産管理の善し悪しも考えられる。詳細はわからないが、実態として国産漆を仕上げに利用しているとの話をよく聞くところである。 
   
   
  <参考1:植物成分に由来する塗料の表示例>
   
   天然の植物成分に由来し、塗料あるいは木製品の手入れ用として利用されているものとして、荏油(えあぶら)、ボイル油、亜麻仁油、桐油、くるみ油等が知られているが、店頭で販売されている製品の表示(家庭用品品質表示法による表示)の成分に関しては、いずれも「天然油脂」としていた。 
   
  <参考2:日本最古の漆器> 
   
 
 国内の遺跡で発見された最古の漆器は福井県の鳥浜貝塚から出土した約5500年前のヤブツバキ材赤色漆の櫛(福井県立若狭歴史民俗資料館蔵。国指定重要文化財。)とされている。
 ということは縄文時代にウルシの木が渡来して、当時既に漆を利用していたことになる。これを裏付ける証拠があるのであろうか。
   たまたまこれに関連した研究成果を目にした。それによると、日本から中国の中央部にかけて集めた試料から葉緑体DNAを解析した結果、日本で栽培されているウルシは中国東部の集団に由来していて、中国東部の沿岸部から縄文時代に日本にもたらされた可能性が示された(森林総合研究所第2期中期計画成果集)という。 
   
  <うるしのデータ>
   
 
 資料: 産地別すぐわかるうるし塗りの見分け方:平成12年12月20日、株式会社東京美術
漆の器 あなたにもできる漆器作り:2001年10月1日、阿部出版株式会社
うるし− 漆樹と漆液:伊藤清三、昭和24年4月30日 株式会社農林週報社
   
 
 うるしの主成分はウルシオールの名の樹脂分で、そのほかに水分とゴム質、酵素(ラッカーゼ)を含み、この酵素が空気中の水分から酸素を取り込んで酸化反応を起こすことによって、ウルシオールが液体から固体に変化する。
 ウルシの木から採取したままの未精製の乳白色のうるしを生漆(きうるし)と呼び、このままで摺漆(すりうるし。拭き漆(ふきうるし)とも。)に利用するほか色漆で仕上げる場合の下地作業(木地固め)等に使用する。国産の上質な生漆を生正味(きじょうみ)と呼んでいる場合がある。
 布着せ(椀の口元の補強のために布を塗り込むもの)には、生漆に米糊を混ぜた「糊漆」を使用する。
 生漆は、ナヤシの作業(漆液をかき混ぜて漆の成分を均一にする)とクロメの作業(漆液を加熱して40度前後に保ち、水分を蒸発させる)を経て、茶色がかった透明の「透漆(すきうるし)」に加工される。
 透漆は、そのままで上塗りのあとに磨いて仕上げる漆として使われ、荏油(えのあぶら)を加えたものは、上塗りのまま仕上げる(塗り立て)漆として使われる。
 透漆に鉄粉又は水酸化鉄を混ぜて作ったものが黒漆で、その他様々な色の顔料を加えて色漆を作る。
(注)荏油とはシソ科のエゴマ(荏胡麻)の種子から作られる油で、食用になるほか灯火用に利用された歴史がある。現在では単体でもオイルフィニッシュ用の乾性油として利用されている。
 飛騨春慶塗の場合は、黄色の黄春慶はオーラミン顔料(昔は山梔子の実を煮出した染液)を、赤い紅春慶にはローダミン(昔は弁柄)を使って着色。摺漆は、透漆に荏油を加えたものを薄く擦り込む。1回目は荏油7:漆3,2回目は等量の割合。上塗りは透漆に荏油を加えた春慶漆(塗師が独自の製法で精製)を刷毛塗りする。
 研き炭による研ぎに関して、原則として、下塗・中塗はアブラギリを焼いた駿河炭(するがずみ)で水研ぎし、上塗は呂色仕上げのために駿河炭で研いだ後、エゴノキやサルスベリを焼いた呂色炭でさらになめらかにする。蒔絵の粉を研ぐには椿炭が使われる。
 漆が付いた刷毛をそのままにしておくと固まって使えなくなるため、使い終わった刷毛を菜種油で漆を落とし、菜種油を入れたビンに立て置く例がある。
 漆器のにおいが気になる場合は、少量の酢を加えた米の研ぎ汁を柔らかい布につけてふき、ぬるま湯でていねいに洗うとよい。
  (注)近年、漆を溶剤でごくごく薄めて吹き付け塗装することも行われている。多様な彩色が可能であるが、塗膜が薄く(何度も塗り重ねれば厚くなるが、そもそも省力化が主目的であるから、ありえない。)、漆本来の強靱さに欠けるため、上質な製品には適用されていない。