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木の雑記帳
   精緻な工芸品としての算盤


 かつてはオフィスの引き出しには必ず入っていた算盤(そろばん)であるが、近年はほとんど目にすることはない。それでも播州そろばん雲州そろばんの火は消えていないようであり、学校教育でも幾多の変遷を経ながらもその効用が認識されていて、限定的ではあるが授業に取り入れられている模様である。業界では海外への普及にも力を入れている。
 ところで算盤を改めて観察すると、実に丁寧な作りで、磨き上げた緻密な工芸品、超精度精密器具そのものであることを実感する。動力もない時代から人力による素朴な道具と職人の技により仕上げていた筈であり、これぞ木工芸、手仕事の一つの極致といってよい。【2010.2】


 
 
 そろばんのまち&コ庫県小野市の巨大そろばん看板。算盤珠算盤玉、そろばんだま)で2010年を表現している。
   
小野市伝統産業会館展示の「播州そろばん城」
5万個の算盤珠を使用しているという。
         様々な算盤の展示品
 同館では驚くほど多様な算盤が展示されている。展示品は個人の収集品がベースになっている。
 現在、算盤の生産地として名が知られているのは兵庫県小野市(播州算盤)島根県奥出雲町(雲州算盤)である。いずれも伝統的工芸品の指定を受けて、技術の継承にも努力している。概略は次のとおりである。(データは必ずしも最新のものではない。)
 播州算盤と雲州算盤
   
区 分 播州算盤(ばんしゅうそろばん) 雲州算盤(うんしゅうそろばん)
@ 生産地 兵庫県小野市ほか 島根県仁多郡奥出雲町
A 企業・従事者数 44企業・46名 5企業・42名
B 伝統工芸士数 13名 4名
C 沿革  安土桃山時代に戦乱を避けて大津に逃れた三木の住人が当時長崎から大津に伝わっていたそろばん作りの技法を習得して地元に伝えたと言い伝えられていたが、近年は、江戸中期に大阪堺から三木へ、さらに拠点が小野に移ったたとする説が有力となっている。  江戸時代後期(天保3年(1832年))、島根県仁多町の大工 村上吉五郎が芸州(広島)の職人の作ったそろばんを手本に作ったのが始まりとされる。かつては品質面で播州産を大幅に上回っていたとされる。
D 展示館等 小野市伝統産業会館(無料)
 兵庫県小野市王子町806-1
 電話:0794ー62−3121
雲州そろばん伝統産業会館(有料)
 島根県仁多郡奥出雲町横田992−2
 電話:0854−52−0369
E 関係団体 播州算盤工芸品協同組合
播州算盤製造業組合
雲州算盤協同組合の組合員は11
雲州そろばん協業組合は製造5社で設立
F 生産関係の記述 最盛期の昭和35年には年間360万丁を製造。現在(注:何時の現在かは不明)は年間53万丁で、全国生産の約70%を占めている。【小野市】
小野市は日本一の生産量を誇る「そろばん」が自慢です。【小野市商工会議所】
小野市はそろばん生産量日本一。全国シェアの70%を生産。【兵庫県】
雲州そろばんの生産額は全国シェアの70%を誇る。【山陰中央新報 2008年10月20日】
年間の生産量は5万丁で、全国の6割を占めている。【NHK 2010年1月29日放送】
参考メモ  小野市では2007年4月から、新生児に出生記念そろばんをプレゼントしている。  雲州算盤の製造工程に関して、株式会社雲州堂のHPで多くの記録動画を見ることができる。
http://www.unshudo.co.jp/index.html
注:  いつものことながらシェアの情報はやはり混乱している。全国をカバーする生産者組織がない模様で、下駄と同様に全国的統計データ(地域を統合したデータ)は存在しないと思われる。
 算盤はもちろん堅牢で歪みを生じない安定した木枠がその基盤ではあるが、やはりその命は算盤珠(算盤玉、そろばん玉)である。精密なろくろ加工に応える素材であることが不可欠であり、さらには激しくも長期間の使用に耐え、はじく感触が良好であることが最も重要な要素と考えられる。そこで、特に算盤珠の素材に着目して、以下に関係情報を整理してみる。 
 算盤珠いろいろ その1
   
   小野市伝統産業会館展示品から
    :裸書きの樹種名は原則として展示表示のままで、かっこ書きは注記。
様々な樹種の算盤珠 1  様々な樹種の算盤珠 2 
左奥から
ラクト
牛骨
ネソ(マンサク)
カナメモチ
スモモ
ジャカランダ(ブラジリアン・ローズウッド?)
右列奥から
ケヤキ
モチノキ
パーロッサ(パオロッサ)
陸南(リグナムバイタか?)
牛骨
 
左列奥から
キャミノール(樹種未確認)
柞の木(イスノキ)
紫檀
ローズシタン(紫檀以外のローズウッドの類の意か?)
(ヒイラギ)
右列奥から
ナツメ
縞黒檀
本黒檀
マサランデュウベ(マサランデューバ、マニルカラとも)
(クスノキ)
写真左:算盤珠は写真のように輪切り材から削り出す方法と棒加工した素材から作る方法があるという。これを見ても素人には国産ツゲなのか輸入ツゲなのかはわからない。

写真右:至高の薩摩黄楊(薩摩柘植、薩摩ツゲ)の珠である。きれいな仕上がりである。木製品の仕上げの磨きに木賊(トクサ)やムクノキ葉を使ったのは一般的な方法で、珠の面取りにもトクサが使われたという。
ツゲの算盤珠の製造サンプル 薩摩ツゲの算盤珠
     
写真左:きれいに揃った樺珠である。素人が見てもオノオレカンバなのか、例えばウダイカンバなのかはわからない。樺材は自然の色ムラが避けられないため、通常は色付けをしているという。(雲州堂製)

写真右:オノオレカンバの輪切りである。堅く緻密なため、てらてらに仕上がる。
(オノオレカンバの工芸品で知られる岩手県の有限会社 プラム工芸の展示用材鑑)
カバ材の算盤珠 オノオレカンバのサンプル
 算盤珠いろいろ その2
   
    「播州そろばん そのルーツと歴史を訪ねて」(三帆社)で紹介されている算盤珠の材料
掲載樹種
(掲載名のまま)
本文中での説明 注釈
<輸入材>
 本黒檀
(ほんこくたん)
黒檀は高級品用で、狂いが少なく美しい光沢がある。  枠は黒檀類が多く、珠も黒檀であれば総黒檀算盤ということになる。本黒檀は全体に漆黒色で光沢がある。
 縞黒檀
(しまこくたん)
(黒檀は狂いが少なく美しい光沢がある。)  黒色と灰褐色または帯紅褐色が縞をなす。 ふつうやや低く評価される。
 アフリカ黒檀 (黒檀は狂いが少なく美しい光沢がある。)  普通の黒檀がカキノキ科であるのに対して、これはマメ科。
 南米黒檀  ・・・  具体的な樹種名は未確認。(南米の黒檀は知られていない。)
 紫檀(したん) 紫檀は高級品用で、狂いが少なく美しい光沢がある。  いくつかの種が紫檀の名で利用され、一般にローズウッドの名で知られる。
 白檀(びゃくだん)   −   珠のみならず、枠まで白檀を使用した総白檀算盤が存在する。
 紅木(こうき)   −  べにのき、こうき紅木紫檀とも。マメ科のレッドサンダーを指す。鮮紅色の材で、三味線の棹にもされた高級材。
 陸南(りくなん)   −  昔(50年以上前)、船の甲板に用いられていたとされる材木で、水に浸かっても腐らないといわれたが、現在では流通していない【小野市】という。樹種名は確認できない。甲板最適材はチークであるが、チークは緻密な材ではないから明らかに該当しない。
 陸南はリグナムバイタの「リグナム」に漢字を充てたのではないかとの見解がある。
 花梨(かりん)   −   普通は「花櫚(かりん)」と表記する。東南アジア産のマメ科の高木。慣用的に「花梨」とも表記するが、これは通常はバラ科のおなじみの木を指す。
 鉄刀木(たがやさん)   −  濃褐色から黒褐色の基材に細かい縞があって模様となる。
<国産材>
 (かば)  一般には樺が多く使われる。目を疲れさせない色目で、摩耗が少なく、狂いもない。岩手産のオノオレカンバが主体(で推移)  樺はカバノキ科カバノキ属の総称であるが、算盤珠としては、オノオレカンバ(斧折樺)が主体といわれている。
 (いす)  材質は硬く、割れにくく、耐久性が強い。柞珠は中国・九州地方では好評だった。戦時中、黒檀の輸入が途絶えた際は枠材にも使われた。枠材としては少し狂いやすい欠点があった。  標準和名はイスノキ(柞の木)
 (つげ)  緻密で加工しやすく、耐久保存性も高い。黄楊色。
 鹿児島産のツゲは広く好まれたが、量が少なく高価であった。後にシャムツゲが入荷するようになって広く普及した。
 「柘」一字では「つみ」と読み、ヤマグワの異称とされるから、「柘植又は黄楊」と表記した方がわかりやすい。シナツゲとシャムツゲの両方が使用されているという。
 福良木(ふくらそう)  材質は硬く、緻密で耐久性がある。加工性に富む。商店用の大型珠として利用  突然の謎の漢字表記と奇妙な読みで、ワクワクしてしまう難問である。予想どおり、ソヨゴであることを確認した。ソヨゴの葉を火であぶると膨らんで爆ぜるため、フクラシバの地方名もある。
 (うめ)  木目が美しく、狂いの少ない良材。
 戦前によく使われていた梅、柊、椿、○〔木偏+要〕(かなめ)などは、戦後にはあまり登場していない。
 雲州そろばんは、当初は梅の木で珠を作ったという。材は非常に堅く緻密で、櫛、数珠など細工物、印材、根付けなどの細かい彫刻をする材料などに用いられた。
 (ひいらぎ)  珠の摩耗が少なく、狂いが少ない。目を疲れさせない色。(江戸時代、)播州で算盤の珠材として使われていたのは、ほとんどが柊であった。その後福良木も使用されるようになった。  材は淡黄白色で緻密・強靱で、算盤珠のほかに器具、楽器、印判、櫛(くし)、将棋の駒などに賞用される。
 姥目樫(うばめがし)  戦後、学童向けには単価的に安い姥目樫の珠が使われていた(経過がある。)南旦珠と名付けていた。  材の利用例は少ないが、艪臍、艪頸はこの材に限るといわれ、また槌、杵等を作るのにも適当とされる。
<木材以外>
 牛骨、象牙、蛤貝、珊瑚、大理石、玉石、真珠、翡翠(ヒスイ)、瑪瑙(メノウ)、竹、ガラス、アクリル樹脂、椰子、ビーズ、陶器の名もある。 
 伊能忠敬は、浜辺の湿気でも動くように陶器珠のそろばんを使っていた。
 木材以外の素材の使用は、珍奇性、希少性ねらいの趣味的な色彩が強く、必ずしも機能性で優位にあるものではない。樹脂製は生産合理化の観点から生まれた。
参考  この本は播州そろばんの卸問屋を営んでいた久保田輝雄氏が執筆を開始し、志半ばで他界したあとを娘さんが引き継いで出版に至ったという経過がある。久保田輝雄氏は、生前私設の「小野そろばん博物館」を開設・運営していたことでも知られる。現在、小野市伝統産業会館に展示されているそろばんのコレクションは、ほとんどが氏のそろばん博物館の展示品を引き継いだものである。
「播州そろばん そのルーツと歴史を訪ねて」:久保田輝雄 鹿野 文(2009.8.8 三帆舎)
 算盤珠に関する記述例
   
@木材の工藝的利用  算盤珠はツゲ、ツバキ、サクラ、ウメ、ナシ、イス、モモ、エゴ、ヒイラギ、カシ、紫檀、黒檀、タガヤサン、ポックホルツ(リグナム・バイタ)等を用ふ
A雲州そろばん協同組合  珠(玉)に栃木・群馬・埼玉・岩手産の樺(カバ)、鹿児島産の柞(イス)。鹿児島・タイ国産の柘(ツゲ)、アフリカ黒檀などが使われています。
Bトモエそろばん  通常、カバ珠(樺珠)と言われているものが一般的にそろばんに多く使われています。カバの中でも斧折樺(オノオレカンバ)と言い、斧が折れそうに堅(固)い樺と言う意味で、それだけ固い材質であるということです。幹の外側が白樺、内側が赤樺で、赤樺の方がより堅く狂いが少ないため、値段も高くなっています。樺のほかに櫛などにも使われる柘(つげ)も好まれています。
トモエ算盤株式会社は会社を東京に置いているが工場を兵庫県小野市及び島根県奥出雲町の2大産地に有する。「トモエ」の名は創業者の娘さんで現社長の藤本トモエさんの名前そのものである。
C小野市(有)末廣算盤  珠(玉)はオノオレカンバを主に使い、高級品にはツゲや黒檀、紫檀も使う。
D岩手県  そろばんが盛んに生産されていた昭和50年代以降、県内産のオノオレカンバが珠材として島根県兵庫県鹿児島県などのそろばん生産地に出荷され、そこで一丁のそろばんに組み立てられました。珠材には、ほかに紫檀(したん)や黒檀(こくたん)、ツゲなどが使われますが、県内産のオノオレカンバは、最高の珠材として各地で用いられ、出荷数は、年間で250万丁から300万丁と、岩手は、そろばん珠の生産量日本一を誇っていました。
(注)岩手県では算盤珠の生産はなく、すべて小野市の生産とされる。岩手県は算盤珠の材料とする丸棒の供給で日本一であったとするのが正しいとの情報を兵庫県の唐木を輸入する会社の方から聞いた。
E播州算盤工芸品協同組合
 (チラシ)
 そろばんの玉はカバ、ツゲの木から、枠にはコクタン等、堅くて重い天然の木を用いています。(注:その他、総白檀、総黒檀、スネークウッド、箱根寄木細工の製品を紹介している。)
 算盤珠の用材としては実に多様な樹種が使用されてきた歴史を認識できる。こうした中で、はじいたときの適度の重量感や音感はやはりツゲが最高といわれている。しかしながら、良質の国産ツゲについては、生産量がそれほど多いものではないため、代替品としてシャムツゲ、シナツゲ、オノオレカンバが使用されてきたものと思われる。その他雑木の利用は身近な入手しやすい素材として試みた経過を物語るものとして理解できる。白檀やスネークウッド等の貴重材を使用した製品は、もちろん趣味・収集に応えたものであろう。
謝辞:  小野市伝統産業会館の展示品に関して、小野市役所地域振興部産業課 商工振興係の担当官の方にご教示いただきましたことを感謝申し上げます。