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木の雑記帳
   鉛筆用材のいまむかし


 筆記用具としての鉛筆はもちろん現在でも最も身近な「木製品」の一つであり続けている。一般筆記用はシャープペンシル等にシェアを奪われ、国内生産量は減少傾向にあるが、依然として鉛筆ファンは多く、色鉛筆や専門的な用途に特化した製品も多数販売されている。また一般性を失っていないことは百円ショップでも国産品に加えて中国産等の激安製品が多数並んでいることで(先行きの不安を感じつつも)確認できる。さらに、小学校の低学年では必要性があって鉛筆を使った指導が行われていることも、有力な支援にもなっているようである。
 さて、木製品たる鉛筆の用材として、現在どんな木材が使用されているのか、そしてその変遷については非常に興味深いものがある。実は、都内に鉛筆の町工場があって、この会社が有料で鉛筆工場の見学を受け入れていることを知り、早速ながら鉛筆の蘊蓄を仕込むために見学に参加してみた。【2010.11】


参考文献
【工藝】 木材の工藝的利用
【鉛筆史】 日本鉛筆史
【鉛筆材概説】 鉛筆材概説(東京鉛筆軸木有限会社)(鉛筆史掲載)
【実態報告】 鉛筆又は鉛筆軸板の製造業実態調査報告書(鉛筆史掲載)
【土橋勝利】 「日本鉛筆史」掲載文
【天然素材】 天然素材の生活道具
 
    北星鉛筆の販売コーナー   12色の色鉛筆を自動でセットする機械
 北星鉛筆の工場見学は事前に予約を要し、料金は大人1人400円である。ビデオ、工場見学、展示品説明のほか、希望によりおが屑粘土体験がある。料金には記念品代(鉛筆素材であるインセンスシーダ製の線引き)が入っている。自社商品を割引価格(そのときは半額!)で販売しているほか、鉛筆のつかみ取りの演出もある。
 なお、三菱鉛筆に次ぐ業界2位の大手、トンボ鉛筆(工場:愛知県新城市)でも、学校単位の工場見学を受け入れているそうである。
 現在の鉛筆用材
 現在、国内で使用されている鉛筆軸木の用材(樹種)は、そのほとんどが米国カリフォルニア、オレゴン産のヒノキ科 Libocedrus 属(リボケドルス属)(Calocedrus 属(カロケドルス属)、ショウナンボク属、オニヒバ属とも)のインセンスシーダインセンスシーダーオニヒバとも。Incense-Cedar Libocedrus decurrensCalocedrus decurrens)が利用されている。誰もが知る慣れ親しんだ芳香のある木材である。
   インセンスシーダの葉 (北星鉛筆)

 北星鉛筆株式会社
   東京都葛飾区四つ木 1-23-11
(営業工場)
       同左アップ写真
 間違いなくヒノキ科の葉であることがわかる。
 インセンスシーダの輪切り(年輪盤)である。
 展示品は、60センチ弱の太さであった。本場では小振りの方である。

 米国では場所によってインセンスシーダの樹の大きさの差が大きく、コースト山脈やカリフォルニア南部では、大きな木は一般に樹高は18〜24メートル、胸高直径で90〜120センチである。シエラネバダでは、しばしば樹高46メートル、胸高直径210センチほどになり、記録としての最大は胸高直径375センチである。オレゴン南部では樹高69メートルの報告がある。【USDA】

(北星鉛筆 東京ペンシルラボ展示品)
 鉛筆の軸木を製造するためのインセンスシーダの板材で、スラットと呼んでいる。
 素地は黄褐色であるが、スラットは赤く染色されている。かつて利用されたエンピツビャクシンに赤味があったことから、これを模して高級感を演出している模様である。(北星鉛筆提供)
 北星鉛筆の製品販売コーナーで販売していたインセンスシーダ製のペンケースである。  見学者に対する記念品として配布されている、インセンスシーダ製の線引きである。
 上に掲げたインセンスシーダの薄板(スラット pencil slats)を2枚を貼り合わせてで鉛筆が9本製造される。国内の鉛筆製造企業は多くを米国のカリフォルニア州に所在する企業が中国国内で加工・調整して供給するこの半製品に依存している。製品にはワックスと染料のエマルジョンが加圧注入されていて、材を赤く染色し、加工時の機械加工性の向上と製品の削りやすさを高めている。
 一方海外から輸入される低価格品はインセンスシーダにはこだわっていないようである。バスウッド(中国産のシナノキ類)、ポプラ(中国ほか)、ジェルトン(インドネシア)の名を目にする。
 また、商品としての環境配慮を売りとするため、染色なしのリサイクル木材の製品(ミャンマー製)、認証森林の木材を無駄なくチップ化して押出成形した製品(ドイツ・ステッドラー社製)が見られるほか、新聞紙で芯を巻き上げた製品、非木材系の再生プラスティックの製品(中国製)まで見かける。
A: 国産のインセンスシーダ製の普通の鉛筆。年輪からそれとはっきりわかる。
B: 中国産の非インセンスシーダ製の鉛筆。材色はバスウッドと言うよりモクレン科のホオノキ等の色合いである。
C: ミャンマー産の非インセンスシーダ製の鉛筆。多分ジェルトンであろう。大きな道管が目立つが、全く支障はない。
 先に触れたステッドラーの製品である。 ウォペックスWOPEX の名称で、国内でも販売されている。木口面に貼り合わせの線がない。柔らかい表面樹脂はやや厚めである。木軸よりやや重い。
   
 鉛筆という古典的な製品で、形態をそのままにして従来とは全く異なる技術を導入していること自体に驚きと興味を感じる。メーカーの説明では「芯、軸、塗料部のそれぞれの材料をチップ状に加工し、最新の機械で細い棒状に押し出し式に成型します。」とある。認証森林の木材と廃材を使用していて、環境に配慮しているというのがウリで、さらに筆記距離が2倍になっていることや、表面樹脂のソフトなタッチもPRしている。国内では何処に着目しているのかわからないが、2010年度グッドデザイン賞を受賞している。

 軸材がやや硬めで、木質系の印象はなく、樹脂製に見える。ポケットタイプの鉛筆削り器で、やや抵抗が大きいものの削りには支障はない。しかし、卓上型の鉛筆削りでは抵抗が大きく、しかもきれいに削れない点は困りものである。削り器での仕上がり面は、樹脂に由来するものと思われるが、写真のとおり驚くほどツルツルになる。技術的には非常に興味深いが、従来製品に対して有利性を持っているとは思えない。なぜこんなものを開発したのか理解しにくい。
 
   環境に優しいことを推し進めるとこんな製品も生まれている。米国のエコ文具ブランドのオーボン O'BON 新聞紙鉛筆である。中国国内で古新聞を原料として生産されている。
 こちらは卓上型の鉛筆削り(上段)でもポケットタイプの鉛筆削り(下段)でも問題なく削れる。ただし、削り面はわずかに毛羽立ち、木をサクサク削る快感は得られないが、面白い製品である。
 
   
   上の写真は、塗装面を薄く削り落としてみたもので、中国国内の新聞の漢字が現れた。これを見てわかるとおり、構造的には芯を新聞紙で巻き上げたものとなっている。随分手間のかかりそうな製品である。 
   
   
 国内の鉛筆用材の変遷
 日本国内での鉛筆の工業生産の開始は明治中期とされ、当時輸入されていた欧米の製品に倣い、米国産のエンピツビャクシン(Eastern Redcedar ,Juniperus virginiana)及び近縁ビャクシン類を輸入・使用するとともに、代替可能な国産材として同属の国産ビャクシンイブキ)やイチイホオノキカツラを使用したことが明治45年刊の「木材の工藝的利用」に記録されている。
   
 
 写真はいずれもエンピツビャクシン
 左下は雄花をつけたもの。

 (つくば市 森林総合研究所植栽樹)
エンピツビャクシンの葉   
   
エンピツビャクシンの葉先  エンピツビャクシンの樹皮 
 
   
  また、エンピツ用材としてヤマハンノキシナノキヒノキも使用された沿革がある。「日本鉛筆史」では、これらのほか、ヒメコマツシラカバアカマツスギサワラコウヤマキネズコハクヨウ(注:白楊 ドロノキ)も掲げているほか、南洋材としてビノアン(注:Binuang(フィリピン名)か?)、アガチストム(注:Thomu(ラオス名)=モラベ(Molave フィリピン名)か?)、ジョルトン(注:ジェルトン(Jelutong インドネシア名)であろう)を、台湾材としてアサン(Asam(サバ名)=マンゴ(Mango)か?)、タイワンヒノキベニヒを掲げている。これらの樹種別の記録されているコメントの事例を列挙すれば、以下のとおりである。
   
米国ビャクシン
木理が通直で軟らかく疵がない。【工藝】
日本ビャクシン
良木は米国ビャクシンに劣らない。【工藝】
多量に生ぜず。材淡紅で柔らかく極めて適材であっらが、初期に使用されたのみで枯渇した。香りが高い。【鉛筆材概説】
イチイ
木理荒くビャクシンより材質が堅い。【工藝】 (注)この評価には疑問がある。
 大材は北海道方面、育ちが遅く材は緻密であって、淡赤色、弾力があり国産鉛筆として最上であった。イチイを原料とする鉛筆軸木工場は大正初期から昭和初年に掛けて資源の豊かな北海道の斜里地域に水車を動力とする鉛筆軸工場が15工場操業を開始した。昭和8年には鉛筆軸企業も広域化し、斜里中心に道東一円30工場が操業した。【土橋勝利】
ホオノキ
カツラ
 極めて劣等で、本来鉛筆にするようなものではなく、我が国でこれを鉛筆に利用するものがいるのは、用材の欠乏と鉛筆工業が幼稚で需用者の要求レベルが低いことによる。カツラはホオノキよりも下等である。【工藝】
(注)あくまで鉛筆軸木としての分担執筆者の評価である。
 ホオノキ及カツラを其儘(そのまま)鉛筆となすときは使用の際削りて滑らかならず粗造となり実用に適せず故に之を鉄筒に入れ豆を焙るが如く回転しつつ、微焼せしむ之を「焼き」と称す焼きとなすは此二種の木のみにしてビャクシンは焼くことなし【工藝】
ヤマハンノキ
 通常業者はハンと称してシナとともに最も多く使用した。材質は柔らかく粗であって、イチイ、ヒメコマツに劣るが、他に利用の途がなく、鉛筆材として専用され、特に染色ができて好適であった。【鉛筆材概説】
 昭和のはじめ頃、コーリンの社長が伊豆産のハンに出会い、さらに競馬用の馬を見学に北海道の日高へ行ったときに伊豆より良質のハンを確認して、これも使用することになった。【鉛筆史】
シナノキ
 材は白色柔軟であって染色に適し、マッチの軸木、経木、ベニヤ板、軍用材と適用範囲が広く、採算上鉛筆軸木には高価であったが、戦中輸入材の減少のため、使用が増大した。【鉛筆材概説】
ヒノキ
 戦後岐阜県の企業がヒノキの間伐材を使用したが、いち早く輸入が再開されたインセンスシーダーに切り替えて成功した。【実態報告、天然素材】
 
 北星鉛筆の説明パネルの部分に左の小さな写真があった。解説文は次のとおりである。
 「北星鉛筆の歴史は北海道開拓時代に始まる。屯田兵として明治30年5月北海道に移住、木の豊富さに目を付け、明治42年杉谷木材を開業。鉛筆用の鉛板を製造し内地での販売としては、第一号企業だった。
 当時はエンピツ用材として道東地方のイチイが大量に伐採されたという。この大径木の樹種も気になるが、大径木ではしばしば空洞木となる、やはりイチイであろうか。
 エンピツビャクシンが現在のインセンスシーダに転換したのは米国内でより豊かな資源を求めた結果である。かつてのエンピツビャクシンは、経済的には重要視されておらず、シーダーウッドオイルが採取できるほか、野生動物や土壌の保護の機能で認知されている。(USDA)。

 鉛筆材の要件は誰が考えても明らかで、適度に軟らかくて削りやすく、できるだけ木理が通直で均質であって、しかも安定的に安く調達できるればよい。この視点で改めて中級品以上の大宗を占めているインセンスシーダを検分してみると、まず色は良い(もちろん調色しているが)。香りも良い。削り面もきれいで、特にナイフで削れば仕上がり面に艶が生じるほどである。仮に多様な素材が利用されていて、その中で商品としての差別化を図るのであれば、この素材の優位性が理解できなくもないが、斯くもこれ一辺倒で推移してきたことについてはやや理解しにくい。価格の要素を含めて絶対的な優位性があるとも思えないのである。

 むしろアジアの低価格の製品が伸び伸びと実用的視点で多様な素材を採用していることや、エコを前面に廃材を活用している製品を見ると、価格が折り合うのであればヒノキ間伐材の集成材は材質も適合しているし、これに多くをシフト出来ないものかという思いを強くする。この事例をまれに見ることはあるが、あくまで演出用小物で、一般性をもった製品にはなっていない。明治以来、輸入品の模倣に始まった鉛筆も成熟製品であり、古い時代の仕様・価値観(グレード)に囚われることはないと思われる。そもそも、鉛筆材として国産材がほとんど使用されていないのは非常に残念なことである。

 素材・製品に関してはもちろん国際的な競争に晒される現実があり、実は米国のインセンスシーダのスラットを供給する会社は、米国内で中国製のバスウッドの鉛筆が市場の過半を占めるに至った現実に対応し、既に中国国内で中国産バスウッドのスラットも製造しているという。また、中国国内には200を超す鉛筆工場が乱立していて、百円ショップにはこれら工場の1ダース百円の鉛筆が普通に見られる。なかなか厳しい現実ではある。
<参考1:エンピツビャクシン Juniperus virginiana
   
 エンピツビャクシンイースタンレッドシーダ Eastern Redcedar)はヒノキ科ビャクシン属の高木である。以下はUSDAの情報である。
 イースタンレッドシーダレッドジュニパー(Red juniper)又はサビン(savin)とも呼ぶ、米国の東半分の様々な地域に自生する針葉樹である。イースタンレッドシーダは一般に重要な経済的な価値のある樹種とは見なされていないが、その樹の美しさ、材の耐久性と加工性の良さから高く評価されているものの、一般的に重要な経済価値のある樹種とは見なされていない。この樹の本数・材積はほとんどの分布域で増加している。この樹はシーダーウッドオイルや多くの野生動物の餌(種子)や住みかを提供しているほか、脆弱な土壌の保護植物にもなっている。
<参考2:インセンスシーダ(オニヒバ) Libocedrus decurrens
   
 インセンスシーダ(Incense-cedar)は「インセンスシーダー」、「インセンスシダー」と表記されることもあるが、英語の発音としては「インセンスシーダ」が近い。以下はUSDAの情報である。
 インセンスシーダは、米国原産のヒノキ科 Libocedrus 属(リボケドルス属)のただ一つの種である。一般に夏季に乾燥する地域の西斜面に生育する。寿命が長く、ゆっくり成長する。上質の材は、ほとんどが鉛筆や外壁材の製造に向けられている。
 インセンスシーダーの心材は、その際だった耐久性と腐朽に対する抵抗性により、湿気のある場所でのイクステリア用材としては理想的なものとされている。この材は敷土台、窓枠、漆喰や化粧煉瓦の下地、温室用ベンチ、柵、杭、格子などとして、ほとんど手を掛けなくても長持ちする。インセンスシーダーはまた、その耐久性に加えて、寸法安定性があるとともに塗料保持性が良好であることから、外壁材としても広く利用されている。
 豊かな色合い、きれいな節、その芳香により、この材は内装材や木工材料として一般的なものとなっている。
 インセンスシーダーは、軟らかく、削りやすく、木理が通直であるため、鉛筆用材としては理想的である。多くの高い品等の材がこの用途に供されている。
 インセンスシーダーは、その分布域やそれ以外の地域で広く鑑賞樹として植栽されている。
<参考3:加工工程>
   
   製造工程の現物パネル(北星鉛筆展示品)    製造途中のサンプル(北星鉛筆展示品)
 以下、Incense Cedar Institute 等 による。
 軽くて丈夫なシーダ鉛筆は、再生可能な資源−カリフォルニア州やオレゴン州の綿密に管理経営されている持続可能な森林から産出される純正のインセンスシーダから生産される。
@  インセンスシーダの丸太はペンシルストック(pencil stock ,pencil squares とも。)と呼ばれる3×3インチの角材に製材される。ペンシルストックはさらに寸法安定性を確保するため、人工乾燥した上でブロック(block)(注:鉛筆の仕上がり長さより少し長いサイズ。)にカットされる。
A  ペンシルブロック(pencil block)は、仕上がった鉛筆の厚みの1/2の厚さのスラット(slats)に鋸挽きされる。タングステンチップの鋸歯を使うことで、許容誤差プラスマイナス0.0003インチの精密さを確保している。
注:丸鋸によるロスを最小限にするため、非常に薄い刃が使用されていて、タンデム方式が見られる模様。
B  ペンシルスラット(pencil slats)は毒性のないワックスと染料のエマルジョンが加圧注入される。この混合物によって、シーダ鉛筆の色が強調されるとともに削りやすくなる。
C  染色されたスラットは、芯が収まるように機械で溝が切られる。
D  鉛筆の芯は粘土グラファイト黒鉛)の混合物を高温で焼き上げて、さらに書き味を向上するため油をしみ込ませている。芯は下側のスラットの溝に納められる。インセンスシーダの強さと安定性によって、芯が折れるのを防いでいる。
注:「黒鉛」は誤解を招きやすい訳語であるが、鉛には無縁(無鉛)である。芯の硬さはグラファイトの比率が高いほど柔らかく(濃く)なる。
E  溝切りをしたもう1枚のスラットを芯が収まった先のスラットの上に接着して、サンドイッチとする。接着されたそれぞれのサンドイッチは、接着剤が乾燥するまで水圧クランプで強く締める。
F  高速の削り機械がスラットのサンドイッチを1本1本の鉛筆に削り仕上げる。
G  個々の鉛筆は表面が滑らかになるよう研磨される。研磨が完了すれば,仕上げ段階となる。
H  毒性のない塗装が数回(4〜10回)施される。乾燥後に製造会社名が一つの面にスタンプされる。端を切り揃え、消しゴムつきの場合は別途工程へ。
<参考4:国内での主要経過(「日本鉛筆史:平成4.6.20 東京都鉛筆加工業協同組合」より)

 鉛筆の輸入は明治時代に始まる。
 日露戦争までは輸入品優勢の時代が続き、大正初め頃までの間に国産の生産量が増加。
 軸板は輸入品と国産を併用。
 大正3年頃より輸出開始。
 第一次大戦によるヨーロッパの戦乱を機に輸出を拡大(品質は劣悪で、軸の両端にだけ芯を入れた粗悪な「キセル鉛筆」まで登場し、大戦後には先進国市場から閉め出される原因になった。 
 日中戦争に始まる戦争中は輸入が禁じられ国産品のみの時期が続いた。
 軸板の供給は主として北海道材に依存。
 敗戦で各産業が壊滅状態となったが、昭和30年頃には業界は戦前のピークを越えた。
 戦後はインセンスシーダーの輸入が再開され、北海道材と併存したが、輸入材は高級品に、国内材は廉価品に利用された。
 昭和37〜54年が戦後の生産量のピークで、以後次第に減少して今日に至る。
 
<参考5:鉛筆工場リスト>
 日本鉛筆工業協同組合の組合員名簿では、鉛筆製品製造業、鉛筆加工業、しん製造業、その他の業種全33社が並んでいる。(全企業がカバーされているものではない。)
【日本鉛筆工業協同組合・組合員名簿】
    会社名    業種         所在地等
アイボール鉛筆 株式会社 鉛筆製品製造業、その他 東京都荒川区荒川5−36−9
昭和22年8月創業 昭和32年1月設立
http://www.eyeball.co.jp/
有限会社 市川鉛筆製作所 鉛筆加工業 東京都荒川区町屋6丁目1-10
大正4年市川三太郎創業
いとう鉛筆意匠 株式会社 鉛筆加工業 東京都 足立区 足立1丁目9−6
有限会社 ウエルビー鉛筆 鉛筆製品製造業 埼玉県 吉川市 加藤824−1
大正4年谷口基重創業
有限会社 宇南山鉛筆 鉛筆加工業 東京都 葛飾区 東四つ木1丁目13−28
梅川鉛筆木工所 鉛筆加工業 茨城県土浦市並木5丁目4112
有限会社 大野工業所 鉛筆加工業
オリエンタル産業 株式会社 黒・色しん製造業 山梨県甲府市上条新居町180番地 1953年3月(昭和28年)設立
http://www.oriental-ind.co.jp
株式会社 金子鉛筆製作所 鉛筆加工業 東京都荒川区町屋6-6-11
昭和22年金子金次郎創業
昭和28年12月29日設立
http://www.kaneko-pencil.co.jp/index.html 
10 北星鉛筆 株式会社 鉛筆製品製造業、その他 東京都葛飾区四つ木 1-23-11  
昭和26年1月29日設立
http://www.kitaboshi.co.jp/
(注)沿革的には、三菱鉛筆の兄弟である。
11 キリン鉛筆 株式会社 鉛筆製品製造業、その他 東京都荒川区西尾久3丁目5番地5号
大正5年1月創業 昭和22年8月設立
http://www.kirin-pencil.co.jp
12 株式会社 キャメル鉛筆製作所 鉛筆製品製造業、その他 東京都荒川区町屋3丁目19番20号 
創業 昭和14年3月創業、昭和24年創立
http://www.camel-pencil.co.jp/
13 興伸色鉛筆芯 株式会社 色しん製造業 東京都墨田区墨田3丁目1−3
14 株式会社 サカモト 鉛筆製品製造業、その他 東京都台東区浅草3-25-9 
昭和25年1月創業 昭和33年10月設立
http://www.sakamoto-co-ltd.jp
15 三優鉛筆 株式会社 鉛筆加工業 埼玉県さいたま市緑区原山3-4-13
16 株式会社 三恵鉛筆 鉛筆加工業 東京都葛飾区四つ木5丁目16−5
17 有限会社 篠崎鉛筆製作所 鉛筆加工業 東京都荒川区町屋7丁目15−27
18 柴田鉛筆 株式会社 鉛筆製品製造業 東京都葛飾区堀切3丁目35-1
19 菅野鉛筆製作所 鉛筆加工業 東京都荒川区西日暮里6−19−7
昭和26年菅野常太郎創業
20 鈴木印刷所 鉛筆加工業 東京都葛飾区金町2丁目18−6
21 太陽鉛筆 株式会社 鉛筆製品製造業、その他 東京都荒川区町屋6丁目3-3
22 有限会社 高崎鉛筆製作所 筆製品製造業 東京都荒川区町屋3−14−18
昭和8年高崎俊創業
23 田島鉛筆製作所 鉛筆加工業 東京都葛飾区堀切1−41−3
昭和24年田島仁郎創業
24 株式会社 トキワ 鉛筆製品製造業、その他 東京本社:東京都北区 
木工・木軸部門: 岐阜県中津川市
http://www.tokiwacorp.co.jp
25 株式会社 トンボ鉛筆 鉛筆製品製造業、その他 東京都北区豊島6-10-12
大正2年2月小川春之助が浅草に「小川春之助商店」を開業
http://www.tombow.com
26 有限会社 並木鉛芯 色しん製造業 千葉県市原市西国吉1712−2
昭和元年並木半七創業 昭和28年設立
27 有限会社 福田産業 鉛筆加工業 東京都 足立区 本木1−13−3
28 ぺんてる 株式会社 鉛筆製品製造業、その他 東京都中央区日本橋小網町7-2
昭和21年3月堀江幸夫創立
http://www.pentel.co.jp/
29 有限会社 前田鉛筆製作所 鉛筆加工業(塗装・絵柄プリント等) 東京都荒川区町屋 3−26−2
30 三菱鉛筆 株式会社 鉛筆製品製造業、その他 東京都品川区東大井5丁目23番37号
明治20年眞崎仁六が内藤新宿(現新宿区内藤町)にて眞崎鉛筆製造所を設立
http://www.mpuni.co.jp/ 
(注)旧財閥系の三菱とは無関係である。
31 有限会社 柳沢鉛筆製作所 鉛筆加工業 東京都 荒川区 荒川4−52−4
32 有限会社 レナウン・ヤマザキ その他 埼玉県 三郷市 采女1−177−3
33 株式会社 谷中 鉛筆加工業 埼玉県越谷市大間野町3丁目50
昭和40年谷中達明創業
注:  三角顔で知られたコーリン鉛筆株式会社は1997年に倒産したが、2009年に株式会社コーリン色鉛筆(東京都墨田区墨田3-1-3)の名で事業を再開している。
 北星鉛筆によれば、現在の鉛筆製造会社は全国で44社で、この内34社が都内にあって、半数が荒川区と葛飾区に集中しているとしている。