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木の雑記帳
 
  南天箸と南天柱は本物か
    
            


 殺風景な冬の時期は、ナンテンの鮮やかな赤い実がよく目立つ。昔から南天は生活に密着した植物で、「難を転じる」の語呂から縁起木、厄よけとしてとしても親しまれてきたところであり、生薬として現在でも利用されている。
 しかし、南天の箸が広く販売されているのを見ると、あの細い南天で効率的に箸ができるとはとても考えられない。語呂合わせはともかくとして、そもそも箸材としてふさわしい素材なのだろうか。【2009.2】
 


 よく見かける樹木名の看板大手アボックの製品では、ナンテンの説明には、「この木には食物の腐敗をふせぎ、毒消しの力があると信じられ葉をお祝いのお赤飯や魚にそえます。実つきの枝は正月のおかざりにします。」と簡潔にわかりやすく記している。
 また、ナンテンの実と葉にはアルカロイドのドメスチンを含むとされ、果実を干したものは生薬名で南天実(なんてんじつ)の名があって、古くから鎮咳剤(せき止め)として利用されてきた。現在でも例えば「南天のど飴」は南天マンと南天のど飴の歌とともに健在である。
 しかし、そもそもナンテンの材(細いから「材」の言葉も馴染まないが)についてはまじまじと見たことがないから、改めて観察してみることにした。
     南天の横断面
 直径で2センチちょっとのものであるが、中心部の髄が比較的大きい。工作の素材とするにはこれはじゃまになる。また、放射組織がよく目立つ。道管の並びから環孔材である。
       南天の縦断面   
放射組織は縦方向にも長い。その他、木繊維、道管等の並びによる外観は、まるで竹の材のように見える。
    南天材の工芸品
 木工クラフトとして見かけたもので、南天の輪切りを染色したもののようである。
(真庭郡勝山町 勝山木材ふれあい会館)
 南天の箸
 日本全国に広く普及している「南天」と表示した箸についてはどうにも合点がいかず不満であった。ナンテンはせいぜい2,3センチほどの太さにしかならないからである。
 太くならない上に常に通直であるとは限らず、さらに中心部の髄が比較的大きく、この髄をはずして木取りするには3センチ以上の太さが必要で、これほどのナンテンはそれほど多くない。そもそも、細いナンテンは箸を合理的に量産できる素材ではないし、材を積極的に利用する理由も全くないと考えられる。
 
  「白南天」の表示のある夫婦箸の部分である。色が非常に白いのは漂白によるものであろう。特に木口面を見れば南天ではないことは明らかで、樹種は不明であるが、驚くほど軽い。

 南天とは何の関係もないものを南天箸と呼ぶ業界の習慣が古くから定着している。

 悲しいことに、購入した者は必ずや南天と思い込んでいるであろう。 

 それでは、商品として広く普及している「南天」「白南天」あるいは「茶南天」などと表示された箸は一体何なのであろうか。

 このことについては以前に福井県小浜市に本社を置き、主要な百貨店とも取引のある「株式会社 兵左衛門」さんに様子を聞いてみたところ、親切に教えてもらうことができた。 概要は以下のとおりであった。
@  一般に「茶南天」といわれるものは、鉄木という外材の木地が使われている。
A  「白南天」と称しているものは、もともとの木地の色を薬剤等により漂白したもので、その材料としては様々な外材が使われている模様。
B  本当の国産の南天の木は、細く小さいため、本物の南天の箸を大量に作るのは難しい。
C  (それでもお客さんの要望に応えるため)毎年南天の木が自生する山の持ち主から箸にできそうな南天の枝を入手し、数量限定で本物の「南天箸」を作っている。南天の自然の枝ぶりをそのまま生かし、皮つきで箸先を削って仕上げている。
 こうした誠実な事業者もいるということはささやかな安心材料である。商品としての表示にはいろいろ問題がある。それでも表示義務としては単に「材質 天然木」とすれば野放しとなっているのはいかがなものか。人間は基本的に野性を残しているから、見てわからなければ意図的によくないことをするのは、残念ながらこれに限ったことではない。

 ついでながら、本当の南天の箸が背景としてあったのかは確認できないが、播州赤穂地方の俗信として、「南天の木の箸を用いると中風にならぬ」というものがあるそうで、言葉の上だけのものである可能性がある。

 なお、ふつう南天の箸として市販されているものは,イイギリや南方産のアピトン(フィリピンでの呼称で,マレーシア・インドネシアではクルインと呼ぶ。)材であるとする情報もある。(南天の材は特徴があるから、これを知っていれば、ナンテンか否かの判断は容易である。)

 イイギリについては果実の印象がナンテンに似るために、ナンテンギリヤマナンテンの呼称もあるが、材は南天よりも白くて軽く、下駄用材としてキリの代用として利用された歴史がある。表面塗装する箸の素材として、こうしたやや軟らかい材を本当に利用するのかは疑問がある。先に紹介した「白南天」としていた箸は明らかにイイギリではない

 参考として、イイギリのサンプル材の外観を示せば、次のとおりである。
   
      イイギリの木口面
 木口面では年輪を確認できるが、縦に挽いた材面ではほとんど分からない。

            イイギリの材面
 材は非常に白く、かつてはキリの代用として下駄材として利用されたほかは、目立つ利用はなかった模様である。キリの名が付いているが、それほど軟らかいという印象はない。
 さて、ここまで南天箸の話をしてきたことから、せっかくなので、小刀でワイルドに削った本物の自家製南天箸を紹介する。素材が比較的硬いため、本当は鉋で仕上げた方が楽である。
                自家製本物の南天の箸
 南天としては太めの直径3センチほどの材料を四つ割りして2膳つくることができた。比較的大きめの髄をはずす必要があって、大量の削り屑が発生する。また、枝のあとが竹の節のように節くれていて、木材の繊維が乱れているためきれいに削りにくい。生の南天の木は柔らかいが、乾燥によってかなり硬くなる。したがって、強度も十分で素地のままでも一定期間の使用に耐える実用品となる。ただし、素材の観点で言えば、これこだわる特別の理由はないように思われる。したがって、南天の箸は本物であっても、あくまで「難を転じる」縁起木、厄除けとして軽く楽しむためのものと理解すればよい。
 南天柱
 「南天の柱」はどこにでもあるものではないから、言葉としては「珍しいもの、豪奢なもののたとえ」(小学館日本語大辞典)とされる。現物にはお目にかかったことがないから、以下に記述情報を紹介する。
【銘木史】
@  京都鹿苑寺(金閣寺)夕桂亭(せっかてい。茶室)はナンテンの床柱で有名であるが、ここでは中柱(茶室内にはりだして炉隅に立てた柱)に用いられており、おそらく、ナンテンの柱としては日本で最大であろうといわれている。
A  また、東京柴又帝釈天大客殿頂経の間にもナンテンの床柱があり、説明書によれば、かつて近江の伊吹山麓にあったもので、その直径は約30センチあり、日本一の大きさを誇ると書かれている。しかし、株から10センチほどのところで数本に分かれており、最も太いもので胸高直径は5センチ程度のものである。したがって床柱とはいっても、角柱の前に添えもののような形で据えられている。
 このほか日光の旧御用邸(現在は市の博物館)にも「南天の間」があるなど、尋ねれば他にもあると思われるが、本当にナンテンであるか、その信憑性を疑問視する向きもある。
【菱山忠三郎】
@  あまり大きくなる木ではないが、有名なのは何といっても京都の鹿苑寺(金閣寺)にある茶室の夕佳亭(せっかてい)の床柱である。これは足利義満が海路はるばる琉球王国から取り寄せたものと伝えられている。
A  東京葛飾柴又帝釈天の客殿の南天の間にある床柱も実に見事である。8本に枝分かれしており、もっとも太い幹は下から50センチのところで周囲28センチ、直径8.7センチある。これは伊吹山下の坂田郡春照(すいじょう)村の旧家,的場徹氏の家の庭にあったものとされる。
・金閣寺の茅葺茶屋「夕佳亭」の「南天床柱」は公式ホームページでも紹介されている。ツルウメモドキの太いツルのようにくねり、先端は二股になっているようである。
・南天の柱といわれているものは,普通イイギリなどの別種の材であるとする見解がある。(小学館日本大百科全書・湯浅浩史)
 南天はふつうはそれほど太くならないことから、仮に直径が5センチもあれば非常に珍しいものとなる。つまり、太い場合はその希少性のみが価値で、材あるいは外観が特別の魅力、味を有するというものでもない。
 なお、もし南天としているものに疑義がある場合は、ザックリ切ってその木口を見ればたちどころに結論が出ると思われる。