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木の雑記帳
     帆船日本丸及戦艦大和ノ木甲板ニ関スル検分調書


 昔から船舶の甲板用材としてはチーク材が一番よいと言われていて、現在でも豪華客船やクルーザーにはチーク材が甲板の表面材等として好んで使用されている模様である。木造船の時代(黒船や咸臨丸もまだ木造船であったという。)からチークが一般的であったとは考えられないが、造船用材としては古くから耐久性と強度に優れた材が選定されてきた経過があり、そうした中でチークは特別の評価を得てきたということである。
 一方、大日本帝国海軍の軍艦について見ると、装甲技術としての鋼製の甲鈑に関して、砲弾の進化に対応した耐弾性能の向上が求められたことから、様々な技術的な変遷が見られ、多くの書籍でその詳しい記録を見ることができるのであるが、特定の軍艦の甲鈑に張ったとされる木甲板に関しては、情報が非常に少ないことに驚かされる。【2010.9】


 初代帆船日本丸の甲板

 横浜市の日本丸メモリアルパークに、引退した初代帆船日本丸が係留されていて、内部をじっくり見学できるようになっている。
 もちろん、木造船ではないが、練習船としての帆船であることから、うれしいことに甲板はすべてチークとした仕様で、木甲板の感触を堪能できる。
 
 引退した練習船の帆船が各地に保存されているが、陸の帆船≠謔閧熕に浮かぶ帆船が美しい。


(注)   「甲板」を「かんぱん」と読んでいる場合と「こうはん」と読んでいる場合が見られるが、分野別の慣習的なもののようで、本質的なことではないので、気にする必要はないと思われる。ただし、上甲板中甲板下甲板は「かんぱん」読みで、一方、甲板員甲板室は「こうはん」読みで、まるで読みやすさで使い分けているようにも見える。なお、「こういた」と読むと机の天板を指して、別物になってしまう。
  美しい初代帆船日本丸 
            ランドマークタワーから見た帆船日本丸
 灰色に見える甲板は、すべてチーク材とのことである。帆船はどこから見ても美しい。


     甲板から後方を眺めた風景

 風雨にさらされ、さらにごしごし磨かれるためか、チーク材は固有の魅力的な色は失っている。
 屋内環境であれば、チークのしっとり感のある、艶やかな色彩は維持されるが、屋外ではこういったものなのであろう。
 思わず木材用のオイル(チークオイルでも)を摺り込んでやりたくなってしまうが、長きにわたる評価のあるチークであり、その特性が発揮されている状態であると理解すべきものなのであろう。 

           船首楼甲板

         チーク甲板のアップ写真 
        半割の椰子の実
 この椰子の実(ココナッツ)は、従前から練習船がハワイに寄港した際に調達してきたとのことである。甲板磨き「椰子摺り」(やしずり)の呼称があるほか、訓練生は「タンツー」(“turn to” に由来するとか。)と呼ぶとのこと。)は,甲板に海水と砂を撒いて半割りの椰子の実で、ごしごしやるのだそうである。
       チーク甲板材のサンプル
 いずれも年季の入った木片に見えるが、左が新品で、右が55年経過したものとある。60ミリ厚のものが40ミリほどになっている。
 これだけ磨り減るまでごしごしやったとは驚きである。甲板磨きは訓練生を鍛えるための重要なメニューのようであり、練習船の甲板は、維持管理に必要とされる以上にゴシゴシされ擦り減る運命にあるようである。
 左のロープを掛けた黒光りした棒は ビレイピンbelaying pin )の名がある。素材はリグナムバイタとの説明であった。かつてはスクリューの軸受け素材として賞用されたとびきり硬い素材であるが,こんなところにも使用されていたことを初めて知った。金属製のビレイピンも併用されていた。
(注)英語の発音に忠実にビレイングピンとも呼んでいる。

 なお、ついでに船内の内装材を物色すると、ミズナラ材が多用されているのを確認した。

帆船日本丸
  帆船に本丸記念財団・JTB共同事業体
  神奈川県横浜市西区みなとみらい2−1−1
(なぜチークの木甲板が賞用されたのか?)
 
 【初代帆船日本丸・ボランティアガイドの説明】
 裸足で展帆作業をするため、帆船では木甲板が適合している。さらに、裸足でも支障がないよう、半割の椰子の実の殻で甲板を磨いて、ささくれ立つことのないよう維持しているものである。
 チーク材の甲板の目地には、本来は(石油系の)ピッチを充填していたが、これをこなせる技術者がいなくなったことから、プラスティック(注:コーキング剤を指しているのであろう。)で代用しているが、木との密着性はピッチに及ばない。なお、越中島の東京海洋大学(統合前は東京商船大学)に陸上保存されている明治丸(重要文化財)の甲板はベイマツ製である。

 改めて考えてみると、以下のように整理できる。

@  油分を含み、耐久性に優れた特性を有する優良な素材であること。
A  前記に由来し、古典的、伝統的な甲板素材であったことに加えて、訓練船にあってはプライドを持った甲板磨きの日課を演出できること。(現在でも、子供たちを対象とした海洋教室でもメニューとなっている。)
B  家具、内装材としても評価が高く、特に豪華客船やクルーザー等では高級感を演出できること
      参考:戦艦三笠のチーク甲板
 三笠はイギリスで建造されたもので、当初のチーク甲板が一部だけ残されている。さすがに大英帝国の手によるもので、板の幅は20センチを超えている。
記念艦 三笠
  神奈川県横須賀市稲岡町82-19
      参考:チークのサンプル材
 
日光や風雨にさらされていないチークの本来の質感は写真のとおりである。この材のしっとり感は固有のもので、他の材では例がない。
<つぶやきメモ>

 熱帯アジア・熱帯アメリカ・アフリカ産の名の知れた木材は、かつてこれら地域のほとんどを支配し、ほしいがままに富を収奪したヨーロッパの列強諸国が自らの文化の価値基準で需要を開拓し、母国等で贅沢に利用した歴史の延長線上にあるものばかりである。
 チークも同様で、熱帯アジア産のこの優良材は現地でのささやかな利用とは別に、宗主国等で造船材、高級家具材等として天然林材が大量消費され、これが先細りになるや、イギリスの植民地のミャンマーやインド、オランダの植民地のインドネシアでは、現地人をこき使って造林が進められた歴史がある。

 素手、素足ですこぶる触感のよい魅力的な材であるが、和の様式、せせこましい洋風もどきの住宅には合わせにくい個性がある。

 なお、商品として「チークオイル」の名の木材用オイルが販売されている。チーク製家具等のメンテナンス用のオイルである。チーク材に脂気があることから、チーク材の油脂成分と誤解されていることが多いが、全く別の植物系乾性油である。
<参考1>

 【Britannica Online Encyclopedia(抄)】
 チーク材は極めて耐久性に優れ、造船、高級家具、ドアや窓枠、波止場、橋、冷却塔のルーバー、フローリング、パネル、鉄道車両、ベネチアブラインドに利用されている。チークのひとつの重要な特性は、極めて優れた寸法安定性である。重さは中程度で、平均的な固さであるが強度に優れている。シロアリは辺材は食うが、心材はほとんど攻撃しない。ただし、海虫に対して完璧な抵抗性があるわけではない。世界の供給の多くはミャンマーが担っていて、インドネシア、インド、タイの生産がこれに次いでいる。

 【http://www.upscaleteakfurniture.com より(抄)】
 チークは広葉樹の王様で、その耐久性と安定性から世界で最も貴重な木材のひとつとなっている。チークは他のいかなる広葉樹より耐久性があり、比類のない美しさを有している。チークはいかなる気候にも耐えられる。かつてのビルマやタイの王国ではチークは王家の木と見なされていた。
 数百年間にわたって造船産業の柱であった。タイタニックの甲板もチークで覆われていた。チークはまた砂漠の酷熱に耐え、燃えにくい数少ない木材であることから、中東の石油産業が利用している。チークは強い化学物質に耐え、細菌、腐朽、シロアリに耐える。
 チークはインドでは2千年以上にわたって広く利用されてきた。“ teak ”の名称はマレー語の“ tekka ”に由来する。材に含まれる油分とゴム質に由来して、チークは他の木材よりも優れた耐候性を有している。
 戦艦大和の木甲板

 戦勝国であれば少々貧相でも戦艦ミズーリのように記念保存されているわけで、日本国の誇りでもあった勇壮な大和の現物を見ることができないのは残念でならない。仕方がないので、呉市の大和ミュージアムで我慢することにした。木甲板の情報がいくらかでも得られればという動機である。
       戦艦大和 1
 大和ミュージアムの主役である全長 26.3メートルの10分の1戦艦大和
            戦艦大和 2 
日本男児の多くはこれを見ているだけで本能的にしびれてしまう。
 艦首の菊花紋がデザイン的にも相性ぴったりで、重厚感を増している。
         戦艦大和 3
 木甲板の全体像がよくわかる。これにより、デザイン的にも格調高いものとなっている。
          戦艦大和 4
 大和の象徴でもある46センチ3連装主砲。砲塔は一基当たりの重量が2,799トンあったという。
呉市海事歴史科学館 大和ミュージアム
  広島県呉市宝町5−20
 
(大和の木甲板の樹種は何であったのか?)

 これに関しては説明版で明記していた。以下のとおりである。
 「戦艦の甲板(こうはん)は、帆船時代からの伝統歩きやすさ甲板下の諸室の保温などから水平装甲鈑の上に木甲板(もっこうはん)を張っていました。木材は、大正9(1920)年に呉海軍工廠で竣工した戦艦「長門」から台湾ヒノキ材が使用されていました。戦艦「大和」の甲板材も台湾ヒノキが使われていました。一見平らに見える甲板も平面ではなく、水はけをよくするために左右方向に下りの傾斜が付き、横から見ても、うねるような曲線が連続的に繋がっています。」

(注1)  1/10スケールの模型では、縮尺に見合った印象となるよう、目の細かいタモ(ヤチダモ)の材が使用されている。
(注2)  なぜ木曽ヒノキではなくて台湾ヒノキだったのか。いずれも均質な優良材であるが、いかに最優先すべき国家事業といえども、コストは現実的な制約要素であったと思われ、当時としては台湾ヒノキの方が量的にも,コスト的にも利用しやすい条件にあったのかもしれない。あるいは、大径木を得やすい台湾ヒノキを選択したのか。「木材大百科」には台湾ヒノキの特性に関して次のような記述がある。「タイワンヒノキは日本のヒノキにくらべてふつうやや重硬で気乾比重は0.48程度である。心材は淡黄褐色から黄褐色で樹脂分が多く、一般に保存性は高いと考えてよい。」
(軍用艦船になぜ木甲板が使用されたのか?)

 【ミュージアム・学芸員からの聞き取り】
 戦艦、空母、巡洋艦、駆逐艦のうち、戦艦と空母には木甲板を張っていた。
  (注)実は模型の世界では常識のようで、現に模型用の艦種別「木甲板シール」が多数販売されている!!
 鉄製の甲鈑は滑りやすく、特に航空機を搭載した空母では表面材は木甲板が適当であった。
 戦艦武蔵の甲板は暗色であったが、これは装甲鈑に張った木甲板を暗色に塗装していたことによるもの。
 甲板の滑り止めには、滑り止め素材としてのラテックスも利用された模様。
  (注)説明してくれた学芸員は、驚くべきことに、何とピチピチの若いおねーさんであった!!

 【大和ミュージアム・ボランティアガイドからの聞き取り】
 軍艦は南方での活動が主で、鉄製の装甲鈑は非常に熱くなり、さらに内部にも熱の影響が及ぶことから、これを緩和するために木甲板を張っていたもの。

 ☆まとめ(木甲板とした理由)

 @ 表面及び内部が高温となるのを防ぐ素材として
 A 足に優しく滑りにくい素材として
 B 伝統を尊重するとともに、格式の高さを演出
 大日本帝国海軍の戦艦、空母の艦種別の木甲板の使用樹種に関する資料があるのかは残念ながら確認できない。輸入鑑の三笠はチーク甲板であったほか、国内建造軍鑑でチークやケヤキの使用実績があるとの断片情報はあるが全体像はよくわからない。歴史的には、チークを使いたくともままならない状況となっていったことが想像できる。装甲技術に比べれば、木甲板の樹種の選択に関してはそれほど重要な要素ではなかったことは容易に想像できるが、変化する環境の中で、どのような変遷をたどったのかは興味深く、是非とも知りたいものである。

 なお、日本にとって屈辱の舞台となった忌まわしき戦艦ミズーリの甲板は当初の甲板仕様は無垢のチーク材であったが、1950年代にモミ材とチークのラミネート材に置き換えられた模様である。
<参考2>菊花紋章など

 皇室の菊花紋章はデザインとしてもなかなか美しい。金色の菊花紋章は艦首のエンブレムとしてはぴったりである。
菊花紋の艦首飾りは、戦艦、巡洋艦、空母の艦首に飾られていた。
      菊花紋1
 大和ミュージアム1/10大和の艦首である。十六弁八重表菊の正しいデザインである。
      菊花紋2
 船の科学館1/50大和の艦首である。十六弁一重表菊となっているのは誤りで惜しい。
      菊花紋3
 パスポートの菊花紋は十六弁一重表菊で、結果として左の写真と同じである。
      菊花紋4
 巡洋艦「和泉」の艦首に取り付けられていた本物。艦はイギリスで建造、チリ海軍保有のものを明治27年に中古購入。土台は木製の寄木であることがわかる。
記念艦「三笠」内展示
     菊花紋5
 戦艦「三笠」の艦首に取り付けられていた本物。艦首の形状に合わせて湾曲している。当時、日本で設計・建造する能力があれば、菊花紋が平らになる配慮をしていたはずである。
記念艦「三笠」内展示
      菊花紋6
 勲章とセットの勲記の菊花紋の部分。叙勲は日本国天皇の名のもとに執り行われることから、勲記のデザインにはやはり十六弁八重表菊が配されている。
         
 
 ついでながら、これは権威(時に権力)の象徴としての旭日章である。勲章のデザインとしてもおなじみで、格調高いデザインである。よく見ると、それぞれ微妙に違いがあるようで、どのような定めになっているのであろうか。
 警察車両のエンブレム
 立体タイプの中では、これが一番美しい仕上がりである。
   某警察署玄関    某駐在所正面 警視庁パトカーのドア部

 一番左のものは特にきれいなデザインで質感も良いため、この仕様で自衛隊の艦船の艦首にも取り付ければ、少しは引き締まるのではないだろうか。旭日章は警察の占有物ではないから、提案したい。

<参考3>近年の木造船
 明治以降は軍用艦や輸送船は基本的には鋼船の歴史と思っていたところが、大東亜戦争中の意外な歴史を知った。戦争真っ直中に出版された「木造船の話」(中出榮三著 昭和18年9月10日 亜細亜書房)に、鋼材については優先すべき分野に投入しなければならない中で、海上輸送能力を強化するため、昭和18年1月20日、政府が「木造船建造緊急方策」を決定し、木造船関係者を指導督励して、木造船の増産に努めた状況が冒頭に記述されている。この本の出版目的自体が、戦争を勝ち抜くために一般国民に広く協力を求めることを目的としたものとなっている。
 既に、悲壮感が漂っていることを感じるが、ここでは、本書の木造船用材に関する部分のみを抜粋する。
  (木造船の)甲板に使用する木材は何んでもよく、松、杉、檜をはじめ栂(ツガ)、樅(モミ)なども使用されている。甲板を張るにあたって船倉や檣孔を明けて置き、特にその周囲を補強工作して置くのは勿論である。
  木造船用材は木材でさえあれば、何んでもよいが、やはり自ら適材と不適材がある。木材なら、木造船に役立つであろうと供出を申込むものがあるが、あまりに若いものや捻けたものは堅いようでも脆いのでかえって弱く船材として不適当である。
 造船用材の樹齢は欅(ケヤキ)2百年以上、杉は45年から80年前後、檜は150年くらいを経たものが良材である。 木造船材として適当なものは、竜骨、肋骨船首材、梁等船体の骨格に該当する処は堅材を使用するもので、堅材としては欅、樫、楢(ナラ)、クヌギ、赤柳塩地が適材である。
 船殻用材には松(赤、黒)、杉、檜、樅、栂、蝦夷松が適材で、この内、松杉は最も多く使われ、松は肋骨梁等の樫材代用としても使用されている。
 戦時標準型木造船は入手困難な堅材は避け、松材で代用している。松は重いが水に強いので歓迎されている。
 松のほか杉はあらゆる部分に使用されるし、一番多く使われるので杉材は最も大量的に供出が希望されている。
(注)  木造船の戦時標準型は昭和17年に海務院が5種の仕様を定め、これ以外の建造を禁じていた。その後、先の緊急方策を定めたことに伴い、250トン型、150トン型、100トン型の3種に整理している。
 偶然、これに係る当時の映像を目にすることが出来た。インターネットによる「NHK戦争証言アーカイブス」の公開映像に以下の映像が含まれていた。(注)いつまで公開されるのかは不明。
 http://cgi2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300533_00000&seg_number=005

日本ニュース第148号(1943年(昭和18年)4月7日公開のニュース映画)
 「木造船建造進捗」1分34秒
 ナレーションは以下のとおりである。 
  ここ伊豆、天城の御料林に丁々たる斧の響きがこだまする。1日(いちじつ)、井野農林大臣は船の増産に敢闘する山の人々、海の人々を激励すべく、陣頭指揮に乗り出しました。亭々たる巨木は次々と切り倒され、愛国の熱情はひたすら船へ海へ。
 一方、全国の海辺に設けられた造船所では、あの山の人々が精魂込めて切り出した木材によって、大東亜の海洋に活躍する木造船の建造が着々進められ、今日も一隻また一隻と、船を作る人々の喜びを乗せて進水していきます。
 (船が進水する様子)
 かくて国を挙げての造船進軍譜は今や最高潮に達し、海国日本の真価は遺憾なく発揮されております。