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木の雑記帳
 
  丸太を背負う母ちゃんたち
             


 この写真をはじめて目にしたときは、えっ!こんなことが本当に可能なのか!と思わず顔を近づけて、細部まで確認した。間違いなく地下足袋を履いた母ちゃんが3人、なんと自分の体よりも太い丸太を背負っているのである。冗談半分に張りぼての丸太を背負って、おもしろ写真を撮っているのではない。【2008.3】   



       坑木運搬の婦人達(昭和16年頃)
 
「歴史写真集 みかさ」(1991.10.1 三笠市立博物館発行))

 決して丸太に縛り付けられているわけではない。それが証拠に、丸太は間違いなく浮いているのだ。明らかに家族のため、生活のため、日銭を稼ぐためにがんばっている風景であり、当時の日常生活の一こまということである。しかし、誤って前のめりになって転んだら、丸太の重さで圧死してしまうのではなかろうか。
 現在の北海道三笠市はかつては周辺部の夕張地区を含めて石狩炭田として石炭の産地として知られ、明治期以降数多くの炭坑が開かれ、町はこれにより成り立ち多くの炭鉱労働者を擁していた。「坑木」とは、鉱山(ここでは炭坑)において、坑道の枠、支柱又は矢板として用いられる丸太のことで、大量の需要を北海道内の豊かな森林資源が支えていたのである。
 昭和41年頃の日本の石炭生産最盛期には、坑木として年間3,400千立方メートルもの需要があった(上村 武:木材の知識)とされる。

 さて、この丸太の重さはどれほどのものであろうか。丸太の末口径(切り口の細い方の径)が約28センチ、長さが2メートルとして、末口二乗法で材積を算出すると、
 28×28×2×1/10,000=0.157立方メートル
木材の比重は、乾燥の状態、樹種によりかなりの幅があるが、控えめに0.5 としても、推定重量は80キロ近くとなる。
 何とも大変な苦労をしていたことが偲ばれる。こんなことするために嫁に来たんじゃないと言いたいのを我慢しているのが伝わってくる。

<補足1>

 北海道開拓の過程での開墾や炭坑での労働が大変な困難を伴ったことは想像できるが、実はその前段に、先住民族を駆逐した上で囚人労働、タコ部屋労働、外国人労働といった強制労働により採炭、道路開削等の基盤整備を進めてきた暗黒の歴史がある。そのために失われた命は大変な数に上る。
 明治政府が北海道に複数の集治監(刑務所の当時の名称)を設置したのは、当時の多くの反政府の抵抗勢力、反乱分子を北海道開拓の安易な安上がり労働力として酷使することを目的としたものであったことが知られている。
 北海道で第一号の集治監は現在の月形町(町の名前は初代典獄(集治監の長)の名字に由来する。)に明治14年に設置された樺戸集治監である。大正8年に廃止されるまでの38年間に、ここだけで1046人の囚人が死亡したとされる。現在では当時の庁舎(明治19年築)は「月形樺戸博物館」となっているほか、付近には面積は1ヘクタールほどであるが、受刑者が明治23年に植栽した百年を超すスギが大きく育っている。
 豊かで美しい自然景観が売りの北海道であるが、こうした開拓暗黒史があることも忘れてはならない。
 
<補足2>

@坑木とは
鉱山において、坑道の土砂や岩石が崩れるのを防ぐために坑道内に枠、支柱又は矢板として用いられる丸太。

A坑木用材
坑道内は温湿度が高く、木材が普及しやすい環境なので、使用期間の長い「坑道坑木」としては耐朽性の高い樹種又は防腐処理材の太くて長い材が使用され、一方「切羽坑木」(きりはこうぼく)は、切羽を掘り尽くすと埋め戻して捨て去られるので耐朽性はあまり重視されず、低質のものが用いられた。
適用樹種は、北海道ではカラマツ、エゾマツ、トドマツ、ナラ、カバなど、本州ではアカマツ、カラマツなどで、次第に価格の安価な広葉樹のシェアが高まってきた経過がある。【上村 武】
(注)  国内の炭坑は2008年現在、北海道に小規模な露天掘りが見られるのみで、炭坑の坑木需要は全く見られない。

【追記 2009.6】
 ある方から、丸太を背負う同様の写真が存在するとの情報をいただいた。
新潟県相川町岩谷口(現佐渡市)昭和29年9月 撮影:中俣正義氏
「写真ものがたり 昭和の暮らし3 漁村と島」(2004.11. 15、 社団法人 農山漁村文化協会))

 またしても驚異の写真である。日本の母ちゃんたちは何と頑張り屋なんだろう。昭和29年であるから、ほんのちょっと前の風景である。丸太は樹皮の模様から松のようである。脚絆にわらじ、そして各人雑木の枝の杖を手にしている。ところで、この丸太の重さも相当なものと思われるが、5人の笑顔、明るさは一体どういうことであろうか。相当踏ん張っているはずなのに、はにかむようないい笑顔を見せている。カメラを向けられて、ついつい頑張って笑顔を作ってしまったのであろうか。
 写真を見ていると、ヒトが生きるということを意識し、しみじみと考えてしまう。