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木の雑記帳
   イチイのはなし


 イチイは国内では九州から北海道まで広く見られるが、特に北海道(この地ではオンコの呼称が一般的)にあっては特別な存在感を示している。北海道に生活する者なら誰でもが知っているとおり、イチイは古くから庭園、庭の主役(主木)であり続けていて、また、サカキやヒサカキが存在しない北海道にあっては神前の玉串にもイチイの枝を使うのが一般的である。
 また、イチイの材は特有の魅力的な赤味があって緻密であることから評価が高く、飛騨一刀彫りの素材としても知られていて、実はこれが随分前から北海道産のイチイに依存してきたことも知られている。 しかし、その北海道でもイチイの資源は減少し、かつては道東地方のイチイがエンピツ用材として大いに利用された歴史もあるが、現在ではその面影はなく、辛うじて国有林内で一部に残った純林が保護されている。こうして山のイチイは随分寂しくなったが、道内の個人住宅の庭では相変わらずイチイがたくさん見られるのは何とも皮肉なことである。【2011.8】 


   イチイには直径が1メートルを超えるものもあるが、大径木ではスギやヒノキのように先端まで健全に伸びている例はほとんどなく、多くは地面に立てられた寸詰まりの極太丸太から枝がチョロチョロ出たような樹型が一般的である。寿命の長い樹であるが、その間に満身創痍となり、いかにも風雪に耐えてきたという姿に化してしまう。こうした樹型のおかげか、そのまま造園の素材として移植・利用されている例が多く、自然を感じるいい風景をつくっている。 
   
 
     イチイの巨木「黄金水松(こがねみずまつ)」 

 堂々たるずんぐりむっくりのイチイの巨木で、北海道指定の天然記念物となっている。上部はやはり損傷がある。

  胸高周囲 620cm
  樹高    21m 
  推定樹齢 1700年(2001年7月計測値)
  寄贈    芦別鉱業株式会社

 説明板の記述は以下のとおりである。

 「この木は、樹齢1700年と推定されるイチイです。この地は、和人入植の数百年前から豊かな狩猟地として先住民族に知られており、芦別を往来する際にはこの老樹を訪れ、神樹として崇拝する習わしがあったと伝えられています。蝦夷地の移り変わりを秘めた巨樹として住民に敬愛され、平成14年に北海道の天然記念物にも指定されました。」

  黄金水松公園
   北海道芦別市黄金町764
         屋内のイチイ(オンコ)巨木

 故あって、施設内に展示されたイチイの巨木である。説明板の記述は以下のとおりである。

 「このイチイは日本一といわれ、一位名木永久保存とされていたものです。高さ23m、直径2.4m、幹の周囲が7.4m、そして1500年の長い間北海道の厳しい風雪に耐え育ったものです。町有林内の尾根の部分に根をおろしいつも空知平野を見おろす様は、まさに王者の風格を漂わせ、林業を営む人たちの守神としても崇められたそうです。しかし、さすがの巨木も高齢には耐えきれず、たび重なる台風のため頂上の部分から、少しずつ短くなりました。昭和29年の記録的な15号台風により倒れ、その後約30年間、雨にさらされていたものを搬出のうえ、組立てたものです。」

  樺戸博物館
   北海道樺戸郡月形町1219
   
 イチイのあらまし  
   
 
       イチイの葉
  イチイは側枝で葉を平らに付ける
        イチイの実
 見事に実を付けたイチイ
      イチイの実
 イチイ仮種皮の色・形態は美しい 
      キャラボクの葉
 キャラボクは葉を螺旋状に付ける
   ダイセンキャラボクの実      セイヨウイチイの葉
   
 
 イチイ Taxus cuspidata は北海道から九州・沖縄まで、アジア東北部に分布するイチイ科イチイ属の常緑高木で、雌雄異株。地域によりアララギオンコの呼称がある。
 イチイ科には5属約23種、イチイ属には約11種知られていている。中国にはイチイを含む4種1変種、日本にはイチイ及びその変種のキャラボクが分布している。
   鳥取県大山に自生するものはダイセンキャラボクと呼ばれ、国の天然記念物に指定、保護されている。独立の種と考えられたこともあるが、キャラボクの環境に適応した1型とみる説が多い。【平凡社日本の野生植物】  
 葉は螺旋状に付くが、側枝では2列に近い並びとなる。
 種子は杯状の赤い仮種皮に包まれ、仮種皮は甘く食べられる。
 仮種皮が黄色いものもあって、「キミノオンコ」という。セイヨウイチイでも仮種皮の黄色い「ルテア」の名の栽培品種 Taxus baccata ‘Lutea' が存在する。
 種子及び葉には呼吸麻痺を起こすタキシン(taxine)を含有している。
 乾燥した葉又は木部を煎じた汁を服用すれば利尿・通経剤として有効であるが、特に糖尿病に用ひて効がある。【村越:薬用植物事典】
 イチイ属の各樹種の樹皮、枝葉から抗がん薬ができることが世界的に知られている。
・   心材からは蘇芳色の染料が得られ、中国の図鑑にも同様の記述(後出)が見られる。 
   
 植栽木としてのイチイの例
 
   以下は植栽されイチイの樹型のバリエーションである。いずれも北海道内での風景。 
   
 
    イチイの樹形 1
 上部が枯れてチョン切られてしまっている。
    イチイの樹形 2
 枯れた梢端部を残してあっても風情がある。盆栽の舎利幹のようである。
   イチイの樹形 3
 梢端部の枯れが進行するとワビ、サビの世界となる。
   イチイの樹形 4
 中心部を失っている。見えない空洞となるケースが多い。
       
   イチイの樹形 5 
 二股となったもの。
   イチイの樹形 6 
 株立ち状態となったもの。
   イチイの樹形 7 
 丁寧に剪定されたものも美しい。
   イチイの樹形 8 
 一本の樹を低く仕立てた例。
   
 イチイの材

  イチイの名の由来に関しては、「仁徳天皇はこの材で笏(しゃく)を作り木に正一位を授けたという【樹木大図説】。」とか、「昔、この材で笏をつくったことから、位階の正一位、従一位にちなんでつけられたといわれる【樹に咲く花】。」といった伝説が紹介されている。イチイの笏は現在でも存在する。
   
 イチイ材の外観

 
イチイの魅力はオレンジ色がかった独特の赤味とやや硬めの緻密な材質である。自家用として、イチイの箸を削ってみた感触では、材の堅さはかなり個体差があって、やはり堅めのものの方がいい艶が生じることを確認した。また、心材の色合いについても随分個体差が見られた。淡色の辺材部は非常に薄く、この部分は一般的に利用されないが、床柱に限っては心材と辺材の色の変化を積極的に見せる仕上げが採用されている。 
   
 
        イチイの枝材を削ったサンプル。心辺材の色は対照的である。     イチイの木口面の様子 
   
 
 年輪が特に細かく、加えて適度なゆらぎがあると、こうしてきれいな板目模様が現れる。盆などの加工品では、繊細な板目の木目が出たものは評価が高い。
イチイの板材の板目模様   
   
    イチイの魅力的な材色は、出来ればそのまま維持したいものであるが、素地のまま、あるいはオイルフィニッシュでは次第に暗色となってしまうのは避けられない。ウレタン塗装をすればかなり維持できるが、この辺は好みの問題である。なお、かつて耳にした話であるが、床柱などに加工した場合に、赤味を強めるためにアルカリ処理をする場合もあるようである。
   
 材の利用に関する記述例 
   
 
A  【樹木大図説】
 アイヌ人はこの材で弓を作る。材色、材質はビャクダンに似るのでその連想から変種キャラボクの名を生じた。生長極めて遅く、従って年輪の幅は狭い。
 材は紅褐色で硬く緻密、弾性強く光沢に富み反曲、折裂少く芳香あり、芯材部が多い。彫刻、器具、仏像、笏、碁盤、弓、桶、鉛筆その他家具、工芸材に利用す。
B  【大日本樹木効用編】
 材は杖、机案、函箱、巻煙草入、色紙掛、短冊掛、写真掛、床置物、根付類を作りて雅致あり又笠及敷物等を編みて美麗なり鉛筆材其他の器具材、彫刻材に用ヰられ又、床板、床縁、天井板、鏡戸、障子(大台原社務所)、床柱に用ゆるも良形のもの少く常に節多きを以て用材に適せず然れども湯殿の板、釣瓶、風呂桶、水瓶の蓋に賞用さる而して水中に用ゆるものは二三十年も其赤色を失はず又楊弓の矢となし日光及遠州秋葉山にては箸を作り加賀にては牙杖を作り飛騨の位山にては笏を作り北海道の土人は弓を製す木曾にてはお六櫛の棟を作り又日光中善寺及北海道にては下駄を作る又老樹は大抵中心腐朽し空虚にして其木理細密なるを以て横裁して火鉢胴を作る
C  【中国樹木誌】 (中国にもイチイは存在する。)
 中国名:東北紅豆杉(中国植物誌) 紫杉(中国樹木分類学) 赤柏松、米樹(東北)、寛葉紫杉(東北木本植物図誌)
 黒竜江、松花江流域、以南老爺岭、張広才岭及び白山区に産し、日本、朝鮮、蘇聨他に分布がある。
 辺材窄、黄白色、心材淡褐紅色、堅硬緻密、有弾性、有光沢及香気、很少開裂、比重0.51、供建築、家具、美工、細木工等用;心材可提取紅色染料;種子可搾油;木材、枝葉、樹根、樹皮能提取紫杉素、可治糖尿病;葉有利尿、通経之効
D  【木材の工藝的利用】
 飛騨、北海道に産し飛騨産を上等とす飛騨産は時日を永く経るに従って多少黒味を帯びたる赤色となるも北海道産は色を吹くこと少し北海道産は材質柔くして工作し易く廉価なれば多く使用せらるイチイの主なる性質として木理細かくして通直狂ひ少く材色の美なる点にあるが如し
材の色沢,紋理雅致に富み殊に心辺材の著しく色を異にするを主として利用す: 指物材(机案[キアン]、見台[ケンダイ]、硯箱、煙草入、短冊掛、写真機等)、建築装飾材(床柱、床框、落掛等)寄木、木象嵌、額縁、置物彫刻(高山細工)、鏇工材(草津細工の煙草入、菓子皿、盆、茶筒)刷子[サッシ、ブラシ]、櫛の鞘、笏[シャク]
・ 材精緻にして軟く材色ビャクシンに似るを利用す: 鉛筆材
・ 材色及香気を主として利用す: 妻楊子、箸、経木
   
   イチイの材の利用に関して、弓としての利用がアイヌとイギリスで共通している点は興味深い。国内では、発掘された古い時代の遺跡の弓材はイヌガヤやイヌマキの名は見てもイチイはほとんど存在感がない。一方、北海道ではこのいずれも存在しないなかでイチイが利用されているわけで、それぞれ入手しやすい靱性に富んだ材を利用したということなのであろう。
ヨーロッパではセイヨウイチイの材は弾力性があって、中世には大弓(longbow)をつくるための重要な素材であったとされ、イギリス人はこの弓を武器に、1415年のアジャンクールの戦いでフランス軍を撃破したという。【コリンリズデルほか:樹木】
   
  イチイ製品等の例
   
 
 
 イチイの盆 イチイの茶托とトレー 
   
    上の写真は、いずれも北海道内の製品で、仕上げはウレタン塗装となっている。最近はイチイの幅広の板は入手しにくくなっているはずであるから、盆の素材調達には苦労していると思われる。 
   
 
 左はイチイ材の自家製の箱膳兼踏み台である。ふたは磁石固定式としている。手触り優先で、オイルフィニッシュ+ワックス仕上げとしたため、色は次第に暗色となってきた。本当は当初の色が恋しいが、こうして色の経年変化を受け入れるのもまた良しである。
   
 イチイの銘木盤 
   
   現在では決して手に入ることのないイチイの見事な盤が都内の倉庫で眠っている。 
   
 
         イチイの巨大な盤
 

 イチイは大径木では空洞木となりやすいから、こうした大きな盤はもう手に入らないであろう。正にイチイの遺産である。左の盤は、長さ9尺×幅30..2寸とある。

      タイワンイチイの巨大な盤

 
タイワンイチイとは、中国、台湾に分布するイチイの仲間(イチイ属。後出。)で、かつてイチイを上回る巨木が存在した模様である。
    財団法人 日本住宅・木材技術センター 試験研究所 銘木保管庫(旧銘木標本館)
  東京都江東区新砂 3-4-2
   
<参考:イチイの仲間たち(イチイ属の種の例)> 
   
 a シナイチイ Taxus chinensis
中国名:紅豆杉
甘粛南部、陜西南部、四川、雲南東北部及び東南部、貴州西部及び東南部、湖北西部、湖南東南部、広西北部及び安徽南部に産する。
心材橘紅色、辺材淡黄褐色、紋理直、結构細、比重0.55-0.76 、堅実耐用;可供建築、車両、家具、細木工、文化体育用具等用。【中国樹木誌】 
   
 b タイワンイチイ
Taxus chinensis var. mairei
Tsxus mairei

中国名:南方紅豆杉(中国樹木学)、美麗紅豆杉(経済植物手册)、杉公子(四川南川)、海羅松(江西遂川)
安徽南部及び大別山区、浙江、台湾、福建、江西、広東北部、広西北部、東北部、湖南、湖北西部、河南南部、陜西南部、甘粛南部、四川、貴州及び雲南東北部に産する。
(注)タイワンイチイの呼称はいかにも日本的で、分布実態からも適当ではない。 
   
 c ヒマラヤイチイ Taxus wallichiana
中国名:西藏紅豆杉(中国植物誌) 喜馬拉雅紅豆杉(植物分類学報)
木材の性質と用途はウンナンイチイと同様。 
   
 d ウンナンイチイ Taxus yunnanensia
中国名:雲南紅豆杉(中国樹木学)
雲南西部から西北部、四川西南部、西藏(チベット)東部に産し、不丹(ブータン)、緬甸(ミャンマー)北部に分布がある。
木材心辺材区別明顕、紋理均匀、結构細緻、硬度大、靭性強、干後少撓裂;為優良建築、橋梁、家具、器具、車両等用材。【中国樹木誌】 
   
 e セイヨウイチイ Taxus baccata (English yew, European yew)
ヨーロッパ、アフリカ北縁、小アジア、コーカサスに分布。欧米の最も一般的な造園樹の一つで、刈り込みにも適しているとされる。 
   
 f カナダイチイ Taxus canadensis (Canadian yew)
北アメリカ中部、東部に分布。低木で大きくならない。