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意外や、大版の国語辞典にはこれらの樹木を素材とした弓の名称がすべて掲載されている。
以下は広辞苑第6版での記述例である。表現の細部は統一されていないようである。
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① 真弓(まゆみ) |
真弓(壇)で作った丸木の弓 |
② 槻弓(つきゆみ) |
槻(ツキ)の木で作った丸木の弓。
(注)槻はケヤキの古名 |
③ 梓弓(あずさゆみ) |
梓の木で作った丸木の弓。
(注)梓はヨグソミネバリ(ミズメ)を指すとするのが定説。 |
④ 桑弓
(A:くわゆみ)
(B:そうきゅう) |
A:桑で作った弓。
B:クワの木でつくった弓
(注)中国伝来の縁起担ぎの習慣に使用したものらしく、実用品ではないと思われる。 |
⑤ 拓弓(つみゆみ) |
ヤマグワでつくった弓。
(注)こちらは④と違ってなぜか国内自生種の標準和名を掲げて「ヤマグワ」としている。ヤマグワはその靱性から輪かんじきにも使用されてきたが、④と明確に区別したものなのか詳細は不明。 |
⑥ 櫨弓(はじゆみ) |
櫨(山漆)で造った弓。
(注)波自由美、波士弓の表記を見る。
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この中では、はじゆみ(櫨弓)の説明として、「櫨(山漆)」の説明はどう理解すればよいのであろうか。「櫨」は普通はハゼノキを指し、括弧書きの「山漆」(ヤマウルシ)とは明らかに種類が違う。しかも、ハゼノキはわが国に本来の自生はなく、古代から中古にハゼ(櫨)、ハジ(櫨)、ハニシといったものは、わが国に自生する別種のヤマウルシ又はヤマハゼである【木の大百科】というからややこしい。
また、例えば古い時代の染色の黄櫨染(こうろぜん)についても、ハゼノキを使用したものとする説明が多いが、先に紹介した説明のとおり、本当はヤマハゼを使用したもののようである。
歴史的な経過としては、ハゼノキの名は元々現在ヤマハゼと呼んでいる種に対する呼称であったとされ、蝋の採取を目的に栽培がより拡大した自生種ではない種がいつのまにか名前を奪ってしまって、自生種はこれと区別するために新たにヤマハゼと呼ばれるようになったといわれている。
こうした事情を念頭に置くと、「はじゆみ」とはやはり「ヤマハゼ」を素材としたものなのであろう。ただ気になるのは、ハゼノキは大径木になるのに対して、ヤマハゼやヤマウルシは大きくなる木ではないから、素性のよい素材を手に入れるのはなかなか難儀であろうと思われる点である。あるいは、仮に弓の呼称が各素材に対して共通的な認識の下に使用されていなかったとすれば、遺跡出土品のみからその歴史を知るしかないということになる。
現在でも見られる弓道のための和弓は、宮崎県の都城市において木刀と併せて生産が盛んで、古くからの技術が継承されていると思われるが、弓本体の積層構造の部材を構成する広葉樹として一般的に使用されているのは、皮肉なことに側木としてのハゼノキがほとんどで、かつて丸木弓として利用されたと思われるヤマハゼの出番はないようである。側木を使用する弓の構造は江戸時代以降とされるから、導入栽培されたハゼノキの利用に関しては当時から利用されていたとしても不自然なことはない。ただし、ハゼノキを弓の芯材の一部(側木)として使用することに特別こだわる理由があるのかについては謎である。ハゼノキの利用に関しては、多くの樹種を試用した結果というよりも、はじ弓(もちろんこれはヤマハゼであるとして)の歴史がある中で、ハゼノキの材色の魅力がデザインとして有用であることから利用が定着したものなのではないだろうか。 |
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ヤマハゼとハゼノキの材のサンプル |
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写真左:ヤマハゼ
写真右:ハゼノキ
いずれも小径木から作成したサンプルである。心材は、まだその比率は低いが、鮮やかな黄色である。 |
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なお、弓に使用している素材について調べてみると、弓の両端の関板(せきいた)は特別の特性や強度を求められるものではないため、嗜好性を発揮する余地があるようである。この部分は特定の素材でなければ機能を発揮できないものではなく、側木の端材のハゼノキや各種唐木など、多様な木材の色や質感を楽しめる部材となっているようである。 |
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<参考> |
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古い時代の弓材(体系的に整理したものではなく、あくまで目にした断片情報である。) |
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(遺跡出土の弓材 その1)【島地謙ほか編 日本の遺跡出土木製品総覧:雄山閣出版】
広葉樹の例:ケヤキ、クワ、カシ類、マユミ、ニシキギ類 等
針葉樹の例:イヌガヤ、カヤ、イヌマキ、イチイ 等
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(遺跡出土の弓材 その2)【鈴木三男 日本人と木の文化(2002.2.25、(株)八坂書房)】
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ニシキギ属の飾り弓は、鳥浜貝塚以降、下宅部(しもやけべ)遺跡埼玉県の寿能遺跡、青森県の是川遺跡など、縄文時代後期、晩期では多くの遺跡で知られている。おそらくマユミであろうと考えている。 |
(注) |
ニシキギ属の材は顕微鏡的に調査で種を同定することは困難とされる。 |
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・ |
縄文時代後期の下宅部遺跡のカバノキ属の弓は最古の梓弓(ミズメ)といえるのではないだろうか。これ以外にも縄文時代後期以降、是川遺跡など、カバの貴族の飾り弓がいくつか知られており、真弓に比べれば数は少ないが、梓弓もやはり縄文時代から続く木の文化といえよう。 |
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イヌガヤの弓は縄文時代から弥生時代にかけて多数出土しており、東海地方の弥生時代の遺跡からはイヌマキ属(分布からイヌマキと推定される。)の弓が出土している。
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(奈良時代の弓)
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正倉院蔵の弓の材は信濃国方面から貢献されたミネバリのほか檀(まゆみ)、槻(つき)、櫨(はじ)などがある。【柏書房 図録日本の甲冑武具事典】 |
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ここでいう「ミネバリ」はミズメを意味するヨグソミネバリの意であろうか。 |
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(注) |
東大寺献物張によれば、正倉院には当初百三張の弓があったが、恵美押勝の乱に際して出倉されたままとなり、後年27張が納められ、現在に伝えられているという。
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(鎌倉時代以前、以降)
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弓の材料は鎌倉時代頃まではアズサ(梓)を主とし、その後はツキ(槻)、マユミ・ハゼ(櫨)などを用い、竹も多用した。【日本民具辞典】 |
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2 |
弓の種類(断面構造から)
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伏竹弓
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ふせだけゆみ。平安時代中期。在来の木弓の外側に竹を貼ったタイプ。木と竹の複合材が登場。蒲鉾弓とも。 |
三枚打弓 |
さんまいうちゆみ。平安時代後期。伏竹弓の内側にも竹を貼ったタイプ。木の芯の前後を竹で挟んだ形態。この段階では芯に籤(ひご)や側木(そばぎ)は使用されていない。 |
四方竹弓 |
しほうちくゆみ。室町時代中期。三枚打弓の木部の両側に竹を貼り、四方を竹が囲んだ形態としたタイプ |
弓胎弓 |
ひごゆみ、ひごだけゆみ。江戸時代初期。現在に継承されているもので、竹(籤)を木(側木)で挟んだものを芯として内側と外側に竹を貼ったタイプ |
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近年は、グラスファイバー、カーボンファイバー、ケブラー等の素材を利用した製品がごく自然の成り行きとして見られる。 |
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役割を終えた弓を利用したキーホルダー
(都城弓製造業協同組合・大菴聖心大弓製作所) |
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経済産業大臣指定伝統的工芸品 都城大弓
都城地方は、宮崎県の南西部、鹿児島県との境にあり、温暖な気候と豊かな自然に恵まれた良質な材料をもとに、古くから武具の生産が盛んでした。大弓もその一つであり、江戸時代文化・文政期にまとめられた地誌「庄内地理志」にも記録が残っています。
明治に入り、楠見蔵吉が大勢の弟子を育成し、現在の産地の基礎を形成しました。現在ではわが国唯一の竹弓の産地として、全国の葯九割を生産しています。
弓づくりは、二百にも及ぶ行程のほとんどが手作業であり、大量生産ができません。射手の皆様に満足していただけるよう、一張一張の弓に心を込めて製造しています。
都城弓製造業協同組合 |
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3 |
構成部材
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内竹 |
うちだけ。前竹とも。
弓の弦側に貼った竹。 |
外竹 |
とだけ。弓の的側に貼った竹。 |
弓芯 |
内竹と外竹で挟まれた芯材 |
側木 |
そばぎ。「そばき」の読みもある。
弓芯の積層した籤の両側を挟んだ木部で、ふつうハゼノキが使われる。 |
籤 |
ひご。積層して弓の芯を構成する。 |
関板 |
せきいた。外竹より短く仕上げた内竹を上下で挟んだ板で、弓を引いたときに内竹のズレを関止めていることからこの名がある。上側を関板と言わないで額木(ひたいぎ)と呼んでいる例もある。 |
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黄色の側木はハゼノキであろうか。個々の籤の周りが黒いのは火で焦がしていることによるものである。左は五本籤入り弓、右は四本籤入り弓となる。
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流派により呼称が異なる場合がある。 |
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ヒゴの本数には3本、4本、5本などのものがある。 |
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側木の木目は柾目、板目の厳格な仕様はないようである。 |
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4 |
「木材の工藝的利用」等における記述
(主として弓の素材に係る部分を抜粋)
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(弓の構造) |
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弓は外竹、内竹、関板、籤及割籤よりなる。 |
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弓は外竹、内竹、関板、籤(ひご)及割籤よりなる籤一枚竹よりなれるものを三枚打の弓といふ普通籤は両側に木製の側木(そばぎ)あり心に木材を用ひ尚心と側木との間に竹材を用ふ五枚籤と云ふ単に心竹及側木よりなれるものを三枚籤といふ
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(弓の材料) |
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弓の材料には苦竹、籐、ハゼ、ケヤキ、クワ、ウルシ、サクラ、クロガキ、唐木類にして薩摩弓には通称ハゼ材を用ふ「ニベ」を接合の材料とす |
(注) |
苦竹は真竹と同義で弓の主要素材、藤は握り部上側の矢摺の巻き材、ハゼノキは側木用材、サクラ、クロガキ、唐木類は弓の上下の関板素材である。ウルシはハゼノキと同様の目的で使われたものなのかは確認できない。 |
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弓竹は三年生の苦竹(注:真竹)周囲六寸内外を用ひ六分の弓には六寸のもの五分弓には五寸五分、七分八分の弓には八寸のものを要す而して長七尺三寸間に節七個を有せざるべからずして上物には芽通表裏二枚を取るのみ |
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弓は京都嵯峨野野宮竹(苦竹)を可とす 太秦(うずまさ)村産も亦可なり 素直にして而かも力あり その三年子を用ふ弓の竹籤は火に焦すを法とす上等品は両火焦しと称し皮と身の両面を焦がす然るときは弾力を増加す |
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弓に用ふる苦竹は京都及薩摩を可とす京の嵯峨野々宮が弓竹の名産地なり薩摩にては苦竹を唐竹と称す日向国西諸県郡真幸村を中心とし其付近のもの及薩摩国姶良郡溝辺村産のものを可とす |
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京都の竹は外観もよく、節も低く、質も第一で、節間の配置もよい。鹿児島の竹は、節は高いが質はしまって、調子のよい弓ができる。【現代弓道講座4:雄山閣出版】 |
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北海道のアイヌの用ふる弓矢はオンコ(注:イチイ)の材にて作り之に桜皮を巻き鮭の皮と肉との間にある「ニベ」にて附け長三尺五寸あり弦は「カラムシ」の類にして矢は茅に鳥の羽を附け長一尺九寸あり矢尻は竹にて製し松脂にて附け毒は「ブシ」と称する草の実にして之を矢尻に塗る此矢尻は獣体中に入れば脱出して止まる |
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アングロサクソン、バイキング、イングランド軍はセイヨウイチイの弓を使用したという。アイヌとの一致は興味深い。 |
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中国の古代の弓の材料に関して、「周禮考工記」には次のようにある。
「弓人為弓取六材必以其時六材既聚巧物和之幹也者以為遠也角也以為疾也筋也者以為深也膠也者以為和也糸也者以為固也漆也者以為受霜露也
凡取幹之道七柘為上檍次之檿桑次之橘次之木瓜次之荊次之竹為下凡相幹・・・」
【周禮 周哲鮎 林道春跋 (昭和51年1月20日 菜根出版)】
注: |
柘:字義はクワ、ヤマグワ。後にヤマグワが登場することから、それ以外のクワ類か? |
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檍:字義はモチノキ。 |
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檿桑:字義は前の一字だけでヤマグワ。 |
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橘:字義は(中国の)タチバナ又はミカンの総称。もちろん日本固有のタチバナは対象外。日本でカラタチバラと呼ぶ中国原産のものは超低木であるから、他のミカン科の種か? |
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木瓜:字義はボケ。 |
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荊:字義はニンジンボク(牡荊)であるが? |
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(接着剤としての鰾膠) |
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弓を積層構造とするための接着剤として鰾膠(にべにかわ)が使用されてきた。本来は特定の魚類の鰾(浮き袋)から得た強力な膠を指していたが、代替として鹿皮から得られる膠が使用されている。この場合でもこの膠を指して鰾(にべ)と呼んでいて、これを使用した弓を鰾弓(にべゆみ)と呼んでいる。近年は合成接着剤の利用に移行している模様であるが、鰾弓は価格的にもワンランク上のものとなっている。
なお、「実際に古来より使われているのは鹿(か)にべ、すなわち鹿の皮を煮た膠である」(現代弓道講座4:雄山閣出版)とする記述も見られるが、古い時代の日本で弓づくりに魚の浮き袋由来の鰾膠が利用されたのか否かについては見解の違いが見られ、史実が実証されていないのではないかと思われる。 |
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(側木) |
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弓の側木は土佐、伊予産のハゼにして心を去り辺心材の境界部を柾目に取りて用ふ |
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側木は心材を去り心辺材の境目の部分を成るべく柾目に取り三ヶ年間室内にて乾燥せしむ(京都) |
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側木は籤による冴えすぎるのを調節し、弓に強さと美観を与えるものであるから、その木目により昔から種々名称を与えられていて、その中の鶉杢(うずらもく)などは調子もよく、実用的にもよいので珍重される。他の種類として、縞杢、梨目杢、縄目杢、竜杢がある。
【現代弓道講座4:雄山閣出版】 |
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側木は弓に強さと美観を与えるものであり、櫨が使われている。木目によりさまざまな名称で呼ばれているが、その中でも鶉杢(うずらもく)がもっとも珍重されている。
櫨は他の材に比べて折れやすいが、竹との複合材として使うと、強靭なバネの働きをするので、弓の側木としてもっとも適している。【都城弓製造業協同組合】 |
(注) |
ハゼノキの心材を使用するとしている記述も見られる。強度に関しては一般に辺材より心材の方が優るが、境界部を使用するという理由は不明。外観だけを言えば明らかに黄色い心材が美しい。 |
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(材料の調整・製造) |
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弓は苦竹及ハゼの結合より成る之を曲ぐるには竹製の楔及麻縄を用ひ水に濡らし火に炙り「ニベ」を戻し一定の形状を与ふ |
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弓の側木(そばぎ)は板目取になし杢目を現はす時に人工的に板目に横に凸凹を附する様に挽く即洗濯板の如くなし之を火にて炙り圧力を加へて平坦になし以てトチの如き杢目(縮れ杢)を付すことあり
心の板も板目取ならん之れ籤の接合面と弓の反曲する方向と一致するなれば側木も心も柾目に対して反曲する様になれば従って弾性強くなるなり側木には梨子目を現はすを可とす時に藤目を示すことあり籤は各部「ニベ」により膠着す五枚籤に於ては竹材は皮を内方に向け側木と竹材の肉の部分と接する様になす膠着せる籤は鉋削して鮫をかけ磨研紙にて磨く又籤の側面を削り内竹と外竹とを両面に膠着す関板は内竹の両端に附す |
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流派により弓の断面には種々ありて楕円形あり円形あり、隅切りあり、四角形あり
・真の木竹及表裏の竹を合すには鹿の皮の肩より上部の首皮の毛を取り去り鰹魚節の如く削り青銅製の壺にて煮之に湯を少し入れ之を攪拌するときは一種の糊となる之を以て継ぎ合せ後ち藤蔓にて巻き火に掛け式の如き曲りを附す而してその曲りの戻らざる為め竹にて楔を作り之を巻きたる藤蔓に差し入れ置くなり暫くして其形状式の如くなりたれば蔓掛を造り藤蔓を取り去り始めて之に制作を加ふ而して装飾として握り皮及び矢摺藤を巻く又繁藤と称して巻藤の部分多きものあり |
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(矢の材料) |
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矢には苦竹を用ふ |
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矢竹は秩父、八王子産を可とす箱根には矢竹なし伊豆産は潮風に当る為め肌硬く割易し房総産も割易し矢竹は火割の生ぜざるを良品とす薩摩にては篠目竹を用ふ矢竹と同じきや否や明ならず |
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矢竹として孟宗竹は節間短きを以て適せず苦竹は節低きものを可とす節高ければ削りて平坦となしたる後其処より折るることあればなり |
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(明治期の動向) |
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目下東京にて行はるるものは京弓薩摩弓の二種に大別せられ京弓は主として塗弓にして薩摩弓は悉く白木弓なり |
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鉄砲の武器となりしより以来弓矢は多くは遊技品と化し明治二十五六年頃は大弓大に流行し浅草区内のみにても大弓場三百戸位ありしといふされども近来は大に減少し全市(注:東京市の意)に於て百戸なるべし併し近来弓術は体育に密接の関係ありとし学校等に於て其の練習をなすもの多きを以て弓矢の需要は現状維持の有様といふて可なり東京には鹿児島日向等より籐離しと称する半製品及京都より仕上がりたる弓の入荷多し近来は欧米地方に弓矢の輸出をなすといふ |
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