木の雑記帳
平成下駄事情
自分の足に下駄の感触を覚えているかを問うたところ、随分昔のことでもう忘れてしまったとの返事である。子供下駄を履いたのは遠い過去のことであるが、日本人の足は例外なく畳のい草や素地の下駄の感触が大好きである。足はこれらに直に接したとき、思わず安堵の吐息を漏らす。しかし、日々の生活にあっては大好きな自然素材の感触から隔離され、化学繊維の袋に包まれた上に窮屈な入れ物に押し込まれて、我慢の日々を送っている。そもそも、古来、日本人の足は長きにわたり解放的環境に置かれ、現在のような酸欠・過湿状態に陥るような履き物は全くの想定外であったに違いない。 【2009.7】 |
昔は各地域には必ず生活用具たる下駄や草履を扱う「下駄屋」、「履き物屋」が存在して、下駄や草履をずらりと並べていたように思う。もちろん子供用の絵入りの下駄も日常の履き物として存在していた。しかし、現在では、草履に関しては素材やデザインが多様化して、現在に継承されているものの、二枚歯の下駄については生活スタイル、生活環境の変化の中で、すっかりその影が薄いものとなってしまった。 地域固有の土産物としての下駄であれば、例えば長野県では木曽のネズコ下駄、大分県では日田の焼き杉下駄などを見かけたが、和の履き物店は限られた存在となっていて、上質な桐下駄を普段目にする機会はほとんどない。一方、注意して見渡してみると、裏に硬質スポンジを貼った木製のサンダルのようなものや木製の草履のようなものが、新しいタイプの下駄の仲間としてふつうに見かけるようになった。 しかし、これらの多くは実は中国、ベトナムからの輸入品とも聞く。そこで、下駄の現在の様子を観察してみることにした。 |
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1 | 街中の商品としての下駄 |
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ホームセンターの甚平、作務衣コーナーや、デパートの和装品の浴衣コーナーも見てみると、販売されていた下駄は中国製の焼き桐の塗装した下駄が席巻していた。 最近の下駄は一部の二枚歯の下駄を除き、すべて裏に硬質スポンジを貼っていて、現在の使用環境に適合させている。 なお、素地の桐下駄は残念ながら極めて劣勢である。 |
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元々、キリ(桐)は中国原産で、古くに日本に渡来したものとされる。Made in china の下駄は間違いなく元祖の桐製である。見るものはすべて焼いて木目を出し、さらに透明塗装で仕上げたものであった。中国製及び中国製らしきものの価格はすべて千円前後の格安である。 国産下駄の素材はスギかキリのいずれかであった。スギは焼き杉で、やはり透明塗装仕上げである。 キリは @旧来の素地(もちろん桐箪笥と同じで蝋引きとしている。)と A焼き桐として透明塗装したものと B不透明塗装の「塗り下駄」タイプが見られた。価格はもちろん中国製より高い。 注:高価格帯の製品では、焼き桐の蝋引きの製品も存在する模様である。 なお、国産では桐の代替材として米国産のコットンウッドを使用した下駄も生産されていて、桐の代替材でありながら、中国産の本物の桐を使用した下駄より高額となっている悲しい珍現象が見られる展開となっている。 |
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2 | 国内ではどこでどれだけ生産されているのか |
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統計データの所在を調べてみたものの、全国をカバーする生産団体がないため、都道府県別の生産量のデータは確認できなかった。かつては全国木製はきもの業組合連合会の名の団体が存在したというが、既に解散して現在は存在しない。名の知れた下駄の産地がある一方で、職人仕事として少量生産されるものが各地に存在するが、残念ながら全貌の把握はなされていないようである。 しかし、広島県福山市松永町は下駄の生産量が日本一、あるいは全国生産量の6割を占めているとする情報が公的機関・団体、さらにはウィキペディア等を通じて広く流布していているのを確認した。この地はかつては価格の安い輸入材を利用して、機械化した大量生産方式によって、大衆向けの製品で高いシェアを誇った歴史があり、また、日本で唯一の日本はきもの博物館を有することでも知られている。 博物館の見物のついでに、最近の様子を聞いてみたい思いもあって、現地を訪問することにした。しかし、そこで驚くべき話を耳にした。博物館の売店のおばちゃんが、 「松永町ではもう下駄は生産していないんですよー」 と言うのである。 なな、なんと!である。これは一体どういうことなのか。それでも松永町の隣の本郷町でごく小規模な生産をしている例はあるとのことである。 追って、広島県はきもの協同組合に聞いてみると、県内の松永、尾道、府中等での生産はあるという。但し、全国の生産量がわからないから、正確なシェアは不明ということである。松永地区に下駄を販売する店舗は見かけたが、実態はよくわからない。かつてのような大量生産方式の下駄生産は既に滅びたということは間違いない。元々、伝統工芸的な存在ではなかったから、生き延びること自体が厳しいことは明らかである。 要は、かつて松永町は下駄生産量日本一の時代があったということなのであろう。他の地域の情報として、@茨城県は、同結城は、静岡、香川と並び、桐下駄の日本3大産地の一つであるとしている。A静岡県は塗り下駄の生産が全国首位としている。B香川県のさぬき市は市内志度の桐下駄の製造は日本一で、全国生産の60%を占めるとしている。C徳島県東みよし町の斉藤桐材工業は年間、全国の4割を占める約7万足の桐下駄を出荷していて、一つの工場としての生産足数は日本一(読売新聞2009.1.3)としている。D大分県は、現在も日田市の日田下駄は全国に出荷され、静岡、広島(松永)と並ぶ3大産地として知られているとしている。 こうした記述を裏付ける基礎データの確認は困難であり、シェアの数値は残念ながら根拠不明である。後で触れるように、既に廉価なものは輸入品しか目にしないから、国内生産のシェアを云々することは、そもそも無意味になっていると思われる。仕方がないので、現在でもよく知られている下駄の産地を以下にリストアップすることとする。 |
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3 | 輸入品はどの程度あるのか 広島県福山市松永町で聞いた話では、中国、ベトナム産の製品が低価格で輸入されていて、国産下駄はこれら輸入品に押されっぱなしであるとのことであった。しかし、輸入品の総量がどの程度になるのかも確認できなかった。仮にわかっても、国内生産の総量データがないことから、その比率は知る術はない。 身の回りを見た限りは、残念ながら、お手頃価格の下駄はほぼ中国製品が市場を制圧したと見てよいであろう。 なお、ベトナム産は身近では確認できなかった。 |
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4 | 独り言 街中で着物姿の上品な中年女性の二人連れの足下を観察したところ、一人は草履、もう一人は土踏まず部分を軽くえぐった右近下駄であった。この下駄はもちろん、草履タイプの船型下駄と同様に裏は必ず硬質スポンジ張りであるから、舗装面等でカランコロン音を立てることはない。 着物でも普段着の場合は草履に代えて下駄を利用できるとのことである。こうした和装用の上質の下駄については国産が健在と思われる。 一方、若い女性に浴衣が人気のようであるが、これには下駄が不可欠である。おねーさんたちの足下を仔細に観察したことはないが、たぶん中国製の天下であろう。 二枚歯の伝統的な下駄については、ゲゲゲの鬼太郎のようにカランコロンとできる生活環境ではなくなってしまったため、都市部での生存は極めて厳しいと思われる。最近は全く温泉旅館に泊まる機会はないが、せめてこうした非日常を演出する場では必ず生き延び欲しい。そして、何より戸建て住宅環境での庭履き、散歩履きとして、生活用品として生き残ることを願っている。 桐やネズコの素地の下駄は実に足が気持ちがいいものであり、できれば日常生活に取り入れたいところである。屋外での利用が難しい環境にあるのなら、屋内で利用することができないだろうか。そうだ!!トイレのスリッパの代わりに桐下駄を導入したらどうであろうか!!上質の便所下駄である。ただの思いつきであるが、考えてみれば実は古い時代に、極めて劣悪であった当時の雪隠(せっちん)で着物の裾が汚れるのを防ぐために「足駄」の名の歯の高い下駄が利用されていたという話を思い出した。 |
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*下駄用材についての話はこちらを参照 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||