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樹の散歩道
  スギ花粉を食べる


 近年、スギ花粉はすっかり悪者となってしまった。ヒトがあまりにも軟弱であることに起因しているのは間違いないが、植物が子孫を残すために一生懸命がんばっている姿を静かに見守ることができないのも悲しいことである。現実は多くのヒトがつらい思いをしているわけで、このための対策を講じなければならないのはもどかしいことである。
 こうした中で、花粉に苦しんでいるヒトが居直って、花粉を食ってしまったら花粉症など克服できるのではないかとかつて感じるものがあった。しかし、調べてみると同様の趣旨で減感作療法の名の治療方法が既にあることを知った時には少々がっかりしてしまった。
 ところで、このスギ花粉であるが、これ自体は一体どんな味がするのであろうか。そして、食品として商品化されているものがあるのか、あればそれはどんなものだろうか。
【2010.4】


  黒い台紙上のスギ花粉
 さらさらとした美しい微粉末である。
   乳鉢内のスギ花粉
 花粉は微細であるため、乳鉢で花粉の外壁を破壊し尽くすことは困難であることを確認した。
  加水してこねたスギ花粉
 加水してこねると、美しいあんこのような感触となる。和洋菓子の素材になりそうな外観である。
  吸水・膨潤したスギ花粉
 乳首のような突起が一つあるのがスギ花粉の特徴となっている。これを パピラ papilla と呼んでいる。発芽口と違って開口していないことが知られている。
  乾燥した形のスギ花粉
 パピラ周辺の膜が薄くて、乾燥により火消し壺のような形態となる。花粉の大きさは30〜39μmとされる。
 吸水・破裂したスギ花粉
 パックマン状態、あるいはアレルゲン爆弾が炸裂したといった風情である。破裂現象は一部だけで見られた。
 
   スギ花粉の円心極観(パピラ側) 1
 
電顕で見ると、スギ花粉表面に粒状物質が確認できる。これを ユービィッシュ体 Ubisch body と呼んでいる。突けばぽろぽろと落ちそうな印象である。
(写真:山口和穂氏提供)
     スギ花粉の円心極観(パピラ側) 2
 ユービッシュ体は、葯のじゅうたん(絨毯)組織の崩壊物 tapetum debris (葯壁の内面層の残渣)が花粉の表面に付着して残ったもの【花粉学研究】とされる。

(写真:山口和穂氏提供)
 優良な栄養源(栄養食品)として花粉を食べること自体は決して奇異なことではないようである。植物の生殖を担う細胞であるから、各種の栄養がたっぷり含まれているであろうことは予想がつく。通信販売のキャッチコピー風に表現すれば、「花粉は生命のパワーが凝縮した正に究極の高栄養価カプセルであるといえます!!」となるのかもしれない。

 しかし、容易に想像できるように、どのように食べるのかは別にして、なめるのではなく、食べるにふさわしい量を人の手で確保することは簡単ではない。このため、手っ取り早い方法として、ミツバチがせっせと集めたものをかすめ取ることがヨーロッパでは古くから行われている。具体的には、ミツバチが花粉を蜜で固めた自らの、そして幼虫の食料であるミツバチ花粉花粉荷ビーポーレン Bee pollen) を頂戴するのである。ミツバチは蜜も取られてしまうし実に気の毒であるが、人の庇護下にあることの代償である。

 スギの場合はもちろん風媒花であるから、蜜の用意はないし、ミツバチが花粉を集めてくれるわけではない。したがって、きわめて実直な方法で花粉を集める必要がある。

 つまり、ごく普通の方法として、花粉散布前のたっぷり雄花を付けた枝先を採取し、これに花粉がまとわりつかないパラフィン紙の袋をかけた状態で水に挿し、雄花の成熟を待って花粉を採取するする運びである。
 スギ花粉試食体験
(そのままなめる)
 無味、無臭で、やや粉っぽいだけで、小麦粉や片栗粉をなめるのと変わりない。乳鉢でいくらか擂りつぶしても、食感に変わりはない。
(加水してこねる)
 見た目には先の写真のとおり、きめの細かいきれいな黄色いあんこといった風情であるが、全くの無味・
無臭である。
(スギ花粉クッキー)
 薄力粉、バター、グラニュー糖、卵黄にスギ花粉を加えてスギ花粉入りクッキーを焼いて試食してみた。色合いは花粉に由来してやや黄色みが強くなる。やや粉っぽい食感があるが、特に違和感はない。つまり、花粉に由来すると思われるような味は特に感じない。
 さらに花粉を増量して、スギ花粉と薄力粉を概ね半々の構成比としてクッキーを焼いて試食してみたが、かなり粉っぽくなって、歯に粉(花粉?)がまとわりつく印象で、食感はあまりよろしくない。花粉由来と思われるような味はやはり感じない。
 
 
   オーソドックスなクッキー
 対照用として焼いたもので、我ながらまあまあの出来であった。  
   スギ花粉入りクッキー
 知り合いにも注意書きを付けて食べてもらったが、特に違和感はなかったようである。  
  スギ花粉増量クッキー
 これは、万が一を考えて、自分だけで人体実験した。 
 スギ花粉をそのまま、あるいはクッキーにして初めて試食してみたが、スギ花粉が味、食感の観点で貢献する要素は全く認められなかった。まあ、体験したということだけであった。自己責任で径口減感作療法をするのであれば、これもひとつの考え方かもしれないが、効果のほどはわからないし、責任は持てない。

 実はこれよりも、乾燥した花粉(乾燥しても花粉の機能は失っていない。)のさらさらした動きは実に意外なものであった。透明容器入れて傾けると、驚くほど滑らかにさらさらと流動するのである。このさらさら感を利用して、砂時計ならぬスギ花粉時計を作ったら、非常に細い「蜂の腰」が可能で、すばらしい製品になるのではないかと思われた。もちろん、このためにはガラスの内面に花粉が付着しないような表面処理が必要である。
 スギ花粉を利用した商品

 花粉が栄養的に優れていても、栄養源としてスギ花粉を積極的に使用した例は皆無である。スギ花粉の使用はスギ花粉症の「減感作療法」を思わせる文脈で、いわゆる「経口減感作療法」的イメージで複数の商品が販売されていた経過がある。
 しかしながら、2007年に花粉症患者がスギ花粉に由来するある商品を摂取して、重篤なアレルギー症状(アナフィラキシーショック症状)を引き起こしたことを契機とし、これら商品は医薬品としての要件を満たさないものは販売が禁じられ、健康食品として販売する場合も、必要な注意書きが義務づけられることとなった。つまり、スギ花粉を含んでいるだけで即花粉症に有効であるなどとは表記できないし、また、効能を謳うためには医薬品としての承認がなければ認められないことになったわけである。
 この結果、2010年現在、スギ花粉症への有効性を謳った商品は姿を消し、スギ花粉を原料とした食品も大きく数を減らした模様である。ネット検索では次のような商品がまだ生存することを確認した。

(市販商品の例)

@ スギ雄花を花粉ごと炭化した食品
A スギ花粉エキス入り健康ドリンク
B 杉花粉飴
  
 スギ花粉症に有効であるとは説明していないが、間違いなくそのように受け止めてもらうことを期待している商品である。  

 なお、ミツバチから頂戴した他の花粉の健康食品は国産、輸入とも多数存在していて、その形態も粉末、顆粒、錠剤、カプセル、液剤、各種加工食品と様々である。
 花粉症対策の事例(開発中のものを含む)

 
花粉症が既に国民病とも言える状況になっている中で、国の研究機関でも重要な課題になっているほか、民間企業、医療機関にとっても魅力ある巨大市場となっている。根本的な解決策、治療法がない中で、次々と新たな対応メニューが登場することであろう。
   
@  少花粉スギ
 国の事業で実施されてきた精英樹選抜育種事業を通じて選出されてきた成長、形質の優れた多くのスギは広く山に植栽する苗木の生産に活用されているところであるが、これらの中に花粉生産が極めて少ない品種の存在が多数確認されて、林木育種センターや各地の育種場が採種(穂)園用の原種を提供している。行政としてもこれらの普及に努めている。
   
A  減感作療法
 花粉症患者にアレルゲンを計画的に投与(注射等)することで症状を緩和できるとするもので、多様な手法が開発されている。既に実用に供されているが、長期にわたる通院を要することと、治るか否かはやってみなければわからない性格もあって、普及がそれほど進んでいない。
 注射によらない方法として舌下減感作療法(SLIT:Sublingual Immunotherapy)があって、臨床試験が進められているという。その方法は花粉エキスを舌下に2分間保持するというもので、東京都が臨床研究委託した結果では、約7割の花粉症患者で有効性が確認された(平成21年東京都福祉保健局発表)という。
 【追記 2014.10】
 スギ花粉のアレルゲンエキスを舌の下に投与するスギ花粉症舌下減感作療法舌下免疫療法とも)が、2014年10月8日から保険適用となった。
   
B  スギ花粉症ワクチン
 世界2位は目指さないプライド高き天下の理化学研究所で研究が進行しているもので、実用化されれば革命的で、多くの花粉症患者が救済されることになる。2013年に臨床試験を開始し、2018年の実用化を目指しているという。
   
C  スギ花粉症緩和米
 農業生物資源研究所が研究開発を進めているもので、減感作治療と同様の効果を期待できる米を遺伝子組み換え技術で生み出す取り組みで、既に一定の成果を上げている。食品としての安全性の検証が必要とされているほか、スギ花粉入り食品の事件以来、これらが医薬品としての要件を満たす必要も生じ、シナリオが狂ってやや足踏み状態にある。米を使っている点も、やや違和感を与えていて、もちろんその必然性は特にないが、農林水産省傘下の研究所ゆえの取組である。
【追記 2015.3】
 さらに効果を高めた「スギ花粉症治療米」が開発され、2020年度頃に医薬品としての実用化を目指して取り組んでいるという。東京慈恵医科大学で2月から臨床試験が開始された模様である。 
   
D   アルゴンプラズマ療法
 
アルゴンプラズマ凝固装置により、鼻粘膜を焼灼して、凝固変性させることによりアレルギー反応を起こりにくくするものという。効果には個人差があるが、1〜2年間の効果が期待できるという。
   
E  花粉の破裂抑制剤
 これは限られた状況下での商品であるがおもしろい。衣類に付着して室内に持ち込まれる花粉について、帰宅時に衣類にスプレーをすることで花粉表面が無機酸化物で覆われて、花粉の破裂が抑制されるとするもので、静電気防止剤とのダブル効果を狙った商品である。
<参考:花粉のメモ帳>

 花粉はその形態の多様性も興味深いが、不思議もいっぱいである。
 花粉は土に埋もれると、その内容物は容易に消えてしまうが、かたい外膜(壁)は科学的にたいへん安定しているので、いつまでも土中に残り、花粉粒の形態的特徴をとどめている。
【花粉学大要】
 花粉の外壁が化学的に安定していることは、マツ、スギなどの花粉を王水やフッ化水素中に入れても分解しないことからもわかるが、これは外壁が(主として)スポロポレニンから成っているからである。したがって湿原などに見られる泥炭を酸やアルカリで処理してから顕微鏡で見ると、古い時代の花粉がそのまま残っているのを見ることができる。しかも外壁には植物の属や種ごとに独特な模様がついているから、それらの花粉が何の植物のものかを知ることができる。花粉は岩石の中から取り出すこともできる。【花粉学】
 花粉表面の粒状構造は、スギ科のほか、ヒノキ科、イチイ科などでも見られる。【花粉学研究】
 減感作療法は患者がおかされている花粉のエキスを少しずつ濃度を上げながら長期間にわたって注射し、その花粉のアレルゲンになれさせる方法で、Noon と Freeman(1911)によって始められた。【花粉学】
 減感作療法の医薬品として日本で認可を受けているのはスギ花粉標準化治療エキスとハウスダストのみである。【花粉症のワクチンをつくる】
 スギ花粉は、飛散している最中はカラカラに乾いているが、体の中に入ると鼻腔内の粘膜上で水分を吸収して、パンパンに膨れあがる。その後、花粉の外側にある殻が口を開くように割れて、中からアレルゲンを含む内容物が飛び出すことになる。
 スギ花粉のアレルゲンは複数が報告されていて、このなかで、Cry j1 又は Cry j2 にアレルギー反応を起こす人が、スギ花粉症患者の9割以上であることが明らかになっている。Cry j1 の大半は、スギ花粉の殻である花粉壁の外層やその表面に存在している。一方、 Cry j2 は殻内の細胞質に存在する。
 マウス実験の現象をヒトのスギ花粉症に当てはめると、スギ花粉飛散シーズン中又は直後にスギ花粉リポソームワクチンを一回投与するだけで、次のシーズンにどんなスギ花粉が飛散してきても IgE 抗体価が上がらないことになる。すなわち、花粉症の症状が著しく軽減されることが予想される。【花粉症のワクチンをつくる】
 花粉は蛋白、炭水化物、アミノ酸、ビタミンなどの栄養分を多量に含んでいる。ミツバチは蜜とともに花粉を巣に蓄え、これを食べて繁殖する。【花粉学大要】

【引用文献再掲】
 花粉学大要:岩間洋造(昭和39年11月25日 株式会社風間書房)
 花粉学:岩波洋造(1980.12.1 講談社
 花粉学研究:上野実朗(昭和53年3月31日 株式会社風間書房)
 花粉症のワクチンをつくる!:石井保之(2010.2.16 株式会社岩波書店)