トップページへ   樹の散歩道目次へ

樹の散歩道
   イチョウの雌花はどこにある?


 古い時代に日本に渡来したとされるイチョウは、広く国内に植栽されていて、すっかり昔から存在する樹木として振る舞っている。各地に巨木があるほか、街路樹としても北海道から九州まで全国的に利用されている。ちなみに東京都の木はイチョウであり、天下の東大の校章も2枚のイチョウの葉をデザインしている。
 こうして、日常生活に密着したこのイチョウであるが、イチョウの花については案外意識されていない。【2010.7】


 「イチョウの花」と書くと、そもそも植物学的には裸子植物の場合ははないのであって、正しくは・・・・・・」という講釈もあるが、やはり、一般性的のある呼称の方がいい。まずは、目にしたイチョウの巨木を紹介。   
 
<首かけイチョウ> 

 看板の説明文は以下のとおりである。 

 「この大イチョウは、日比谷公園開設までは、日比谷見附(現在の日比谷交差点脇)にあったものです。

 明治32年頃、道路拡張の為、この大イチョウが伐採されようとしているのを見て驚いた、日比谷公園の生みの親、本多静六博士が東京市参事会の星亨(ほしとおる)議長に面会を求め、博士の進言により移植されました。
移植不可能とされていたものを、博士が「首にかけても移植させる」と言って実行された木なので、この呼び名があります。」

東京都千代田区日比谷公園
<浅草寺の神木・公孫樹(いちょう)> 

 看板の説明文は以下のとおりである。

 「浅草寺本道東南に位置するこの公孫樹(いちょう)は、樹齢八百余年といわれ、源頼朝公が浅草寺参拝の折、挿した枝から発芽したと伝えられる。

 昭和5年に当時の東京市より天然自然記念物に指定されたが、昭和20年3月の戦災で大半を消失した。今はわずかに余名を保つ現状で、天然自然記念物の指定は取り消されたが、あの戦災をくぐり抜けた神木として、今も多くの人々に慕われている。」    金龍山 浅草寺

注:かつては国指定の天然記念物とされていたが、日本のほとんどすべての市街地を人もろとも焼き尽くすことを目的とした米軍による悪辣な無差別爆撃に遭ってひどく損傷したため指定が取り消された。写真の裏側はえぐられたように失っていて、現在でも焦げ跡が確認できる。

東京都台東区浅草2−3−1
<菩提寺の大イチョウ> 

 看板の説明文は以下のとおりである。

 「浄土宗の開祖、法然上人が学問成就を祈願してさした杖が芽吹いたと言われる。この天を覆う銀杏の巨樹は、国定公園那岐山の古刹、菩提寺の境内で歴史の重みをかさねながら静かに息をひそめつつ立っている。目通り周囲約12メートル、高さ約45メートル、樹齢推定900年といわれ県下一の巨木である。昭和3年、国の天然記念物に指定され、また全国名木百選にも選ばれている。町では、イチョウを町木に指定し、その保護に力を注いでおり、町民の一人ひとりの心の中に大銀杏が息づいている。」  奈義町教育委員会

岡山県勝田郡奈義町高円1528 菩提寺
<国指定天然記念物 去川(さるかわ)のイチョウ>
 

 指定年月日 昭和10年12月24日

 看板の説明文は以下のとおりである。

 「このイチョウは、津島藩主初代忠久公(1179〜1227年)が当時、薩摩街道であったこの地に植えられたものと伝えられています。
この事から推定しますと、樹齢は約800年と考えられます。 

 幹の周囲約10m、高さ約41m、枝張りは東に約10.3m、西に約13.0m、南に約10.2m、北に約15.1mあります。
幹は、空に向かって大きくのびており、太い枝が少ないのが、このイチョウの特徴で、秋には多くの実を付けます。」

    平成5年3月22日 高岡町教育委員会

宮崎県宮崎市去川
<東京都指定天然記念物 芝東照宮のイチョウ>♂

  所在地 港区芝公園四丁目8番1号
  指定 昭和31年8月21日

 看板の説明文は以下のとおりである。

 「芝東照宮は以前は増上寺安国殿と呼ばれ、「江戸名所図会」にもその姿が見られる。明治の神仏分離によって増上寺から切り離され、東照宮となった。
 このイチョウは、寛永18年(1641)安国殿の再建に際し、三代将軍家光が植えたものと伝えられている。
 昭和5年(1930)に史跡名勝天然記念物保存法に基づいて国の天然記念物第二類(地方的なもの)として指定されたが、昭和27年に文化財保護法が改正された時、国指定は一旦解除され、その後昭和31年に東京都の文化財保護条例に基づき指定し直され現在に至っている。
 平成5年(1993)の調査では、高さ約21.5メートル、目通り幹囲約6.5メートル、根元の周囲が約8.3メートルある。」
   平成14年3月29日 東京都教育委員会

東京都港区芝公園4ー8−10 
 
 
 
  <国指定天然記念物 飛騨国分寺の大イチョウ>♂

 看板の説明文は以下のとおりである。

 国指定:昭和28年3月31日()
 所有者:国分寺
 所在地:高山市総和町1丁目83番地
 樹  齢:推定1,200年

 本堂と鐘楼門との間に位置し、樹齢約1,200年の雄株で、枝葉が密生し、樹間の所々に乳のような気根を垂れ、樹勢は盛んである。
 由来については、往昔行基菩薩の手植えと伝えられる。俗に「乳イチョウ」の名があり、乳のでない母親がここでお参りすると乳がよく出るといわれている。根元には石像が祀ってある。
 昔から、国分寺のイチョウの葉が落ちれば雪が降る、とも言い慣らされている。
                高山市教育委員会   
 
     
     
 イチョウの雄花については、しばしば雄株の樹下一面にマットを造っていることがあるが、雌花は一体どこについているのやら。図鑑で確認した上で、雄花のついていない雌株で、雌花らしきものを注意して見ても、とても雌花には見えない。そもそも、その擬宝珠のようなつるつる坊主のどこに花粉が付着するのか。やはり被子植物のようなしっぽり濡れためしべの柱頭がないと、雌花らしくない。  
 
 1 イチョウの雄花の様子   
     
 
      イチョウの雄花 1
 雄花の出始めの様子である。中心に小さな葉が見える。
     イチョウの雄花 2
 花粉を出す前の雄花。雄花は短枝から葉と一緒に出てくる。樹を見上げればすぐにその存在を確認できる。 
      イチョウの雄花 3
 花粉を出し始めた雄花。雄花は花粉放出後は落下して、樹下は大量の雄花のマット状態となる。 
 
     
 2 イチョウの雌花の様子   
     
 
          イチョウの雌花 1
 雌花も短枝に束生する。雄花は確認しやすいのに対して、小さな雌花は遠目には葉に紛れて確認しにくい。 
イチョウの雌花 2 
   
          イチョウの雌花 3
 
柄の先に胚珠を2個付ける場合と1個つける場合がある。これだけを見たら、広葉樹の若い果実のように見える。 
   【比較用飛び入り】 アオハダの若い果実
 全く関係のないモチノキ科のアオハダの若い果実の様子である。やはり短枝に葉と果実(花)を束生し、似た印象がある。ということで、イチョウの花はやはり花らしくない。
   
イチョウの雌花 4  イチョウの雌花 5 
 
     
    図鑑等の説明によれば、イチョウの雌花の胚珠先端部は受粉時期になると小さく開口し(これを「珠孔」micropyle と呼んでいる。)、しっぽりと「珠孔液」(pollination drop 、珠孔滴、受粉滴受粉液とも)で濡れて、花粉を受け入れる準備をするとのことである。そして、花粉が付着すると、珠孔液とともに取り込んでしまうとされる。

珠孔は裸子植物だけの呼称ではなく、被子植物の子房中の胚珠先端の穴も珠孔と呼び、花粉管の入り口となっている。 
 
     
  【2016.4 追記】   
   イチョウの雌花が受粉時期に珠孔液を出した姿は未確認であったため、見当を付けて探索したところ、やっと見つけることができた。同じ個体でも雌花が一斉に珠孔液を出すわけでもないようで、タイミングが難しい。
 今回の経験則で言えば、先に掲載した雌花は受粉後のもので、胚珠がやや大きくなりかけている印象がある。受粉時期の雌花の胚珠の外径は約2ミリほどの大きさであった。
 
     
 
 
       受粉時期のイチョウの雌花 1
 擬宝珠のような部分が淡黄色の時点が受粉期であることが判明。 
       受粉時期のイチョウの雌花 2
  先端部分は尖ってチューブ状になっている。
  この写真では珠孔液は出していない。 
   
 
       受粉時期のイチョウの雌花 3
  左側の胚珠で珠孔液を出している。 
   受粉時期のイチョウの雌花 (同左部分)
 わずかな量であるが、珠孔液がキラリと輝いている。 
   
  【おまけ】 胚珠を3つ付けたイチョウの雌花
  胚珠はふつう2個で、次いで1個の場合も多いが、3個付けている場合は少ない。
  【おまけ】 へこたれない都会のイチョウ(雄株) 
 都会の街路樹としてのイチョウは剪定の過酷な試練に耐えている。こんな状態でも芽を吹いて、しかも雄花をつけている。
 
     
 3 イチョウの果実・種子・芽生えの様子   
     
        イチョウの銀杏(ギンナン) 1
 管理されたイチョウの樹では、目の高さで銀杏を見ることができる機会は少ない。
        イチョウの銀杏(ギンナン)2
 これだけたっぷり銀杏を付けている例は少ない。街路樹ではなるべく雄株を使うが、公園ではしばしば雌株があって、おばちゃんたちに銀杏拾いの楽しみを提供している。
(都内日比谷公園)
 
 
         イチョウの銀杏(ギンナン) 3
  慎ましやかに短枝に1個だけ銀杏を付けたケース。
        イチョウの銀杏(ギンナン) 4
  胚珠はふつう1個だけ成熟するため、結果としてこんな形態となる。  
 
 
 
   
      2個付いた銀杏
 まれに2個の胚珠が成熟してこうした状態となっている。
       イチョウの種子
 くさい外種皮を除いた状態で、硬い中種皮には普通2稜があり、まれに3稜がある。
      イチョウの種子
 左:中種皮に包まれた状態
 中: 薄い内種皮に包まれた状態
 右:内種皮を剥がした状態
     
   イチョウの種子の断面
 胚乳の中に2枚の子葉をもった胚が見られる。 
     イチョウの胚の様子
 子葉の間に幼芽が見られる。
   イチョウの芽生えの初期
 子葉の先端は胚乳の中に入ったままで、しばらくの間は胚乳の養分を吸収する器官とし働くようである。
     



 イチョウの種子の胚で見られる子葉の数は2枚がふつうと思われるが、ある個体の種子では、左の写真のとおり、ほとんどが子葉3枚で、ときに4枚のものが見られた。

 たぶん、こうした例は珍しくはないものと思われるが、イチョウ種子の胚の子葉は何枚あろうとも、胚乳に先を突っ込んだままで展開することはないから、目に付くことはない。  
 子葉が3枚のイチョウの胚の例 子葉が4枚のイチョウの胚の例 
 
     
     イチョウの芽生え・発根の様子   
     
 
 
                  葉を展開し始めたイチョウの芽生えの様子
 外観だけを見ればドングリの芽生えの形態に似ている。ただし、ドングリは子葉を地表に転がしたままとし、イチョウは子葉の先端を胚乳に入れたままの種子を地表に転がした状態とする。
 イチョウの芽生えの形態は「胚乳内子葉残留型」である。
 
     
 
      子葉の基部の様子    植木鉢でスクスク育っているイチョウ
 
     
 図鑑等におけるイチョウの花の詳細の説明例は以下のとおりである。  
 
 イチョウは雌雄異株で、花は4−5月。雄花は尾状花序状で長さ2センチ内外、雌花は柄を含めて長さ2−3センチ。花粉が風に送られ(裸出している)胚珠につくと、花粉室内で発芽して2個の精虫となり、そのうちの1個が卵細胞を受精させ(9月)、種子に発達する。この精虫を発見したのは東京理科大学(現東京大学理学部)の画工であり、助手であった平瀬作五郎(1896年)で、ソテツの精虫を発見した池野成一郎によって学会に発表され、注目を浴びた。【平凡社日本の野生植物】
 イチョウの雌花は剥き出しの胚珠の先端に、珠孔液と呼ばれる液体を分泌しています。ここに花粉が飛んできてつくと、珠孔液に捕らえられた花粉は胚珠の中に取り込まれます。3ヶ月くらいすると花粉管が伸び始めますが、この花粉管は卵細胞までは到達しません。花粉管の中に精子がつくられ、この精子が花粉管から出て、卵細胞まで泳いでいって受精が起きます。雌花で精子を発見というのは、胚珠の液体の中に花粉管から泳ぎだした運動中の精子を見つけた、というものです
【国際生物学オリンピック日本委員会 杉山 隆】 
 雌花の細長い柄の先に胚珠がふつう2個つく。【樹に咲く花】
 
 
 <精子発見のイチョウ Ginkgo biloba L>

 看板の説明文は以下のとおりである。

 「1896(明治29)年平瀬作五郎はこの雌の木から採取した若い種子において精子を発見した。それまで種子植物はすべて花粉管が伸張し造卵器に達して受精するものと思われていたので、この発見は世界の学会に大きな反響を起した。
 平瀬は当時帝国大学植物学教室の助手で、講義や研究のために図を描くかたわら「イチョウの受胎期および胚の発生に関する研究」を行っていた。
 このイチョウ精子発見は池野成一郎のソテツ精子発見とともに日本の近代植物学の発展期における最大の貢献といわれている。」

東京大学大学院理学系研究科附属植物園
 (通称:小石川植物園)
東京都文京区白山3−7−1
 
 
 スギやヒノキ、マツなどの多くの針葉樹で、受粉時に胚珠の先端から珠孔液が分泌されていることが確認されている。但し、精子の存在はイチョウとソテツのみで確認されている。

 なお、イチョウの雌花が花らしくないのは裸子植物ゆえ当然ということになり、そもそも雄花、雌花といわずに裸子植物のために用意された「雄性胞子嚢穂」、「雌性胞子嚢穂」の語があるというが、これらは一般性がないため図鑑ではほとんど使用されていない。目にした裸子植物のいわゆる雄花と雌花を指した呼称の例をリストアップすると以下のとおりである。統一的な学術用語がかつてなかったことに原因がありそうである。

        いわゆる雄花
male cone , pollen cone , male strobilus
male flower
        いわゆる雌花
ovulate cone , female cone , seed cone , female strobilus

female flower
雄の生殖器官
雄性生殖器官
雄性胞子嚢穂
(ゆうせいほうしのうすい)
雄錐(ゆうすい) : 仮訳 
花粉錐 : 仮訳

小胞子錐 : 仮訳
雄球花(日本、中国)
小胞子葉球(中国)
裸子植物的雄花序(中国)
雌の生殖器官
雌性生殖器官
雌性胞子嚢穂
(しせいほうしのうすい)
雌錐(しすい) : 仮訳
種子錐 : 仮訳
胚珠錐 : 仮訳
大胞子錐 : 仮訳
雌球花(日本、中国)
大胞子葉球(中国)
裸子植物的雌花序(中国)
 
 
 
(イチョウの材の利用)  
 イチョウの材は、デパートの家庭用品コーナーで、まな板の素材のひとつとして広く販売されているのを見る。
 
 大阪市内のデパートの家庭用品売り場で見かけたまな板群の一部。
 写真はまな板の側面部分で、樹種名を焼き印してあって、展示中の汚れ防止のため、すべて丁寧にラップされていた。
 木曾ヒノキのまな板が主体であったが、イチョウのまな板も販売されていた。
 こうして並んでいると、木曾ヒノキがやや赤味があるのに対して、イチョウは色白であることがよくわかる。
 
 
 また、デパートの伝統工芸展等では、おなじみの福井県福井市の(株)双葉商店が元気に出動してイチョウのまな板を販売している姿もしばしば見かける。

 イチョウは色が淡色、均質、堅さも中庸で刃物に優しいことからまな板としても好まれているものと思われる。但し、イチョウは人の手で人里近くに植栽されたものばかりであるから、安定的に出材するものではないため、その利用はやはり限定的である。そのはずであるが、かつての利用は以下のとおり多岐にわたっていたようである。
 
 
 材の精緻を主として利用す→ 彫刻材、(肉合〔シシアイ〕彫箱[新潟]額面、木魚、印判、額及符[支那])漆器丸物木地[山中]碁盤、将棋盤、学校塗板、漆器板物木地[金沢、越後国柏崎]鳥屋の俎板 材の膠着可なるを利用す→ 貼木練心【木材の工藝的利用】
 材は彫刻物、碁盤、将棋盤、算盤珠、俎〔マナイタ〕、張板、床板、裁物板、製紙乾燥板、塗物木地類、匣〔ハコ〕類を製し又印判木となし筆法を失はず又唐土にては園亭の額に作り又符を刻むに用ゆると云ふ九州にては建築の用に供す【大日本有用樹木効用編】
 碁盤、将棋盤、将棋駒のほか、器具材では算盤珠、盆・菓子器・椀・膳・花台などの漆器木地、硯箱・料紙箱・平箱などの箱物、俎板、張板、裁縫板、表具台、仏具、木魚(大型、彫刻のもの)などがある。
建築材では天井板、床板など、家具材では茶棚、書棚、仏壇、箪笥、厨子など、及び練心材料、彫刻材では置物彫刻、額面、印判、版木、また鉛筆材、風呂桶などをあげることができる。【木の大百科】