トップページへ 樹の散歩道目次へ |
樹の散歩道 これは太古の隕石か、隕鉄か?
九州にはかつて日本で唯一とされたエメリー鉱の鉱山があった。鉄に近い重さと質感のある鉱石で、その極めて硬い特性から、研磨剤や道路舗装面の滑り止めとして活用されてきた。このため現在でも「エメリー研磨」の語があるほか、加工品としてエメリーペーパー(エメリー紙)、エメリークロス(エメリー布)、エメリーボードの呼称も生きている。しかし、これも時代の変遷で、次第に人工の研磨剤に置き換わってきた経過がある。この国産エメリーは既に採鉱はされていないが、主として滑り止め材としては現在でも(現品限り?)出荷・販売していると聞く。 手元にエメリーの原石を後生大事に保管しているが、いい感触で、隕石あるいは隕鉄(鉄隕石)だといったら、信じてしまう人もいるに違いない。【2013.3】 |
|
|||||
1 | 木浦鉱山について エメリー鉱が採鉱されていたのは、大分県佐伯市(旧南海部郡宇目町)の木浦鉱山である。 木浦鉱山は元々スズや鉛を等を含む鉱石が採掘されてきたが、1957年(昭和32年)に中止され、1961年(昭和36年)に新たにエメリー鉱の鉱床が発見され、1968年(昭和43年)頃から本格的な採掘を行って来たという。しかし、1999年(平成11年)に採鉱を終了して5年ほど加工を継続し、現在(2013.2)でも製品の出荷だけは行っている模様である。事業者は木浦エメリー株式会社(大分県佐伯市宇目木浦鉱山547)である。日本唯一の特異なエメリー鉱山は残念ながら閉鉱の運びとなっている(2013.2現在)。 注:エメリー鉱の発見や採掘開始の時期については捉え方がいろいろある模様で、各種記述は一定していない。上記は会社からの聞き取りによる。 写真のエメリー原石は旧宇目町の時代に手に入れた記憶がある。こうしたものを購入するのは物好きだけで、一般的にはこれよりも胃袋が喜ぶシシ肉(イノシシの肉)をのせた「ししラーメン」が広く知られていた。 |
||||
2 | エメリーに関する説明例 エメリーは古くにギリシャで産出したものが元祖で、呼称に関する講釈を含めて海外情報が豊かである。以下にその事例を紹介する。 |
||||
|
|||||
3 | エメリーの利用 研削・やすり掛け用のエメリーペーパー(emery paper 紙やすり)、エメリークロス(emery cloth 布やすり)、エメリー-ボード(emery board マニキュア用爪やすり)の名はいずれも使われていた研磨剤がエメリーであったことによるもので、現在でも製品が存在するが、近年は人造のエメリー(人造のコランダム)に次第に移り変わっているといわれる。天然エメリーは人造エメリーに比べて切り込みが浅い(研削力はやや劣るということでもある。)ことから、仕上げ性能ではむしろ高く評価されている。 また、現在でも硬質骨材を使用した滑り止め舗装仕上げの仕様のひとつとして、エメリーを使用した工法が存在する。 天然エメリーが現在どの程度使用されているのか、エメリーの名を冠した製品について天然と人工のシェアがどうなのか、海外からエメリー原石やエメリー加工品がどの程度輸入されているのか等についても知りたいところであるが、資料を目にしない。 |
||||
4 | 旧宇目町といえば・・・ 旧宇目町内は多少散策したことがあって、印象に残っているものがあり、それは以下の写真のとおりである。 |
||||
@ | ととろバス停 旧住所:大分県南海部郡宇目町大字南田原轟(トトロ) 手作りのキャラクターがいつの間にか増殖して話題となったバス停(大分バス)である。手慣れた仕上がりには、多くの人が感動してしまった。「ととろ」の名は地区の名称「轟」の読みである。 |
||||
|
|||||
A | 佐伯市立宇目緑豊中学校 大分県佐伯市宇目大字千束1560-1 先の木浦鉱山地区は全くの過疎状態となっていたが、旧宇目町は林業振興とセットになった木材の利用に熱心で、この中学の校舎は今まで見た中では最も美しいと思われる木造校舎のひとつである。都市部の父母たちから見たら、明らかに田舎の方がこういった点に関して恵まれていることを実感するであろう。 |
||||
|
|||||
B | 藤河内渓谷 祖母・傾国定公園内に位置する美しい渓谷で、バンガローのあるキャンプ場が整備されている。普通の渓流との違いは、石がゴロゴロとしているのではなく、巨大岩盤が渓流を構成していることである。秋の景観も評価が高い。 |
||||
|
|||||