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   ことばあそび

            むだぐち/駄洒落/軽口


  どこにも駄洒落自動小銃を乱射する特殊技能を持つ戦士がいるもので,多くはその場限りで消えゆく運命にあります。一方でオヤジギャグを積極的に開発・普及することに充実感を見いだす例もあります。このように,この手のものは世代・時代を超えて不滅であり,是非とも優しく見守ってあげたいものです。以下は日本の古典的な作品の抽出です。特に,地名ものはやはり地域性があること,また時代の変化に晒されることもあって生存環境には厳しいものがあります。歴史的な参考資料として掲げます。

注1:  これらを総称して,むだ口,戯れ言,軽口,駄洒落などと,必ずしも標準用語が定着していようである。多くは碁将棋の対局中のおしゃべりとも。
注2:   配列は50音順としている。 

いたみ銀山 石見銀山に掛けた,痛み入るのむだ口。
【注】石見⇒島根県西部の旧国名。石(せき)州。
いやみ銀山 いやみなことをするじゃないか,などという場合のむだ口。石見銀山のもじり。
うそを築地の御門跡(ごもんぜき) うそをつくということばの戯れ。
注】築地の御門跡⇒築地の西本願寺別院。築地別院。【太田南畝(蜀山人)作】
おうや(芋屋)の看板 おやおや,おおよしよしという時のむだ口。
大あり名古屋の金の鯱(しゃちほこ) 大有りだ,大いにあるというときのむだ口。「尾張名古屋」に掛けたもの。
恐れ入谷の鬼子母神(きしもじん) 恐れ入りました。【太田南畝(蜀山人)作】
肝心鹿島の要石(かなめいし) それが肝心金目だというときのむだぐち。【注】要石:常陸の鹿島神宮の境内にある神石。地震の鎮めといわれる。
堪忍信濃の善光寺 堪忍しな,御免よというときのむだ口。
心得狸の腹鼓 心得た(承知した)。
しまって翁草 しまっておきなさい。
そうで有馬の水天宮 そうでありますというときのしゃれ。
【注】日本橋蠣殻町の水天宮が,もと有馬藩邸内にあったことから来ているもの。
そうとは白髭(しらひげ)大明神 そうとうはしりませんでした。
【注】白髭大明神:隅田川の白髭橋の東に向島・白髭明神(白髭神社)があるという。
そうは左遷堂の不動さん そうはさせないという時のむだ口。
そうは虎の皮の褌(ふんどし) そういう風には取らぬ(解釈しない),そうはいかぬというむだ口。
そうは奈良人形 そんなうまい具合にはならぬ。
その手は桑名(食わな)の焼きハマグリ その手は食わないよーだっ。あまりにも有名で健在。ネット検索でもわんさかヒットします。
【注】桑名の焼き蛤⇒東海道の桑名(三重県)の名物として有名であった。
田に(い)したもんだよ,蛙の小便(しょんべん) たいしたもんだ。 
ちっと有馬の水天宮 少しはありますの意。
【注】前出「そうで有馬の水天宮」を参照。
ちょうど芳町(よしちょう) ちょうどよい。
【注】芳町⇒現在の中央区日本橋人形町の甘酒横丁の北側一帯。
敵もさるもの引っ掻くもの 「然る」と「猿」
とんだところへ北村大膳  歌舞伎せりふより。「悪に強きは善にもと,・・・・とんだ所へ北村大膳」。NHK「コメディお江戸でござる」の台詞にも使用された実績がある。
とんだ目に太田道灌 太田→逢うた。とんだ目にあったというむだ口。「ひどい目に・・・」とも
内藤新宿の唐辛子 無い,そんなことはない,というときのむだ口。
【注】江戸時代,内藤新宿付近の名産唐辛子は辛いので名高く,これを内藤種(だね)と呼んだという。
なしの与一 無しに掛けたむだ口。那須与一から。
何にもわからん猫の糞 全然わからん。
腹がへりまの大根 腹が減ったという戯言。練馬の大根に掛ける。
びっくり下谷(したや)の広徳寺 びっくりしたという時の軽口【太田南畝(蜀山人)】
【注】広徳寺⇒広徳寺は臨済宗大徳寺派に属し,最初の建立は1570年頃の小田原,その後家康に招かれ神田に創開,さらに寛永12年(1635)に下谷に移転。その後,昭和2年(1927)には下谷から練馬に移転。江戸時代の大名家,柳生宗矩・十兵衛,徳島蜂須賀家,松代真田家等の墓がある。
ひどい目に太田道灌 ひどい目に遇った。(太田(おうた)→遇った)
一言も内藤新宿 一言もない,恐れ入りましたといむだ口。
不覚さの少将 不覚さというむだ口。深草の少将に掛けたもの。
まったく有馬温泉 全くありません。
見上げたもんだよ屋根屋のきんたま  ・・・
見上げたもんだよ屋根屋の褌(ふんどし)  ・・・
ゆうてしもた桶屋の隠居 口外して,しまったことをしたという時のしゃれ。桶を結うに掛けたもの。