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木の雑記帳
 
  霞ヶ関の地下から丸太がザックザックの怪
             


 千代田区霞ヶ関の農林水産省庁舎の耐震工事に際して、中庭の建物際を重機で掘削していたところ、大量の丸太が出土したという実に興味深い話があった。もしや太古の時代の住居群跡では? 以下はその際の写真である。【2008.2】   


 実は同様の事件で東京駅前の旧丸ビル(大正12年完成)の建て替え時にも話題になったことがあった。これについては既に明らかになっていて、当時旧丸ビルを建築するに当たって、五千本を超える大量のベイマツ丸太基礎杭(松杭)として打ち込まれていて、これが掘り出されたというものであった。

 表面は痛んでいたものの、中はびっくりするほど新鮮であったという。当時、既に忘れられていた過去の歴史が突然蘇って話題になったことを記憶している方もいるであろう。注目を浴びたことから、現在この丸太の一本が現物標本として新たな丸ビルの床に組み込まれている。(写真はこちらを参照。)
(注)  ベイマツ米マツダグラスファー)はマツの仲間ではなく、米国産のマツ科トガサワラ属の樹木。明治時代からメリケンマツと呼び輸入されていた。かつては建築の基礎杭にも多く使われたという。
 さて、先の写真である。実はある大学の先生も関心を示して見に来たとの話も聞いた。結論は、農林水産省の現在の敷地に以前あった海軍省の庁舎・施設の基礎、若しくは地盤強化に使われたものであろうとされている。

 海軍省の庁舎は鹿鳴館の設計でも知られるイギリス人ジョサイア・コンドルの設計により明治27年(1894年)に現在の農林水産省の位置に完成している。現在の色気のない庁舎(昭和29年完成)とは較べものとならないくらい情緒のある建物であったに違いない。

 話を戻すと、丸太の樹種はベイマツではなくて、国産のマツであることが確認されている。長さは約6メートルほどで、やはり表面は劣化しているものの、内部には不朽は及んでおらず、現在ではこうした利用は見られないがマツの木杭(松杭)の耐久性を実証することにもなった。

 近年、国産マツもマツクイムシにやられて出材も少ないからもったいない話であるが、多分産業廃棄物と化したのであろう。記念ベンチ、記念グッズなど作っていたらそれこそ税金の無駄遣いとして袋だたきになっていたかも知れない。NGOが動いていれば何とかなったかも・・・個人的には板材が欲しかった・・・埋蔵金であればもっと話題になったのだが・・・
   
  <追記 2012.10> 
   東京駅丸の内駅舎(大正3年完成・営業開始)の復元と耐震化のための工事が完了し、10月1日にリニューアルオープンの運びとなった。

 大東亜戦争中に、やりたい放題の米軍が非戦闘員たる一般市民を住宅もろとも迅速に焼き尽くすために開発した極めて残忍な焼夷弾によって日本のほとんどの都市が無差別爆撃を受けて死の街と化し、東京駅も煉瓦の壁のみを残す無残な状態となってしまった。その後の駅舎は戦後に応急的に簡易復旧したものとなっていた。しかし、このたびやっと約百年前の開業当時の姿に復元することができたことは感慨深い。

 この工事に付帯して、耐震化のための免震工事を進める過程で駅舎の地下を掘り進めていたところ、案の定、やはり当時の松杭の基礎が多数打ち込まれてるのを確認したという。その数は何と1万本にも及んだという。

 先の霞ヶ関の松杭、旧丸の内ビルヂングの例はもとより、かつては新橋に近い旧汐留(しおどめ)貨物駅跡地でも、列車の運転台を支えるために約400本のマツ材の杭が密集して打ち込まれていた(朝日百科植物の世界。当時の朝日新聞の写真が掲載されている。)のが確認されている。

 遡れば、江戸時代の波打ち際は現在のかなり内陸部にあったとされるから、東京の地盤の弱い地に建てられた明治・大正期のビルや施設の地下には膨大な量のマツ杭が基礎として突き立てられていることが理解できる。