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木の雑記帳
  幻の通草紙


 カミヤツデの名のいかにも南方の植物といった風情のこの “壮大な低木” は、遠くからでもすぐにそれとわかる巨大な葉が特徴である。中国南部、台湾原産とされるが、国内でも風変わりな樹木として庭に植栽するなどの利用の歴史があり、西日本の暖地の海岸近くではしばしば野生化した姿が見られるほか、都内でもはびこり群落が見られるという。一般の図鑑にも掲載されていて、この幹の髄を薄く切ったものを「通草紙(蓪草紙)」と言うとして必ず説明している。さらに百科事典等では、この通草紙が短冊・色紙・しおりの用紙のほか、造花水中花の材料としても利用されてきたとしている。いかにも生活に密着したものとしての印象であるが、現在では通草紙の製品の姿を身近で見る機会は全くない。国内では既にほとんどの人が知らない〝忘れ去られた民俗文化〟と化してしまったのであろうか。 【2014.8】


   カミヤツデの様子

 カミヤツデの姿を住宅地で初めて見たのは九州の大分県内である。葉の径が女性の日傘ほどもある大きさに驚き、あとで調べてカミヤツデの名を知った。  
 
     
 
   
            住宅地のカミヤツデ
  住宅地では珍しい。巨大な葉はよく目立つ。
             カミヤツデの葉
   成葉の葉身は長さ、幅とも70センチを超える。
   
         カミヤツデのミニジャングル
       (夢の島熱帯植物館の敷地内)
            同左の2月の風景
  都内では冬は落葉してしまう。若い果序をつけている。
   
   
             カミヤツデの葉裏
     葉裏は白色で、星状毛が密生する。
カミヤツデの葉柄の基部
 葉柄には淡褐色の粉状の毛が密にあって、簡単に脱落するため、体に触れると服を汚す。  
   
   
            カミヤツデの花序
     球状の散状花序を円錐状につける。
     花柄にも淡褐色の粉状の毛が密にある。
           カミヤツデの花の様子
    ヤツデの花に似るが、花弁、雄しべは4個である。
   
   カミヤツデ(紙八手) ウコギ科カミヤツデ属
 Tetrapanax papyrifer

 中国・台湾原産の常緑低木。東京では冬に落葉する。
 別名ツウダツボク(中国名 通脱木の日本読み)

 葉は掌状に7~12裂し、裂片はさらに中ほどまで2裂する。
 髄を乾燥して薄く切ったものが通算紙(つうそうし)として中国から伝来し、造花の材料などに利用された。紙八手の名もここからきている。

 種小名の papyrifer は「紙を持った」の意。
 英語名のライスペーパープラント Rice- paper Plant は、通草紙をライスペーパーと誤ったことに由来する。

 中国名は、通脱木のほかに、木通樹通草天麻子とも。通脱は髄を抜く(抜ける)ことを指す。 
    カミヤツデの幹の切断面 
 髄は太めで真っ白である。質感は他の樹木で見られるものと同様に、スポンジのようである。 
 
     
 図鑑等の書籍での通草紙に関する情報(薬用を除く)

 通草紙はカミヤツデの白色の太い髄を薄く切ったものとしているが、決して具体的ではないため、全くイメージがわかず、もどかしさを覚える。
 また、通草紙の用途として極めて多様な品目が掲げられていて、具体的には、書画(水彩画)用紙(短冊・色紙・しおり)、造花、水中花、包装の詰め物、傷の手当て用(救急絆創膏のガーゼに相当)、 特に台湾や中国では髪飾り・花簪(はなかんざし)、上流社会で棺の詰め物(体液の吸収が目的)としても利用されたという。
 しかし、なぜ通草紙なのかは、これだけでは全くわからない。 
 
     
 
 図鑑・百科事典の説明事例 
 (カミヤツデの)髄を乾燥して薄く切ったものを通算紙(つうそうし)といい、造花の材料などに利用する。紙八手の名もここからきている。【樹に咲く花】 
 (カミヤツデの)茎の径の60%は純白の髄であり、2~3年生のものを伐り、心を乾かし、鋭刃で薄く切断して紙に作る。通草紙又は活動紙(Ricepaper)これであり、造花材料短冊色紙中国人の花簪に作る。この断屑は、蓪草紙又は草糸といい中国人、台湾人は棺内の詰物とし防腐用とする。丸蓪草というのはコルク代用品である。【樹木大図説】 
 (カミヤツデの)若い茎には太い髄があり,幹を30cm余りに切ってこの髄をとる。この髄は通草紙(つうそうし)Chinese rice‐paper として知られ,造花の材料に用いられた。今日ではプラスチック製品におされて,あまり用いられなくなった。【世界大百科事典】 
 (カミヤツデの)茎の髄が白くて大きく、これから書画用紙などにする通草紙をつくり、また、水中花など造花の材料包装の詰め物などにする。【日本大百科全書】 
 通草紙(ライスペーパー)は水中に入れる造花(水中花)にしたものをよく縁日などの夜店で売っている。【植物観察事典】 
 (カミヤツデの)名は紙八手で、ツウダツボク(通脱木)ともいい、髄から通草紙をつくり、水中花などの工芸品に使う。【日本の野生植物】 
 英語のライスペーパーの呼称は誤った認識にもとづくものであるため、このことを意識している場合は、一般的には英語でピスペーパー Pith paper (髄紙)と呼んでいる。ただし、カミヤツデのことを英語で Rice-paper plant と呼び慣らしていること自体はどうしようもない。
 
     
   このままではストレスが高じるばかりである。そこで、通草紙を理解するために、少なくともこれだけは確認したいと感じる点を次に整理・推定してみることとする。参考資料としては国会図書館によるレファレンス協同データベース掲載の国会図書館及び紙の博物館の調べによる以下のリストが有用であった。(引用に際してはアルファベットで略記)

 A 台湾通草紙:財団法人樹火紀年紙文化基金会(2006.5)
 B 台湾紙紀行:小林良生(1997.10.31 百万塔 第98号)
 C ライス・ペーパーと誤解された通草紙:小林良生(2006.10.31 百万塔 第125号)
 D カミヤツデと蓪草紙の調査顛末記:川床邦夫(1999.2.25 たばこ史研究No.67)
 E 紙のおはなし:原 啓志(2002.2.20 日本規格協会) 
 
     
 通草紙はどのようにして作られたのか(通草紙の作り方)

 カミヤツデの髄が最大でどの程度になるのかがはっきりしないが、太くても3センチにも満たないと思われ(注:資料Eでは25mmほどとしている。)、これからいかにして例えば色紙大の通草紙(縦横30センチ弱)を採取できるのかは最初の疑問であった。
 関係資料を読むと、茎から取り出した髄を桂剥きの要領で均等な厚さでできるだけ長くつながるように手作業で行っていることがわかった。刃物による作業風景の写真が資料A、B、Cに掲載されている。資料に基づいて、茎の採取からの手順の概要を示すと以下のとおりである。 
 
     
 
 左の写真は資料Aの「台湾通草紙」の表紙
 財団法人樹火紀年紙文化基金会(2006.5 初版)
 台北市文化局協賛

 中国語、英語、日本語が対照で記述されている。
 この編集時点において既に通草紙の生産者が僅かとなっていて、本書はこの歴史と文化を後世に伝えると共に、伝統技術の継承を願って出版されている。 
 この表紙写真は、カミヤツデの髄を薄く桂剥きして、通草紙をつくり出しす巧みな技術が存在することを示している。   
 
     
 
<髄の採取、通草紙の製作の過程>(Aほか) 
① 採取  カミヤツデの頂部と基部を除いて茎を採取する。 
② 通脱   竹を髄に押し込んで髄を取り出し、天日乾燥する。 
 幹の直径は10センチくらいであり、3、4年もすると、幹の中に白い髄が充満している。この髄を「丸通草(がんつうそう)」と呼ぶ。幹を30~100センチに切り、(そのまま直径数センチの)髄の径に合わせた棒を差し込んで作業台にコツコツと打ち付けて髄部を押仕込み、次に反対側から棒を差し込んでコツコツと作業台に打ち付けると、髄部が抜け出してくる。髄は細かい気泡を孕む発泡ポリスチレンかポリウレタンのような感じのものである。(C) 
③ 削り   均等な厚さで長く薄い帯状にスライスする。 
 これが肝心な部分で、専用の作業台を使用している。髄に刃物を押し当てままで、髄を台の上で転がしながら桂剥きするのであるが、剥く厚さを一定にするために、その厚さ相当の高さに刃物を浮かす目的で、作業台には2本のガイドレール(スペーサー)が取り付けられている。この上で寝かした刃物をスライドさせるという手法である。
 機械化が困難であるため、手作業に頼らざるを得ないというが、熟練者は30センチ幅の通草紙を削り出すことができたという。 
④ 切断  正方形に切る。 
⑤ 選別  不良品を除く。 
⑥ 成形  規格の寸法に揃える。 
⑦ 結束  出荷の単位で縛る。 
⑧ 箱詰め  出荷用の箱に詰める。 
 
     
    なお、カミヤツデの栽培に関しても紹介されていたので、ポイントをまとめてみる。   
     
 
<参考: カミヤツデの栽培>(A)

播種~晩冬から翌年の初春に移植~1年経過で切り捨て(1年目のものは径が細く使用不能。切ることで次年度の品質が向上する。)~2年後に最初の採取~その後2年ごとに採取。1本の通草を10年かけて5回採取する。 
 
     
 通草紙にはどのような特性があるのか。

 工場で量産される洋紙や品質に優れた和紙が存在した中で、通草紙が存在し続けたということは、通草紙に固有の特性があって、それゆえに特定の分野で利用されてきたようである。通草紙は純白で絵の具の乗りがよい上に、強く圧縮した通草紙が絵筆の水分で膨らんで立体感が生まれるという他にない個性を有していることが絵画の主題の異国情緒と並んで最大の魅力となっていたようである。
 この特徴は水中花の素材とした場合には遺憾なく発揮されると思われ、個人的には通草紙画よりも水中花の方に興味を感じる。 
 
     
 
 ①  通草は台湾で通草紙造花以外に生薬髪飾り絶縁素材にも使いました。美術工芸品にも最適で、昔は台湾政府の官僚は、水墨画家が絵を描いたカードを外国の貴賓たちへの贈り物としました。(A) 
 ②  均等に圧をかけた後の通草紙は、水性筆で描くと吸水してその部分が膨らみ、その効果は薄くすればするほど著しい効果が見られる。水にあうと厚みが戻る還元現象が見られることが、通草の特別なところです。(A) 
 ③  通草の髄は軽くしなやかで、さまざまな造形に切ることや、自分でも染色することができ、水でぬらすと自由自在に曲がるので、爪楊枝で接着剤を付けて、いろいろな組み立てができます。とても便利な材料なのです。(A) 
 ④  通草紙は白く彩色しやすく、加工しやすいことから造花の材料として、また、吸水しやすいことから傷の手当て用(救急絆創膏のガーゼに相当)に用いられた。圧力をかけてさらに薄くしてからを描くと、水を吸収して表面が膨れて盛り上がり、おもしろい絵ができたため流行し、現在でも台湾で通草紙として売られている。(E) 
 ⑤  通草紙の水彩画が西洋で好評だったのは、オリエント趣味のモチーフと髄が水を含むと膨潤して、立体的絵画になるからである。(C) 
 
     
 そもそも通草紙の生産地はどこなのか、また、通草紙の起源、その沿革は?

 歴史的には中国での生産が古く、同じくカミヤツデの原産地である台湾での生産はそれほど古いものではないようであるが、日本統治下の台湾では総督府が産業としての通草紙生産とこの輸出を政策的に奨励した経過があるという。日本本土での生産はたぶん見られなかったとものと思われる。 
 
     
 
 唐朝の人許嵩の記述で、少なくとも唐の時代から通草の造花が作られていたことがわかります。(A ) 
・   17世紀末頃、中国の広州通草紙の絵の製作が流行していました。漉いた紙の値段が高いので、紙の代わりに通草紙を使って山水や草花、動物、官吏の服飾、各種生産工程などの題材を描くことが盛んだったのです。画集カードは主に欧米に輸出しました。この風潮は19世紀まで続き、1960年代の後だんだんと衰えていきました。(A)
・   大陸ではカミヤツデの髄はいろいろな伝統工芸の素材として使われてきている。貴州には「剪紙」と並び称せられている「通草堆画」と称するものがある。通草の髄を刀で彫って立体感のある浮き絵としたものである。広州の佛山には明代から続く「秋色灯」と呼び、通草の八角の灯芯を用いる「通草灯」がある。 
   台湾には康煕56年(1717年)に通草を人が使用した記録があります。(A) 
・   台湾の通草紙産業は清朝の道光年間(1821~1850年)にさかのぼることができ、主要な用途は通草紙の造花でした。(A) 
 台湾でカミヤツデを生産していたところは多くありましたが、新竹一帯の品質と技術が評価されていました。(A) 
・   台湾の日本統治時代(1895~1945年)から台湾復興の初期は、台湾の通草工芸の発展の全盛期でした。台湾の日本統治時代に、日本人は新竹で生産と販売の提携形態をつくり、人材を育成する通草株式会社を設立しました。通草産業の発展を促したのです。(A) 
・   大正12年(1923年)に日本の皇太子が来台したとき、特産製品を差し上げたものの一つに金泉発の通草紙の製品がありました。(A) 
 1925年のパリ万博(現代装飾美術産業美術国際博覧会)では、金泉発の製品が国際手工芸賞を得ました。(A) 
・   台湾復興初期の後に製品の保湿、防かび、防火を含めた商品開発が重ねられ、花輪カーネーションバラ水中花を製作し、ハワイ、米国、カナダ、日本などに輸出しました。各国での評価は高く、全盛期に一日で10万本を輸出することもありました。(A) 
・   (1996年4月時点)台湾で通草紙を作っているのは1軒のみ(張秀美)で、作ったシートを中国大陸で加工して造花とし、ドイツ、香港向けとしている。(B) 
・   蓪草紙は、現在では、台湾と福建省の二か所だけで作られていると言います。台湾では、土産用の水彩画用のいわゆる蓪草紙のほかは、造花水中花に利用されているだけのようです。(1998.10 原 啓志氏の説明 D) 
・   台湾の)通草業者一元銍公司責任者張秀美(復興初期の金勝発通草業担当者、張色の娘)も営業拠点を中国に移動しました。(A 発行2006年) 
 近年、台湾でも(通草紙の)現物の生産はなされていず、全く入手できない状態である。(C 掲載2006年) 
 
     
 通草紙及びこれを素材とした作品や製品が博物館や各地の民俗資料館に展示されていない
 のか


 とりあえずは、都内北区の公益財団法人 紙の博物館を訪問した。当館は製紙技術や紙や文字の記録に関する歴史も詳しく解説しているが、残念ながら通草紙の現物展示はなく、説明も全く見られなかったのは意外であった。しかし、図書室の資料には随分お世話になった。

 国立民族学博物館の標本資料目録データベースでは通草紙は該当がないが素材不明の水中花を1点確認した。

 国立歴史民族博物館の公開データベースでは、通草紙、水中花は該当がない。

 台東区の下町民俗資料館では、水中花の展示もない。

 ということで、どこかに埋もれているものはあると思われるが、簡単に目にできないことがわかる。なお、三島製紙株式会社には通草紙の現物所蔵品があることが紹介されている。(D)
 
 通草紙の絵画 Pith painting の例はハーバード大学のホームページでコレクションの写真を見ることができる。
 http://botlib.huh.harvard.edu/libraries/Tetrap_exhibit/pith_album.htm

 また、英国王立キュー植物園には Kew Economic Botany Collection の一部に通草紙関連の収蔵品があって、台湾産の通草紙の束や通草紙の絵画、中国産の通草紙の造花の写真を見ることができる。
 http://apps.kew.org/ecbot/results?genus=Tetrapanax

 ヨーロッパ各国の図書館、博物館(大英博物館やオランダのライデン民族博物館など)にはかつて輸入された通草紙絵画の収蔵品が多数ある(A、C)という。

 個人で通草紙画を手に入れたい場合は、実は海外の通販で大量に出回っているものがあり、購入可能である。また、通草紙自体も中国語のサイトで通販されているのを確認した。

 なお、専らヨーロッパに輸出された通草紙画は、通草紙がやや強度に欠けるためか、伝統的に装飾的な絹で表装されていたという。 
 
     
 国内で通草紙が利用されている実態はないのか

 通草紙利用の一つの可能性としての水中花に関しては、情報が少ないため、別項(こちらを参照)で検討するが、確実に通草紙が利用されている例が国内に存在する。資料AとCに同じ事例が紹介されている。
 場所は熊本県菊池郡の大津町(おおづまち)で、通草紙を使った梅の造花づくりの伝統技術が地域の活動によって保存・継承されている。 
 
     
 
【説明板記載文】
                       肥後大津民芸造花の由来

 大津地蔵祭り(8月24日)は昔から今に至るまで、大きな祭りとしてつづいておりますが、町の文献によると、嘉永3年(1850年)鶴口地蔵、松古閑地蔵祭りに生花・梅の造花、その他いろいろな造り物が出て、とても賑わったとの記述が初めてみられます。
 梅の造花がいつから造られるようになったか、明らかではありませんが、仲町の岡田家が代々造花の秘伝を受け継いでいたそうです。
 大津造花の価値は、花、つぼみ、うてな等の精巧な技術はもとより何よりも大切な特徴として、枝振りや、株や新枝に萌え出る花の配合などにあるとされています。
 大津は、参勤交代の宿場町でしたので、梅の造花が殿様の目にとまり、江戸への土産としてよろこばれ、評判になったそうです。昭和31年ごろから、一時途絶えていましたが、連綿としてつづいた伝統ある民芸が途絶えるのを憂えて、当時の文化人・商工業者の有志によって昭和47年に肥後大津民芸造花保存会が結成され、幸いにも伝統文化の復活が実現できました。
 現在、大津町無形民俗文化財(平成23年3月22日付)に指定され、日本唯一の梅の造花技術を後世に伝えるために、保存会員による研鑽がつづいています。
                                         大津町・肥後大津民芸造花保存会 
 
     
   説明板には通草紙の単語が登場しないが、従前は台湾産の通草紙を使っていたとのことである。しかし、価格的に調達が困難となって(注:実態上は、台湾での生産がなくなったことが背景となっていたと思われる。)、現在は中国産の通草紙を調達して使用しているとのことである。(2014.7 聴き取り)   
     
  <参考:生薬としてのカミヤツデ>

 カミヤツデは髄のほか各部が伝統的に中国で生薬として利用されてきた歴史があり、漢方でもこれを学び、踏襲している。このため、国内の薬科大学等の薬用植物園でカミヤツデの植栽樹を普通に見ることができる。 
 
     
 
【中薬大辞典】

 通草(ツウソウ)通草木(和名カミヤツデ)の茎髄
 幼枝は星状毛におおわれるか、又は脱落性の黄白色の絨毛が少しある。
 本植物の根(通花根)蕾(通花花)花粉(通脱木花上粉)も薬用にされる。

(中薬として)
 採集は秋。2~3年目の株を選び、地上茎を切り取り、輪切りにし、新鮮なうちに茎の髄を取り出し、伸ばして日干しにする.乾燥した場所に置く。髄を加工してできた四角形の薄片を「方通草」、加工時に切り落とされた紐状の物を「糸通草」と呼ぶ。

 通草の薬効と主治:
肺を瀉ぎたす、小便を利す、乳汁を下すの効能がある.小便不利、淋病、水腫、産婦の乳汁不通、目くらみ、鼻塞(鼻づまり)を治す。
 通脱木花上粉(通脱木の花粉)の薬効と主治:
もろもろの虫瘻悪瘡、痔疾を治す。通脱木の花粉をとって瘡の中に詰める。
 通花花(通脱木の花蕾)の薬効と主治:
男子の陰嚢が下垂して元に戻らないものを治すには、通花花2両の煎液で酒かすを煮て服用する。
 通花根(通脱木の根)の薬効と主治:
気を行らす、水を利す、食滞を消す、乳を下すの効能がある。水腫、淋病(排尿障害)、食積飽張、乳汁不通を治す。 
 
     
  <参考:カミヤツデの学名>

 カミヤツデの学名に関して、英語版のウィキペディアがおもしろいことを指摘している。種小名の表記の多くが綴りを誤っているというのである。命名規約による性が正しく選択されていないという主張である。これを講釈をする知識はないので、紹介にとどめる。

誤り  Tetrapanax papyriferum   (中性形)  樹木大図説、世界大百科事典、中国本草図録、図説植物観察図鑑
誤り  Tetrapanax papyriferus  (男性形)
→ これはOKとの見解がある。
 日本の野生植物、植物の世界、中薬大辞典
誤り  Tetrapanax papyrifera    (女性形)   和漢薬の辞典(朝倉書店)
正解  Tetrapanax papyrifer     (男性形)  原色牧野植物大図鑑、日本の樹木(講談社)、フローラ、植物3.2万名前大事典 
 
 なお、ウィキペディアの日本語版では、Tetrapanax papyriferus の学名を掲げている。  
     
  <おまけ:一見カミヤツデのように見える〇〇〇〇>   
     
   遠目にはカミヤツデのように見える樹木を見かけた。説明書きを見ると、何とパパイアであった。都内の夢の島公園にはパパイアがこれでもかとばかりに大量に植栽されている。いずれもまだ小さい樹であるが、やがて、都民に豊かな実りをもたらすことであろう。しかし、そのときはたぶん「実を採らないでください。」と注意書きされるのであろう。 
 パパイア Carica papaya はカミヤツデとは異なり、パパイア科パパイア属の常緑小高木。
 
     
 
比較用:カミヤツデ
(品川区民公園)
パパイアの若い樹
(夢の島公園)
      パパイアの葉
 
     
 
      パパイアの雄花         パパイアの雌花 パパイアの果実
(この写真のみ神代植物園温室)
 
     
  *通草紙の試作についてはこちらを参照。    
     
   【追記 2017.3】   
   カミヤツデの果実と種子について   
   カミヤツデの果実と種子について、冒頭では積極的には触れなかったのは、そもそも本樹種は都内では結実がよろしくないような印象があって、しかも果実と種子に関する情報がほとんど得られない事情があった。

 中国植物誌には、「通脱木(カミヤツデ)の果実の直径は約4ミリ、球形、紫黒色、果期は翌年の1~2月」としているが、種子については全く触れていない。また、百度百科によれば、通脱木(カミヤツデ)の繁殖は実生又は分根(根分け)によるとしている。

 都内の複数の株を見た限りでは、結実はあまりよろしくないようであった。種子は長さが2ミリ程度で、一見すると発育不良の印象があり、これが果たして発芽能力を持ったものなのかは確認していない。 
 
   カミヤツデの果実と種子   
 
  カミヤツデの花後の様子
 子房部分まで星状毛に覆われている。
  カミヤツデの若い果実
 果実らしくなってきた。 
(2月中旬)
   カミヤツデの果実 
   (3月中旬)
   カミヤツデの種子
 果実には種子が2個ずつ入っている。