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続・樹の散歩道
  品川 荏原神社の早咲きの桜の素性(種類)は?


 旧武藏国 荏原郡の名を冠した荏原神社は都内品川区北品川の目黒川沿いに位置している。目黒川沿いはソメイヨシノなどの桜並木が知られているが、これとは別に神社境内の川寄りには2本の桜の木があって、この辺りでは最も早く花が咲くことで知られている。品川区役所、しながわ観光協会ともに、これを「寒緋桜(カンヒザクラ)」として紹介している。毎年1月下旬から2月上旬にかけて開花し始め、満開ともなると、目黒川に掛かった朱色の欄干の橋と調和して美しい。
 ところで、このカンヒザクラとされる桜であるが、各地でふつうに見かけるカンヒザクラよりも開花が1か月も早い上に、その花の様子もかなり異なっていることに気付く。多くの人が首をかしげていると思われるのであるが・・・・・
 【2015.4】


 1  荏原神社のサクラの様子    
     
 
 
         荏原神社のサクラの様子
 手前と奥に2本植栽されている。左側は目黒川沿いの歩道である。2本のサクラは開花時期、花の様子に違いはないため、クローンである可能性が高い。
          植栽木に付された看板
 神社の手づくり看板で、寒緋桜(カンヒザクラ)としている。花の時期には、撮影目的等で枝を傷めないように、次のような面白い注意書きがある。
「葉や枝に手をふれぬ事」 「人は見ずとも神は見ておられる
   
        荏原神社のサクラの花冠の様子
 花冠は美しい紅色で、下向き、椀形である。満開時に葉は見られず、花の終わる頃に葉が展開し始める。
              萼筒と萼片
 萼筒は鐘形、萼片には鋸歯はなく、基部がややくびれている。
 
     
 
     花弁を落とした状態
 花弁は一枚ずつバラバラに散り、鮮やかな色の萼を残す。萼片の縁には毛が見られる。
      若い葉の葉柄部
 葉柄は無毛で、上部に蜜腺がある。
      樹皮の様子
 暗褐色で粗く、皮目は目立たない。
 
     
  (メモ) 
2015年
 2015.1.28 チョロ咲き
 2015.2.22 6分咲き
 2015.2.16 9分咲き(満開状態で葉は出ない)
 2015.2.19 ごくわずかに散り始め。
 2015.3.2  順次散っている。葉が展開中。
 2015.3.12 花はわずかに残るのみでほぼ終わり、葉の展開が進行中。
2016年
 2016.2.1 満開
2017年
 2017.1.5  チョロ咲き
 2017.1.26 満開  
 
   
  【追記 2016.2】   
   2016年は開花が前年より早まって、2月1日にはほぼ満開状態となっていた。メジロちゃんが大喜びで、群れて蜜をなめていた。   
     
 
          荏原神社のサクラとメジロ 1          荏原神社のサクラとメジロ 2
 
     
 
   
 荏原神社のサクラとメジロ 3 荏原神社のサクラとメジロ 4 
 
     
   当神社は平成21年(2009年)に創建1300年を迎えたとされる。
 今年(2015年)は1月下旬に咲き始め、2月中旬にはほぼ満開となった。
 個人的な印象としては、カンヒザクラというよりも、花弁がさらに開くといわれているリュウキュウカンヒザクラ(琉球寒緋桜)に近いのではと感じていた。しかし、リュウキュウカンヒザクラの現物を見たことがなく、うなり声を上げていてもらちがあかないため、この謎のサクラを経過観察するとともに、都内にも植栽されているというリュウキュウカンヒザクラの様子を検分し、念のためにお馴染みのカンヒザクラの様子も改めに確認し、3者を比較してみることとした。
 
     
 2  ふつうに見かけるカンヒザクラ(寒緋桜)の様子   
     
   植栽樹としてはごく一般的な存在で、実際に九州や東京でもふつうに見かけた。沖縄ではサクラとしては最も一般的な存在で、1月下旬頃に満開になるといわれるが、東京では気候の違いから、2015年ではそれより1か月以上遅れた3月上旬から中旬に満開を迎えていた。
 しかし、荏原神社でカンヒザクラとしているものとは随分様子が異なっている。 
 
     
 
         カンヒザクラの花の様子
 花は濃紅紫色で、萼筒は鐘型、花冠は萼筒の形状に沿っていて広く開かない。
            落花した状態
 萼筒、花弁、雄しべが張り付いたままで一緒にポトリと落ちる。 
   
   
            落花後の様子
 子房と雌しべだけを残している。
            樹皮の様子
 樹皮は暗褐色で粗く、一部に平滑な樹皮を横方向に残している。(次第に全面が粗くなると思われる。)
 
     
  【カンヒザクラ】
 バラ科サクラ属の落葉小高木。ヒカンザクラサツマザクラとも。
 Prunus cerasoides var. campanulata (基準変種がヒマラヤに産するとの見解による学名)
 Prunus campanulata
 中国、台湾に自生する。沖縄では1月下旬に満開になる。沖縄で「桜」と言えばこのサクラを指す。
 (日本の野生植物、樹に咲く花 より)

(メモ) 2地点で経過観察
2015.3.4 早いものは開花。
2015.3.11〜17 満開
2015.3.25 散り始め 
 
     
   写真の説明で触れたとおり、カンヒザクラの大きな特徴は、花弁が大きく開かずに半開きであることに加えて、花が散る際には、萼筒ごと落花することである。なお、都内でも植栽箇所で開花時期にずれが確認されたことから、いろいろな系統のものが流通していると思われる。    
     
 3  リュウキュウカンヒザクラ(琉球寒緋桜)の植栽樹の様子   
     
   リュウキュウカンヒザクラの樹名板を付した植栽樹2本が皇居東御苑で見られる。   
     
 
   
      リュウキュウカンヒザクラ(A)の花
 この個体の花は満開時でも先が丸くつぼまった形態であった。
             同左の落花
 先のカンヒザクラと同様の落花の様子である。
   
   
      リュウキュウカンヒザクラ(B)の花
 こちらの個体では花冠が椀形に開いていた。
             同左の落花
 落花の様子はAの個体と同様である。
   
   
             落花後の様子              樹皮の様子
 
     
  【リュウキュウカンヒザクラ】
 カンヒザクラの(栽培)品種。花弁が平開し(注:個体差があるものの、決して平らになるほどは開かない。)、花の色がやや淡いものをリュウキュウカンヒザクラ(琉球寒緋桜)
Prunus campanulata cv. Ryukyu - hizakura という。(樹に咲く花 より)

(メモ)
Aの開花(2輪)は2月19日。Bの開花は3月上旬。
Aは3月初旬に満開。Bは3月10日頃に満開。
何れも満開を過ぎると葉が展開を開始。
 
     
   そもそもリュウキュウカンヒザクラ(琉球寒緋桜)の呼称は沖縄で見られるカンヒザクラのうち、特に花弁がより開くタイプを指して呼ぶ場合があるが、特定の系統のものが品種として選抜されているものではなく(注:沖縄県農林水産部森林資源研究センターに確認。)、連続的な変異が存在すると思われ、和名としての認知・定着度は低い。また、沖縄ではわざわざリュウキュウの語を冠して区別するなど困難で、その必要性もないため、幅広い変異が存在すると思われるこのサクラについては専ら単に「カンヒザクラ」の名で一括して呼ばれていて、リュウキュウカンヒザクラの呼称は沖縄でも一般性がないようである。
 
 
ある沖縄県の出身者に聞いたところ、本土でカンヒザクラと呼ばれているサクラが沖縄でカンヒザクラと呼ばれているものとは全く別物に見えて驚いたという。つまり、本土でカンヒザクラと呼んでいるサクラは、沖縄では全く一般性がないということがわかる。

 この2個体を観察すると、開花時期、花弁の開き具合に明らかな違いが認められた。追って、ボランティアガイドの説明で、これらが八重山から取り寄せた種子に基づく実生木であると知り、見た目の違いが存在する理由が納得できた。

 なお、以下の記述に当たっては、「リュウキュウカンヒザクラ」は、本土でふつうに見られる「カンヒザクラ」よりも花冠が広く開くものを指す(必ずしも平開することを条件としない。)ものとして整理する。 
 
     
 4  3種類のサクラの属性とりまとめ   
     
 
区分 一般的なカンヒザクラ 荏原神社のサクラ(2個体) リュウキュウカンヒザクラ
(東御苑の2個体)
・花冠は下向き、壺形〜鐘型の半開のまま。
・花弁は濃紅紫色
萼筒の基部のみを残し、萼筒・花弁・雄しべが丸ごと落花する。
★開花順:NO.3
・花冠は下向き、花冠は傘形に開く。
・花弁は紅色
花弁のみがばらばらになって散る。
★開花順:NO.1
・花冠は下向き、口のつぼまった壺形〜椀形に開く。
・花弁は淡紅色
萼筒の基部のみを残し、萼筒・花弁・雄しべが丸ごと落花する。
★開花順:NO.2
萼筒・萼片 ・萼筒はベル状筒型で、濃紅紫色で、基部は丸味がある
・萼筒、花柄は無毛。
・萼片は等辺が底辺よりやや高い二等片三角形で、鋸歯はない。
・萼筒はベル状筒型で、濃紅色で、基部はややスリム
・萼筒、花柄は無毛。
・萼片は基部がややくびれ、鋸歯はなく、カンヒザクラより長い。
・萼筒はベル状筒型で、濃紅色で、基部は丸味がある
・萼筒、花柄は無毛。
・萼片もカンヒザクラと同様。
樹皮 若い幹は暗紫褐色で横に浅く裂け、横並びの皮目があるが、間もなく暗褐色となり細かく荒れる。 若い幹でわずかに横に裂けるも、ほぼ暗褐色で細かくひび割れる。 暗紫褐色の横に裂けた樹皮が残るが、追って荒れると思われる。
 
     
 5  荏原神社のサクラの名前に関する情報探索   
     
   サクラの種類に関してはその詳細にわたる形態的な特徴から分類の講釈ができる経験豊かな専門家が多くいる模様であるが、栽培品種を含めた種類があまりにも多く、非力な「にわかひとり探偵団」にはとても手に負える代物ではないことは明らかで、実は最初から無力感を覚える心境にある。ただ、このサクラが広く知られているカンヒザクラとあまりにも違うから、ムラムラと不満が高じて講釈したくなる植物大好き中高年が大勢いても不思議ではない。

 そこでウェブ検索してみたが、残念ながらこのサクラに関して自説や蘊蓄を開陳している情報が全く見当たらないのは意外なことであった。これは神社自身が「寒緋桜」の看板を掲げていることに加え、ひょっとすると、神社に対する遠慮があるのかも知れない。

 しかし、中には不遜にも社務所に異議の申し立てをする者もいるかも知れないと考えて、社務所に電話で問い合わせしたところが、やはりカンヒザクラとして認識していて、50年ほど前に植えられたものとのことで、さらに、この桜の名前に関しての異説は耳にしていないとのことであった。これは神社に対する遠慮というよりも、花がピンクがかっていてまぶしいほどに美しいことで、異議の申し立てなど思いもよらないのかも知れない。 
 
     
 6  カンヒザクラに関する図鑑類の情報探索   
     
   例えば外来種たるカンヒザクラが自生地で沖縄で見られるよりもさらに幅広い変異が確認されているのかは興味を感じるところである、そもそも外来種とされることもあってか、情報は多くなく、この種をめぐって以下に掲げるようなはっきりわかっていない点があることが見えてきた。   
     
 
 ・  カンヒザクラは中国南部、台湾原産とされるが、沖縄に存在するものが自生なのか導入種なのかがはっきりしていないとされる。  
 ・  ということは、中国等に産するものと、沖縄で栽培されているものの系統的な関係が明らかになっていないということである。 
 ・  本土で一般にカンヒザクラと呼ばれているものは花弁が半開き状のものを指しているが、沖縄では半開きのものから平開するものまで広く(慣用的に)カンヒザクラと呼んでいて、このうち平開するものが多く、花も華やかであるために広く栽培されている模様である。 
 ・  花が平開するタイプはリュウキュウカンヒザクラの名でしばしば呼ばれているほか、リュウキュウヒザクラの名も見るが、分類上の見解として定着するまでには至っていない印象である。
 ・  この点を指して、「朝日百科植物の世界」では、「沖縄で見られるものは花柄がやや短く、花が平開するものが多く、中国や台湾、あるいは本土で栽培されているものとは見た目がかなり違う。「リュウキュウヒザクラ」と呼ばれたこともあるが、このあたりの分類は再検討の余地がある。」としている。 
 
     
 7  まとめ   
     
   こういった話はいくら諸説があってもらちがあかない。

 多くのサクラの種類、栽培品種の識別に関しては、先に森林総合研究所をはじめとする複数の法人等が共同研究でDNAマーカーを用いたサクラの伝統的栽培品種の識別技術を開発したとされる。これにより、従来別の名前で呼ばれていたものが実は同一のクローンであったことが判明した等のおもしろい成果がもたらされている。そこで、暇な研究者に(あるいは忙しい研究の片手間に)荏原神社のサクラについてもそのDNAをちょっと調べてもらえば、他の地域に別の名前で植栽されている可能性もあり、楽しい話題提供ができるかもしれない。できれば,中国・台湾産、沖縄で古くから栽培されてきたものについても変異を把握しつつDNAをサンプル調査して、系統的な関係の有無及び関連についても総合的に調査すれば、有用な情報が得られるかも知れない。

 さて、荏原神社のサクラの素性に関してであるが、とりあえずは個人的には

@  明らかに一般的なカンヒザクラとは異なっている。 
A   いわゆるリュウキュウカンヒザクラとも異なっている。
B  花色からすると、「カンヒザクラ群(カンヒザクラに近いサクラの総称)」に区分されうるサクラの一種と思われるが、雑種としてもその素性はわからない。 

としか言えない。 
 
     
  【参考 1:カンヒザクラ群のサクラの例】

 
何れもピンクがかっていて美しい。カンヒザクラの血が流れていることによるもののようである。
 (以下の写真の種名はそれぞれの樹名板の表示に基づく。)
 
     
 
    アタミザクラ(熱海桜)
Prunus × kanzakura 'Praecox'
寒緋桜(カンヒザクラ)と山桜(ヤマザクラ)の種間雑種と考えられている。
    オオカンザクラ(大寒桜)
Prunus × kanzakura
‘Oh-kanzakura’
安行寒桜とも。寒緋桜(カンヒザクラ)と大島桜(オオシマザクラ)の種間雑種と考えられるが、検証されていない。
    オカメザクラ(阿亀桜) 
Prunus ‘Okame’
英国のC. Ingram が寒緋桜(カンヒザクラ)と豆桜(マメザクラ)から作出した栽培品種。
     
    カワヅザクラ(河津桜)
Prunus × kanzakura 'Kawazu-zakura'
寒緋桜(カンヒザクラ)と大島桜(オオシマザクラ)の種間雑種と考えられるが、検証されていない。
      カワヅザクラ 2
このサクラは花を1か月ほども楽しめるとされる。花は大島桜の影響か大きく華やかである。 
     カンザクラ(寒桜)
Prunus × kanzakura
寒彼桜(カンヒザクラ)と山桜(ヤマザクラ)の雑種の栽培品種と考えられている。 
     
   ケイオウザクラ(啓翁桜)
Prunus ‘Keio‐zakura’ 
支那実桜(シナミザクラ)と小彼岸桜(コヒガンザクラ)の雑種と考えられている。
   ツバキカンザクラ(椿寒桜)
Prunus × introrsa 'Tsubaki-kan' 
支那実桜(シナミザクラ)と寒緋桜(カンヒザクラ)の種間雑種と考えられるが、片親は‘寒桜’ともいわれている。
     ヨウコウ(陽光) 
Prunus 'Yoko'
愛媛県の高岡正明が天城吉野(アマギヨシノ)と寒緋桜(カンヒザクラ)との交配によって作出した。登録品種であるが、複数クローンが出回っているという。
     
     
おまけ:河津桜とメジロ 1   おまけ:河津桜とメジロ 2 おまけ:河津桜とメジロ 3 
 
     
  :サクラ属はCerasus とも表記され、派閥、学閥による影響もみられるという。
参考資料:遺伝研のさくら、多摩森林科学園のサクラガイド
 
     
     
  【参考 2:住宅地の謎のサクラ】   
     
 
 
       下向きの花を仰ぎ見たところ         花が散った後の様子 
 
     
   都内のある住宅の玄関先で咲いていたもので、鮮やかな紅色の花が美しい。住人に聞いたところ、河津で手に入れたカワヅザクラとしていた。しかし、先の学習の成果から、これはカワヅザクラとは様子が異なっており、いわゆる「リュウキュウカンヒザクラ」の系統である可能性が高いと考えられる。   
     
  【参考 3:公園でカンヒザクラとして植栽されていたもの】   
     
 
 外観からすると、いわゆるリュウキュウカンヒザクラ風である。まだ若木である。かつては、カンヒザクラといえば花色が濃紅紫色のものばかりであったが、花がより開き、明るく華やかな印象のある花色のリュウキュウカンヒザクラの系統が導入され、これが好まれるようになったのかも知れない。

 一般受けするものは苗木生産者も力を入れるから、次第にこの手のもののシェアが拡大している可能性を感じる。