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続・樹の散歩道
  ポイ捨て考
    
何とも楽しそうなこの響き・・・ 


 都市部でも田舎でも道端や駐車可能なスペースに空き缶やペットボトル、その他の食品容器などのポイ捨てゴミが見られるのはごく普通の風景で、これらはいわばヒトの生活空間であることの象徴のようなものとなっている。こうしたなかで、たぶん行政主導のボランティアグループや近所の会社、店舗の従業員らしきグループが人目を十分意識しながらゴミ拾いする風景をしばしば見かける。こうした姿は時間を圧縮してみれば、気楽にゴミをポイポイ捨てる者の跡を追いかけるようにして無益なゴミを一生懸命に拾っている者がいるという構図であり、宇宙人が見たら実に奇妙な風景であるに違いない。 【2016.5】 


 
        ポイ捨ての風景 その1 
 付近には通勤用のリアボックスのあるバイクが複数台よく止めてあるから、住居からわざわざ運んできたものと思われる。花と対照的な風景である。
        ポイ捨ての風景 その2 
 駐車場の出入り口の脇に丁寧に放置されていたもので、車内ゴミは断固として住居に持ち込みたくないという強い意志を感じる。左と同様、人目があれば出来ないはずである。
   
       ポイ捨ての風景 その3
 たばこの空箱はもう用はないから、自然の振る舞いとしてベンチに放置されたものである。  
        ポイ捨ての風景 その4
 壊れたビニール傘を持ち帰るためには、本能を抑制する強靱な意志と高いモラルが必要である。  
 
 
 「ポイ捨て」の呼称  
 
 ポイ捨ての呼称はいつ頃から使われているのかはわからないが、語呂がよく口にし易い上に、非難すべき行動であるような雰囲気が全くなく、むしろ何か明るくユーモラスな響きさえ感じる。したがって、たぶんポイ捨て行動まっただ中にある当人にとって、それが世に言うポイ捨てであることを十分に承知していても、暗い雰囲気がまったくないこの言葉が罪悪感を薄めてしまう効果があると思われる。  
     
 ポイ捨ては実に自然な行動である  
 
 ポイ捨ての対象となっているものは無限にあり、小さいものでは某韓国系企業が街を汚すことに大いに貢献したガム、吸い殻、食品包装・容器、もう少し大きいものでは不要(時に窃盗・乗り捨て)自転車、田舎の道路端(盛土法面)では自動車タイヤ、家電製品等々、品目は多様で、山間部ではしばしばポンコツ車まで捨ててあるのを見ることがある。さらに、これが組織的、大規模に行われることもあり、この場合は法的な規制を背景にして「不法投棄」と呼んでいて、雰囲気が一転するが、ベースとなる感性は共通している。

 なぜヒトはポイ捨てするのかは明らかで、不要となったものはさっさと手放したい、身近に置いたままにしたくないということに尽きる。また、これを地域のルールに従って処理をするために手間やコストをかけるなど全く馬鹿馬鹿しくて出来るだけ手抜きしたいというのが普通の感性だからである。なお、不法投棄の場合は大規模にやればやるほど本来必要な処理経費をまんまと懐に入れることが出来るからである。

 仮に、チンパンジーに袋菓子を与えれば、チンパンジーは中味を器用に食べて、袋は当然ながら放置(ヒトの場合はポイ捨てと呼ぶ。)する。本質はこれと同じである。つまり、ポイ捨ては極めて自然な行動である。

 なおポイ捨てするヒトとこれを自制するヒトがいることは事実であるが、この性格の違いがどのように形成されるのかは不明である。
 
 
 ポイ捨てのどこが問題なのか  
 
 例えば、飲み終わったストローコップを道端にポイする風景は普通に見るが、誰もとがめることはない。ポイ捨ては関係法令を厳格に適用すれば違法行為となりそうであるが、実質的には野放しで、専らマナーに反するという視点で観念的には整理されている。

 しかし、野生動物たるポイ捨て族に対してマナーを説くなど全く無力である。このことを踏まえ、ポイ捨てゴミの発生を問題視するのであれば、本件は倫理とか道徳とかの問題ではなく、これを有効に抑制・防止する仕組みが整っていないのが本質的な問題であることは明らかである。

 そうは言いつつも、現実実態に目をやれば、ゴミをポイ捨てするヒトとそれをマメに拾うヒトが存在し、結果として街の歩道がゴミの山と化すことは決してないし、常にゴミ散布量が一定のレベルに止まっているのは事実である。つまり、全体としてのシステムは極めて有効に機能しており、全く問題のない状態となっている。

 これは逆に言うと、ポイ捨て族はゴミを捨てれば必ずそのゴミを拾う者が存在することを十分見透かして、安心して気楽にゴミをポイ捨てしているものと理解でき、さらに言えば、ちゃんとゴミ拾いする者が存在することがポイ捨て行動を支えているとも言えなくもない。

 宇宙人がこれを見れば実に愚かしい風景と映るのは間違いないが、同時に極めて安定した仕組みが機能していることを認識するであろう。ひょっとすると雇用安定システムとして受け止めるかも知れない。
 
 
 ポイ捨て族自身はどう感じているのか  
 
 実はこの表題は意味がない。なぜなら、ポイ捨て族は本能のままに行動しているだけであるから、こんな些細なことについて深く考えるなどあり得ないからである。
 ただ、間違いなく言えるのは、ポイ捨て族と言えども、街中がゴミで溢れた状態は不愉快であろうし、自分の居住空間をゴミ屋敷とすることも絶対にあり得ないと思われる。たぶん、潔癖なポイ捨て族は、運転席から吸い殻一つでも外に投げ捨てるほどであろう。ポイ捨て族は本当はきれい好きで、ゴミ一つない清潔な環境が大好きであるに違いない。
 
     
 ポイ捨てを防ぐ方法  
 
 社会全体の総意として、何が何でもポイ捨ての根を絶やしたいというのであれば、単に頭で考えれば次の2点が思い浮かぶが、何れも真面目にやるとなると行政・財政の負担増となるのは避けられない。  
 
@  ポイ捨てしにくい環境の形成に努めること

 誰が考えても、ポイ捨てしやすい場所と、ポイ捨てしにくい場所があることは理解でき、これは例示をするまでもない。総論的には、歩道まわりを小ぎれいな仕様として、駐輪禁止区域のパトロールのような目線の圧力を演出することは一定のポイ捨て抑制につながることが期待できるが、効果は極めて限定的である。。
 
 
A  ポイ捨てに対して過激な制裁を科すこと

 ポイ捨て防止の最終兵器は極めてオーソドックスではあるが懲罰的制裁を科すことであり、これが最も有効である。野生動物が相手であるから、これは仕方がない。具体的には、重い制裁金を科すのが誰にもわかり易く効果的で、既にシンガポールで効果を上げている模様である。これに倣ったのか、一部の自治体で、条例によってポイ捨てに対する過料を定めているケースがあるが、過料が軽すぎる。ゆるい制裁は全くなめられてしまって効果を期待できない。分野は全く異なるが、日本の大企業、大手ゼネコンが伝統芸のように恥じらいもなく価格カルテルや談合などの不正行為を性懲りもなく繰り返すのは、制裁措置が甘く、全くなめてかかっていることに原因がある。(注:実は地方でも、例えば土木工事について地域のボス企業が受注を仕切っているらしい。)こうした企業に対しては、二度と立ち上がれないくらいの過激な制裁金を科す制度に改正しない限り、不正行為の防止は期待できない。個人レベルのポイ捨ての場合は、10万円くらいの罰金が適当であろう。この際、海外から来る行儀の悪い連中に対しても等しい取り扱いをしないと、公平感が損なわれるから注意すべきである。

 なお、制裁金はもちろん犯人が特定できなければダメであるから、海から漂着する簡体字やハングル文字を使う隣国の大量のポイ捨てゴミに対しては残念ながら全く無力である。
 
 
 
   ところで、ポイ捨ての対象となっているものは例えば江戸時代にはなかったものばかりである。特に江戸時代は高度にリサイクルが定着していたというし、腐ることのない石油化学製品もなかったから、ゴミの主体はやがては大地に還元される生ゴミであったようであるから、現在とは比較にもならない。

 結局のところ、時代の変遷に伴って、広い分野で余分なところに際限なくコストがかかることになってきていることを実感する。廃棄物の処理は最もわかりやすい例である。原子炉の廃炉は最悪の例で、ヒトが自ら制御不能なものを安易に実用化した代償である。また、あらゆるインフラは着実に劣化するから、維持コストは拡大する一方である。実は、生身のヒトも栄養の向上と薬物効果により平均寿命が過度に伸びる一方で生産年齢人口が減少して高齢化率が高まっており、医療費の名の生体維持コストは社会の健全性を損なうほどに増大しており、地獄の如き一層の負担増を強いられることになっている。ため息である。
 
     
5   ポイ捨て禁止表示等の例   
     
 
   
A 歩きたばこ・吸い殻等のポイ捨て禁止表示  C ポイ捨て禁止ポスター 
   
       B 吸い殻の投げ捨て防止を訴える表示      同左で、別の日に見かけた風景    
 
     
   A, B の写真は何れも横断歩道の手前の歩道ブロックで見られた喫煙がらみの表示の例である。

 歩行喫煙吸い殻の投げ捨てに対しては、各自治体、特別区ごとに足並みはそろっておらす、@地区を指定して過料を定めている場合(品川区など)と、Aお願い・指導をしている場合(港区など)がある。とちらにしても表示付近にはこれをあざ笑うかのようにたばこの吸い殻などがポイポイ捨てられているのを確認した。しかし、ポイ捨て族は決してこれをあざ笑っているものではなく、ただいつものとおりに行動しているだけである。

 C の写真は文字表記のとおり「ポイ捨て禁止」のポスターであるが、イヌが主役となったデザインは初めて目にした。ただし、この例の場合、イヌの所作を見ると、イラストの解釈が非常に難しくて何とも悩ましくなる。

 ちょっと見ただけでは、イヌがお掃除をしている風景であるが、イヌから見ても恥ずべきポイ捨ては慎みましょうという意味にはとれない。なぜなら、イヌはところ構わず糞はするし、小便はするしで、街中での行儀の悪いことではヒトのはるか上を行く存在であるからである。
 あるいは、この場合、イヌは単なるマスコット的存在と考えたとしても、楽しそうにお掃除している風景には違和感がある。
 となると、これはイヌのウンチを放置することがないよう飼い主に訴える絵柄なのか。ちり取りの中味もウンチに見えなくもない。しかしこれはあまりにも些細な事例で、街中の道路ではなじまないし、仮に公園であればもっと直接的な表現の文字看板としているはずである。そもそも、イヌが自分で後始末する風景は製作者自身が頭の整理ができていないと思われる。

 で、結局のところ、趣旨不明の絵を描き込んだために、街中の不思議ポスターとなっている。