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続・樹の散歩道
      ヤツデの民俗、名前、裂片数


  ヤツデはあまりにも地味な存在で、たとえ白い花を付ける時期でもまじまじと見入る人はまずいない。まれに花にカメラを向けている人がいるとすれば、(たぶん)この花が雄しべ先熟の性質があることを知って、証拠写真を収集しようとしている人であろう。しかし、かつては和風住宅の汲み取り式便所の目隠しに重宝されたほか、ウジ殺しにまで貢献したという輝かしい実績がある。背が低い常緑樹で、大きな葉をたくさん付け、しかも日陰に強いから、正に便所の目隠しのために生まれてきたような植物であったとも言える。
 このヤツデの葉について、多くの人はふつうは八つに裂けていないことを知っていて、そんなことはあまり気にもされていないが、たまたま
Wikipedia を見たところ、「葉は8つに裂けることはない。」として、堂々と断言している。しかし、たまにはあるのではとの思いで、近くの植栽樹で四つ葉のクローバーならぬ八つ手のヤツデの葉が存在するのかを確認してみた。【2016.11】


 
          下木植栽としてのヤツデ
  
ごく一般的な利用形態である。(都内)
  ウコギ科ヤツデ属の常緑低木 Fatsia japonica  
      トイレとヤツデの風景 1
 伝統的な和風住宅での典型的な利用例が身近では見られなくなったため、代替写真を以下に並べてみる。(日比谷公園)
 
     
 
       トイレとヤツデの風景 2 (左手前)
 六義園のトイレ脇のヤツデ。左奥はユズリハ
      トイレとヤツデの風景 3 (右手前)
 六義園心泉亭のトイレ側のヤツデ。左手前はアオキ。
 
     
   本題に入る前に、一言補足しておかなければならない。ヤツデと便所の関係を強調し過ぎたので、別の面にも触れておきたい。ヤツデはしっとり落ち着いた和風住宅の玄関脇にも合うほか、耐陰性があることから裏庭、中庭、路地、緑地や公園の下木としても利用されてきた。また、ヤツデは地域的に邪悪を防ぐと信じられてきたともいう。ただ、便所の目隠しは、かつての便所が汲み取りの便を考えてやや開放的な条件下にあって、これを直接目に触れないようにしたい事情があったほか、少なからず臭いの発生源となっていて、日常的な接近を抑制する象徴的な存在でもあったため、古い時代を知っている多くの日本人にとっては、こうしたかつてのイメージからどうしても抜けきれない心情があるのは仕方のないことである。   
     
   ヤツデの裂片の様子

 身近な植栽樹について、複数箇所で複数個体を見た限りでは、9裂の葉がほとんどで、一部で11裂の葉が主体の個体も見られた。こうした個体内で、部分的に5裂及び7裂の葉が見られ、まれに8裂及び10裂の葉が見られた。しかし、4裂及び6列の葉は確認できなかった。また、樹体下部の日当たり不良な小さい葉で、3裂のものも見られたが、本来の健全なものではない印象であり、通常の他の成葉と同列で扱う対象ではないと思われる。(注:若木ではまだ裂片数が少ないのがふつうであるため、あくまで成葉を対象とする。)

 次に、裂片の主脈の様子をよく見ると、3裂及び5裂の葉は、7裂になり損ねたもののように見える。また、8裂の葉は9裂に、10裂の葉は11列にそれぞれなり損ねたもののように見える。
 いずれにしても、9裂の葉が基本となっていることは間違いなく、したがって、そのままココノツデの名前であれば何ら問題はなかったと思われる。つまり、9裂以外は通常の変異として理解すればよい。
 ヤツデ自身がどう思っているかはわからないが、まるで、8裂することを避けているようにも見えるのは愉快である。 
 
     
 
    3裂のヤツデ葉    5裂のヤツデ葉     7裂のヤツデ葉 1     7裂のヤツデ葉 2 
       
   8裂のヤツデ葉     9裂のヤツデ葉     10裂のヤツデ葉     11裂のヤツデ葉 
 
     
   図鑑では裂片に関してどのように説明しているのか

 複数の図鑑を見ると、総じてヤツデの葉の裂片の数如きに神経は使われていないようである。字数制限がある中で、葉形のさまざまな変異についてカリカリする必要はないが、標準的なものを把握した上で表現するのが望ましい。

 さて、最も多い表現は「葉身は掌状に7~9深裂する」としたものである。しかし、これでは現物の実態をよく知らなければ、8裂以外に7裂、あるいは9裂する葉もふつうに存在するのであろうと受け止めるに違いない。また、もう少し幅を持たせて、「5~9裂(日本の野生植物)」、「7~9~(11)深裂(樹木大図説)」としたものも見られた。

 こうした中で、やや異なる記述を採用している例がわずかであるが見られた。次に掲げるとおりである。

 ① 日本野生植物図鑑(八坂書房):「掌状に深く分裂し、裂片は7片ないし9片がふつうである。」
 ② 樹木見分けのポイント図鑑(講談社):掌状に7~11深裂する。裂片は8個とは限らない。

 ②の「裂片は8個とは限らない。」の表現は、残念ながら中途半端で、不本意かもしれないが8裂が普通に存在するというニュアンスに受け止められてしまう。
 また①の「7片ないし9片がふつう」として、8裂が普通ではない存在として扱っている点は正しいが、7裂の葉が9裂の葉と同列に普遍的に存在するとは思えない。

 簡潔かつ適確に表現するのは難しいことであるが、次のような表現を提案したい。

「ヤツデの葉身は通常に9深裂するが、11深裂する個体も見られる。個体内では一部に5・7裂するもののほか、まれに8・10裂するものが見られることがある。」

「ヤツデの葉身は通常9深裂するが、個体間あるいは個体内で裂片数に前後の変異がしばしば見られる。」
 
     
   裂片の現実を前にしてヤツデの名前についてどのように講釈してきたのか

 意味がよくわからない植物名については、多くの語源探偵団が推理を楽しんできた歴史が見られるが、ヤツデの名は一見あまりにも直接的な表現でありながら、実はファジーそのものである実態を認識すると、想像の翼が羽ばたくような対象ではないことが明らかで、したがって探偵団は見向きもしていない。

 そこで、図鑑における和名の解説では、裂片が8個ではないことに文句を言っても仕方がないため、

 ① 八つ手の名はこの葉形にもとづく
 ② 八は数が多いことを表す(つまり、日本的ファジーな表現の産物として処理。)

として、極めて穏やかな説明に努めている。
 ただし、かつての「増補版牧野日本植物図鑑」の記述は愉快である。「和名は八つ手にて只漫然と其分裂葉を眺めし名なり。」と、この和名には不満があるようで、冷ややかに突き放している。新しい版では残念なことにこの文体が失われている。

 なお、ココノツデではなくヤツデの名となっている本当の理由など想像してもわからないが、さすがに九は嫌ったのかも知れない。その一方で例えば数の厳密さを伴わない「八重」を冠した言葉は数え切れないほどある。元々八が好きである上に、音としても使いやすいことから多用されてきたのかも知れない。 
 
     
 4  国外ではどのように咀嚼されたのか

 ヤツデは日本原産(一部に朝鮮半島南部にも産するとも。)とされるから、外国人による学名の命名や海外に移出されて呼称がどうなっているのかを確認する。

 
学名について:
 学名は Fatsia japonica で、属名に関する定説は、ヤツデの「八」に由来。一説に八手の読み「ハッシュ」からともいう。ということで、属名の学名に関しては不思議なことに論理的な試練を経ることなく、和名の八が反映している。

 
中国名について
 一般名の一つに八叶金盘(八葉金盤)がある。正確にはトチノキのような掌状複葉ではないから、八葉の語はイマイチであるが、和名に引っ張られて、八の数字が使われているのかもしれない。また八角金盘(八角金盤)の名前もあり、これは香辛料として知られるトウシキミの果実を乾燥した「八角」(スターアニス)の八つの角を持つ星形の形態を連想したものと思われる。
 中国名にはその他、金盘(金盤)、八手、手树(手樹)、八角莲、手树(手樹)、金刚纂八(金剛算八)の名が見られ、八の数字が多く登場するが、小理屈よりも漢字を共有していることを背景として、違和感なく和名があっさりと踏襲あるいは反映している可能性がある。

 
英語名について:
 英語名は Japanese aralia 又は Japanese fatsia とされ、八の数字には直接に影響されてはいない。aralia はタラノキ属の意で、かつてはヤツデがこの属に区分されて Aralia japonica の学名であった痕跡である。Japanese fatsia は属名をそのまま利用した呼称であるから、目にした印象が反映したものではない。

 海外では変な先入観などなく、ふつうに親しまれているようである。 
 
     
   汲み取り式便所のウジ殺しに貢献した植物たち   
     
   植物のウンチクで、ヤツデ以外にもかつて便所のウジ殺しに使用されたとする記述がしばしばあって、日本の伝統文化として強い興味を感じていた。ポットン便所は数多く経験しているが、便槽がよく見える場合には無数の蠢くウジ虫を目にすることがある。こんな中に誤って落ちたら・・・と、子供ながらに体が震えるほどの恐怖感を持ったことがある。さらに悪くすとウジ虫がヌラリヌラリと小便器を這い上がって来る場合があり、これはもう地獄絵図である。

 こうした悪夢のような情景は古い日本にあっては普通の風景であったはずで、殺虫効果があるとして言い伝えられてきた各種の植物を投入して定期的に
ウジ虫を退治するためにフン闘するのは日常生活に不可欠な知恵であった。これを機会にウジ殺しに貢献した植物のリストを作成して、古き日本の伝統文化を振り返ってみたい。 
 
     
   うじ殺しに利用されたとされる植物の例   
 
植物種 科・属 利用方法等
ヤツデ ウコギ科・ヤツデ属 ・ 昔は葉を刻み便槽に投入し、蛆殺しに用いた。(カラー版薬草図鑑:家の光協会)
・ 葉は薬用になり、南九州や南西諸島ではウシの飼料にもされる(世界有用植物事典)
・ 葉からとれるエキスを去痰薬とする。民間では葉を浴湯に入れるとリウマチに効くといわれている。ヤツデの葉に含まれるサポニンには魚毒作用があり、かつて葉をすりつぶして川に投げ込むと魚が浮いてくるため、魚の捕獲に使用されたことがある。(原色牧野和漢薬草大図鑑)
・ 溶血作用もあるため民間では服用しないようにする。(薬になる植物図鑑)
アセビ ツツジ科・アセビ属 ・ 有毒植物で、葉を煎じて殺虫剤にする。(樹に咲く花)
・ ウシ、ウマの皮膚寄生虫の駆除、農業用殺虫剤、便槽のウジ駆除に用いられる。(原色牧野和漢薬草大図鑑)
クララ マメ科・クララ属 ウジ殺し、ゴージ殺しと呼んで、地上部を刈ってきて、ウジの発生した便槽へ入れて殺した。(植物民俗)
・ 根は健胃、止瀉、駆虫、漢方では清熱。(薬草ガイドブック)
・ 茎葉を乾燥して煎じたものは農作物の殺虫剤に有効とされる。(山渓 薬草)
コクサギ ミカン科・コクサギ属 ・ 殺虫に、家畜の皮膚に寄生する害虫駆除に煎液で洗う。昔は便槽中に枝葉を刻んで入れ、ウジを殺すのに使用した。(原色牧野和漢薬草大図鑑)
蛆殺しの名前がある。(図説草木辞苑)
タケニグサ ケシ科・タケニグサ属 ・ 茎や葉を切るとでる黄色の乳液は有毒で、害虫の駆除に用いた。(野に咲く花)
・ 全草に有毒成分のプロトピン、サングイナリンなどを含み、昔はウジ殺しとして便槽に入れたりした。(山渓 薬草)
・ 乳液は皮膚病、タムシに有効であるほか、殺虫作用もあり、畑の害虫駆除に散布したり、ウジや寄生虫駆除用いられる。(原色牧野和漢薬草大図鑑)
殺蛆剤とする地方もある。(世界有用植物事典)
バイケイソウ ユリ科・シュロソウ属 ・ バイケイソウは全草に有毒成分を含み、特に毒性の強い根は便所のウジ殺しなどに使用された。(北海道立衛生研究所)
ハエドクソウ ハエドクソウ科・ハエドクソウ属 ・ 名前は根を煮詰めた液でハエ取り紙をつくったことによる。(野に咲く花)
・ 根の搾汁をしみさせてハエ取り紙としたところから蠅毒草という。殺虫性を持つ成分はフリマロリン phrymarolin とされている。中国でも全草(老婆子針綫)殺蛆剤として用いる。(世界有用植物事典)
・中国名は毒蛆草
ハナヒリノキ ツツジ科・イワナンテン属 ・有毒植物で、昔は葉を粉にしてウジ殺しに用いたり、家畜用の駆虫剤にした。(樹に咲く花)
・有毒成分としてグラヤノトキシンⅠ、Ⅱ、Ⅲのほか、p-メトキシケイヒⅢなどを含む。便つぼのウジ虫殺しには葉を厚地の布袋に入れもみ砕いたものを750~1000グラムほどまく。家畜の皮膚寄生虫駆除には葉を適当量煎じてその液で家畜を洗う。(原色牧野和漢薬草大図鑑)
マムシグサ  サトイモ科・テンナンショウ属  ・ マムシグサのいも状の球茎にはシュウ酸カルシウムなどの毒成分を含み、国内の各地で便所の蛆殺しに使われた。(便所の民俗誌ほか) 
レンゲツツジ ツツジ科・ツツジ属 ・ 花を便所の蛆殺しに使った。(図説草木辞苑ほか)
・ 有毒植物で、葉にアンドロメドトキシン、花にロドヤポニンなどを含み、家畜が食べない。(樹に咲く花)
 
 
 上記のほか、カキドオシ(シソ科)、アカソ(イラクサ科)、ヤマドリカブト(キンポウゲ科)も一部の地方でウジ殺しに使用された(植物民俗)という。さらに、その他の植物についての情報も目にする。いずれも殺虫剤のような強烈な効果は期待できないと思われるが、昔からの経験則により、必要性があって選択されてきた歴史がある。
 
     
   ポットン便所は絶滅寸前となっていると思われるが、トイレの水洗化、温水洗浄便座の普及で日本の厠(かわや)事情は一変してしまった。古い時代のお公家さんや十二単のお姫様、時の権力者たちは、それぞれに当時の贅を尽くした空間・用具で用を足していたものと思われるが、もし彼等が温水洗浄便座を体験したとすれば、その得も言われぬ快感に目を細めて吐息を漏らし、しばらくの間は声も発することもできずにその余韻に浸ったことであろう。その後ふと我に返り、今までこうしたものを知らなかったことを悔しがり、歯ぎしりしたに違いない。トイレの進歩は多くの人を等しくウジ虫おつりから解放した上に、間違いなくささやかな至福のひとときをもたらすことになった。