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続々・樹の散歩道
  生活空間の大きな樹としてのエノキ   


 古くからの住宅地の敷地の片隅にケヤキやムクノキなどの大きな樹が生き延びている姿をしばしば見かけるが、道端でも突然にこんもりと大きな樹冠をつけた樹に出会ってしばし目を奪われることがある。中でもエノキの樹はこうした存在の定番で、かつては一里塚の樹としてごくふつうに植栽されていた模様である。現在目にするものも、これに類する名残なのかも知れない。【2022.9】 


 
         土手のエノキ 1       同左の幹の様子 
 
     
 
        土手のエノキ 2     国道脇に残されたエノキの大木   
 
     
 
   
          エノキの葉
 ふつうは上部の1/3ほどに小さな波状の鋸歯があって、左右不相称。
         エゾエノキの葉
 名前がエゾ(蝦夷)ながら九州にも分布している。 
 こちらは葉身の2/3以上に鋭い鋸歯がある。
 
     
 
    エノキの雄花と両性花
 油断をするとあっという間に葯から花粉が流れ落ちで、見るのは葯の抜け殻である。
    エノキの雄花 
 花被片は4個、雄しべ4も個。
    エノキの両性花 
 花被片4個、雄しべ4個、白い毛に覆われた雌しべの柱頭は2裂する。
     
   エノキの若い果実 
 柱頭をまだつけている。
   エノキの成熟果実
 わずかに甘みがあるが小さくて、ムクノキの果実には及ばない。 
    エノキの黄葉 
 黄葉はよく目立ち、きれいである。
     
       エノキの樹皮 1       エノキの樹皮 2       エゾエノキの樹皮 
 
   
   両性花は上部の葉のわきにつき、雄しべ4個と雌しべ1個があり、花柱は2裂し、柱頭には白い毛が密生する。樹皮が白色を帯びているので、遠くからでも区別できる。   
   
 
 ・  エノキ Celtis sinensis はニレ科エノキ属の落葉高木で、高さ20m、径1mほどになる。花は雌雄同株(雑居性)で、雄花と両性花をつける。(樹に咲く花) 
 ・  本州・四国・九州、朝鮮・中国中部の暖温帯に分布し、向陽的潤の地によく生じ、沿海地には特にふつうである。(日本の野生植物) 
 ・  エノキは日本では古くから神霊が宿る木と考えられ、また寺社の境内や人里に多く植えられてきた。(植物の世界) →  このことから、道端のエノキは信仰の名残ともいわれる。
 ・  枝梢に子(注:果実)を結ぶ大きさ豆の如し、生は青く、熟すれば褐色(注:正確には橙色)、味は甘く、小児之を食ふ、早晩二種あり、椋鳥(ムクドリ)、鵯鳥(ヒヨドリ)喜んで之を食ふ(和漢三才図会 榎) 
 ・  この葉を食べる虫には、オオムラサキ、ゴマダラチョウ、ヒオドシチョウ、テングチョウなどの幼虫がある。(植物観察事典) 
 
     
 1  なぜエノキの一里塚なのか   
     
   エノキがなぜ一里塚の定番樹種なのかは、道端の大きなエノキを目にすれば、なるほど、一里塚にはふさわしい樹高、樹形であるなあと思わせるところがある。しかし、他に代わる樹種がないのかといえば色々考えられるし、なぜエノキなのかという疑問に立ち返ってしまうことになる。これは考えて直ぐにわかることではないから、まずは情報収集からである。   
     
 2  一里塚の由来及びエノキが多用されてきた理由の諸説   
     
   昔からエノキが利用されてきたにもかかわらず、その理由が不分明で、そのためか古くから怪しげな講釈が面白おかしく語られてきたようである。これらに関しては我が日本国のお上の手による「古事類苑」で古い文書の抜粋が多く採り上げられているが、何れも創作エピソードであることは間違いないと思われる。つまり、明確な理由がないままに一里塚にエノキが植え続けられてきたという印象であり、これも奇妙な話である。   
     
 
 ・  【世界大百科事典】
 一里塚:おもな道路の両側に1里(約4km)ごとに築いた塚。一里山ともいう。起源は古代の中国に求められ、日本では古代の国境の印に求める説や、室町時代に足利義晴が諸国に命じたともいう。織田信長、豊臣秀吉のころから、36町を1里として1里ごとに5間四方の塚が築かれ始めた。全国的規模で構築されるのは、1604年(慶長9)徳川家康が秀忠に命じて、江戸日本橋を起点として主要街道に築かせてからである。塚にはエノキなどの樹木を植えることが多い。目的は里程や人馬賃銭の目安にしたものともいわれる。 
 ・  【植物の世界】
 旧街道沿いの一里塚には、エノキが植えられていることがよく知られている。これは一里塚が気付かれるようになった安土桃山時代以降に、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の誰かが、当時植えた松が枯れたのを見て、「余(ほかの)木を植えよ」といったのを家臣が聞き間違えてエノキを植えてしまったからだというが、真偽はわからない。 
 ・  【日本森林の性格と資源:上原敬二 昭和19年3月20日、大日本出版株式会社】
 (複数の資料からの情報が紹介されている。)
 一里塚の意義は道路の距離を表示し、人馬賃銭支払いの便に資し、旅人の慰安、休息等に役立つ。塚を築きその上に樹木を植え付け、並木と接続する場合は並木樹種と別種のものを用ひた。エノキサイカチケヤキ、往々にしてマツスギをさへ用いた。並木の存しない場合はマツを用いた。  
 エノキが選ばれたについては、諸説あるも、要するにこの樹は各所にあり、樹勢盛に、根張強く、耐風力あり、塚を崩さず、如何なる土地にもよく生育し、繁茂し、生長早く、庇陰となり、目標として利用するに適する如く枝条の繁茂するをもって「枝の木」と称せられ、また、枝葉はよく燃え、煙少なく、眼に入るも痛まず、焚火としての材料に適してゐるのでエノキ(燃えの木)の別称がある。
 古来謂はれるように余の木よい木といふ名称から来た説には真を置き難い。
 この濫觴については諸説あり、或は織田信長時代、或は慶長九年の豊臣秀吉時代、或は同十七年徳川家光時代という如し、古は一理の長定まらず、里より里までを一理と称していた。
 織田信長はその領内に堠塚(こうづか。注:世に言う一里塚の意で、その樹を堠樹という。)を築き、江戸時代に及んで漸くこれが普及したと見るのが正常であらう。
 信長記には「天文九年冬、将軍家(足利義晴)にて諸国へ仰有之四十町を一里とし、里堠の上に松と檟(注:ひさぎ。ここでは榎の意)とを植う」とあり、また享保十八年の俚言集覧には「天正年中信長公三十六町に一里塚を築く、をうゑしめられし由」載せてゐる。
 江戸時代に入り慶長九年二月に徳川秀忠は東海、東山、北陸の三道に令して、毎里に一里塚を築かしめたが、公領地は代官、私領地は領主に命じ役夫に命じて方五間の一里塚を設けしめ、その上に榎を植え、四年五月之を完成した。
:余の木、よい木の創作的エピソードを含め、一里塚に関する古文書情報は「古事類縁」の「地部」に詳しい。 
 
     
 3  エノキが一里塚として選ばれた本当の理由(実は安易な想像)   
     
   マツは並木の利用があって競合するし、スギは一般的過ぎて一里塚としてのカラーが出ないし、ケヤキは樹形がややスマート過ぎる。クスノキも生長が早く枝を広げ大きく育つから悪くなさそうであるが、やや暖地向きか。一方でエノキは大きく強靱に育つことに加えてケヤキよりも枝が多く樹冠がこんもりとよく広がって、落葉期でもよく目立つ。さらに、果実の鳥散布により、自然の実生苗も容易に手に入る。こんなこともあって、きっといつの間にかエノキが一里塚のおきまり樹種として〝定着〟したものと思われる。

 園芸的な知見としても、エノキは場所、土地を選ばずよく生育し、乾燥地にも適し、幼苗時代の生育は迅速であり(最新園芸大辞典)、移植した場合の活着のし易さは第一級(樹木の移植と根回:上原敬二)であることが知られている。
 
     
 4  エノキの名前   
     
   エノキの名前の由来についてはわからないというのが結論である。このため、いつものとおり自由な講釈が見られる。どれが本当らしいのかは思い悩む必要は全くないが、個々の理由の部分だけは参考となる。   
     
 
 ・ 【新牧野日本植物図鑑】
日本名エノキの意味は不明。古名はエ。漢名(中国名)は朴樹。 
 ・ 【樹木大図説掲載の諸説】
枝(え)の多い木から
器具の柄にする故ににいう
生木でも燃えるので、「もえのき」の略(煙が眼に入っても痛まないともいう)
一説には、夏の木立を一里塚の樹として作り、ここで凉を入れたので木偏に夏の字をエノキというとあり 
 
     
 5  縁切榎とは   
     
   これに関しては所在地である板橋区がホームページで紹介している。歴史があって有名な存在であるにも係わらず、画像を見ると随分樹が小さいことに気付く。調べてみればさすがに当時からの樹ではなく、現在のものは3代目になるとのことである。   
     
 
 ・  江戸時代から板橋宿の名所として名高い縁切榎。もともと大六天神の神木でした。皇女和宮が降嫁の際、縁起が悪いと、この場所を迂回したという逸話が残っていますが、庶民の間では、悪縁は切ってくれるが良縁は結んでくれるというので礼拝の対象となっていました。
場所:本町18  交通:都営三田線板橋本町駅から徒歩5分【板橋区HP】 
 ・  平成14年に商店街の経営者たちが、JR板橋駅前のケヤキを「むすびのけやき」と名づけ、商店街の振興をはかってきた。板橋区本町にある「縁切榎」で悪い縁を切り、「むすびのけやき」でおみくじを結んで良縁を願うという趣向。板橋に新しいケヤキの名所ができた。【板橋区HP】 
 
     
   縁切榎木の名は各地にあり、東京板橋所在のものはエノキとケヤキ(一名ツキ)が共に植えられ、これを続けてエンツキ(縁尽き)となる、或は別にエノキはエンノキ(縁退き)で何れも縁に遠いことを示している(樹木大図説)とした記述を見るが、現在はそのペアのケヤキの情報は得られない。負のイメージが強すぎて、継承を放棄し、抹殺したのかも知れない。
:縁切り榎は落語にも採り上げられていて、春風亭正朝の噺「縁切り榎木」が知られている。 
 
     
   エノキの材の様子   
     
   エノキは一里塚で存在感を示してきたものの、その材は他の樹種に対して優位性のある用途は見られず、外観、材質共に評価も低いため、特に掲げるべき利用実態は見られない。そのため、かわいそうにも日陰の雑木扱いである。   
     
 
          エノキの材面 1          エノキの材面 2 
 
     
 
 ・  【大日本有用樹木効用編】
 材は多く薪炭材に供す 火力強く生材にても能く燃焼す 又靱力に富むを以て此性質を利用して荷鞍其他器具となし又爼(=俎まないた)となす 此材はケヤキに似るを以て之を板に挽きて色を着けケヤキ材に擬し種々の器具を製することあり 
 ・  【原色木材大図鑑】
 材は一応、建築、器具(俎板・截板・運動具ことにラケット枠・柄類)、家具(洋家具)、機械(滑車)、薪炭などに、枝条は海苔粗朶になる。ケヤキの模擬材。 
 ・  【木の大百科】
 心材は淡黄褐色の環孔材。
山林中にまとまって生ず樹ではなく、また、材質もあまりよくないので、一般的には建築、器具、家具などの雑用材および薪炭材の範囲を出ない。 
 
     
 6  エノキの葉が大好きな虫たち   
     
   エノキの葉を見ると、しばしば小さな幼虫にひどく食われていたり、その他多様な幼虫が見られるほか、虫えいも見ることができる。どういう理由でこんなに人気があるのかは不明である。   
     
 
エノキハムシ 
エノキの葉を食草としている。
名称未確認  名称未確認 
     
アカボシゴマダラの幼虫 
エノキの葉を食草としている。
ヒメシロモンドクガの幼虫 
食草は広汎にわたる模様。
 エノキの葉の虫えい
(エノキハイボフシ)
     
 エノキハイボフシのフシダニ 1  エノキハイボフシのフシダニ 2    エノキハイボフシのフシダニ 3
     
エノキの葉の虫えい
(エノキハトガリタマフシ) 
同葉裏側
(エノキハトガリタマフシ) 
 エノキハトガリタマフシの虫室のエノキトガリタマバエの幼虫
     
     エノキワタアブラムシ 1
 ニレ科樹種の葉から吸汁する。左の個体はロウ質の綿に覆われていて、姿がよく見えない。
   エノキワタアブラムシ 2       エノキのうどんこ病
 暗褐色の球状のものは子囊胞子を内包した閉子のう殻 
 
     
 
  エノキ葉上の未確認の蛹 1
 行儀よく整列している。
   エノキ葉上の未確認の蛹 2
 淡褐色の粒状のものは、幼虫時の糞か? 蛹になる際に、整列してウンチをしたとすれば、何か奇妙である。
     羽化したコバチ類
 左のものをしばらく放置しておいたところ、コバチ類が羽化していた。寄生蜂であろうか?