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刃物あそび
 
 風格ある老舗刃物店「うぶけや」

             


 この店は、都内日本橋は人形町駅近くにある。ビルに囲まれた中の木造の店舗で、大きな右書きの歴史を感じさせる木製看板を掲げている。たまたま通りがかれば、誰もが足を止めて看板を見上げるに違いない。そして、ガラスの引き戸越しに店内に目をやると、浅草界隈の店を散歩がてらに見物するのとは違って、少々格式が高いことに気付くであろう。
 創業は江戸時代の天明3年(1783年)で、大阪で開業し、幕末頃現在地の近くに江戸店を開業、明治初年にこの場所に移って現在に至るという。現時点で二百二十年余の店の歴史ということになる。日本橋には同じく老舗刃物店の「木屋」があるが、創業は1792年であるから、「うぶけや」の方が少しだけ歴史が古い。【2007.7】  


 初めて入る時は、様子が分からなくて少々緊張してしまう。

 話を聞いていると、物腰が柔らかな、穏やかな口調で安心する。
              「うぶけや」の店先の様子  

 うぶけやの毛抜き

 持ち手の中央部分が非常に厚くしっかりできている。「うぶけや作」とする銘は内側に刻んであるのは控えめでよい。一見ごつい印象があるが、バネは非常に柔らかい。


 現在の店は関東大震災後に建てたもので、東京大空襲にも耐え残ったものだそうである。
店内はこぢんまりしている。製品は包丁、裁ち鋏、和鋏、花鋏、各種洋鋏、小刀、毛抜き、クリッパー式やニッパー式の爪切り等が見られた。元々は毛抜きが専門であったとのことである。目にした製品はすべてに「うぶけや」の銘が入っていた。クリッパー式の爪切りに至っても然りである。

 洋鋏もいろいろ種類があって、いずれもクロムメッキ仕上げの丁寧に作られた鋼鍛造品であった。5寸の紙切り、手芸用の小型鋏、爪切りにもなる小型の金切り鋏等があった。雰囲気が似ているから制作者は同じかもしれない。製作所の場所を聞いてみたが都内としか教えてもらえなかった。「うぶけや」の銘を入れている以上、店が自信と責任を持って対応するということなのであろう。著名な鍛冶職人の製品をその価値で販売するのと違って、自らの責任で作り手を選定して発注・販売しているということは、発注先をいちいち詮索されるのは気持ちのいいことでないであろうことは想像できる。

 現在の当主 矢崎秀雄氏は七代目になるそうである。店を覗いたときは上品なおばあちゃんと一人の職人風の男性が店番をしていた。後で中央区のインターネットによるビデオライブラリーを見たところ、この男性は当主の子息 矢崎豊力氏であることがわかった。店におじゃましている間にも包丁の研ぎを依頼するお客さんがあって、氏が対応しているようである。おばあちゃんは多分当主の奥さんであろう。

 店には輸入刃物は一切置いていない。先にも触れたが、店の銘を入れることを基本としているようであり、その考えに反するということであろう。つまり、誠実な客商売の姿勢の一端であり、客との関係はもとより、作り手との信頼関係をも大切にしているものと考えられる。「うちでは、輸入刃物は置いていません。」と明言していた。

 また、これも考え方の一貫性ということになるが、通信販売、インターネットによる販売等は実施する考えはないとのことであった。こうした手法では客と対面して責任ある対応ができないということである。

 製品のしおりには次のような説明がある。

天明3年(1783年)創業以来各種打刃物の製造販売を専業として深き御愛顧をいただき今日に至りました。
屋号のうぶけやとはうぶ毛も剃れる(かみそり・包丁)抜ける(毛抜き)切れる(はさみ)と申す処より名付けたものでございます。

 最近、商売とはいかに客から上手に金を掠め取るかを日々考え実践する職業である思わざるを得ないような情けない行動が多く見られる中で、古き伝統を守りつつ、誠実な客商売に徹する姿は美しくさえあった。

刃物専門店「うぶけや」
東京都中央区日本橋人形町3-9-2