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刃物あそび
 
  砥石を割る女

   女が跨ぐだけでなぜ砥石が割れるのか
      


 「女が砥石を跨ぐと砥石が割れる」との言い伝えは真意がよくわからないままに大工職等に広く知られている。別に砥石がびっくりするほどの照れ屋、恥ずかしがり屋であるとは聞いてはいないし、女の股から恐ろしい衝撃波が発生することもなさそうである。また、「女の一念岩をも透す」というのとはかなり違う。さて、そのココロは?   【2008.12】 


 同様の言い伝えとしては、「女が剃刀(かみそり)を跨ぐと切れなくなる」とか「女が棒を跨ぐと棒が折れる」とかの類もあって、興味深い。

 冒頭で取り上げた言い伝えについて、登場する砥石はやはり価格の高い京都産の仕上げ砥石でなければ意味をなさない。この京都産の合せ砥は比較的硬質で、踏んだぐらいで割れるものではない。また、普通は木の台にしっかり固定するから、使い込んで薄くなっても大丈夫である。むしろ、よく言われているのは、濡れたままにして水が凍って割れるようなことは避けなければならないという注意事項である。
 上質な合せ砥は現在でも途方もない価格で売買されている。いい仕事をするためにはいい砥石で研いだいい刃物が必要ということなのであろう。女房を質に入れて念願のいい砥石を手に入れた大工がいたかはわからないが、昔から職人達も砥石に対しては強いこだわりがあったのは間違いない。
            
 自家用の合せ砥である。高価なものではないが、がっちりしたヒノキの板を砥石台にしてエポキシ接着剤で固定し、綿布で鉢巻きしてカシュー塗料で固めて割れ防止とした。
 こらなら、うちのかあさんが跨いでも割れる心配はなさそうである。
           京都産の合せ砥の例  
 
 実は、この話題は江戸川柳でもしばしば登場している。以下はその例。

○ 両の手に砥石を持って下女叱る

○ あやしさは小姓跨いで砥石割れ

○ 長つぼね度々われるかみそりど

○ 長局大工砥石に気がおかれ

○ 善光寺たびたびこまる剃刀砥 
    (江戸青山善光寺は尼寺)

○ 剃刀砥割れたは和尚秘し隠し


 本当に砥石が割れるなどと、誰も信じてはいなかったであろうが、女を登場させるネタとしておもしろ半分に詠んで楽しんでいたようである。

 この件については現在でも諸説がある。勝手に整理すれば以下のとおりである。
 
その1:砥石大切説

 高価で大切にしている砥石を踏まれたり、蹴飛ばされたりして、万が一にでも割れるようなことでもあったら一大事である。したがって、砥石には接近禁止で、要は上空を飛行禁止空域としているという説である。

その2:職場神聖説

 職人の仕事空間は散らかっているようでも無秩序の秩序があるものであり、また、仕事をするときは、生活とは気持ちを切り替えてそれなりの緊張感を持ってあたる空間であって、気楽に侵入されるのは好まないことに由来するとする説で、この場合、砥石は仕事場の象徴と考えられる。

その3:かあさん大切説

 多くの刃物を扱う職人の仕事場に足を踏み入れて、大切なかあさんがケガでもしては大変だとの思いを背景とするとの説。

 さて、「その2」はいわゆる女を不浄なものとするありふれた偏見と共通するもので、面白くもなんともない。また、「その3」は優しい心に共感が持てるが、本心とは思えない。ということで、個人的にはやはり身勝手な「その1」が正直で一番本当っぽくていい。ちなみに、砥石が大切なあまりに、「嬶(かかあ)は貸しても砥石は貸すな 」などという穏やかでない言い伝えもある。

 なお、現役のある棟梁の語りが、次のように記述されていた例を見かけた。
「大工の言い伝えのようなもので、女が砥石を跨ぐと砥石が割れるといってね。だから研ぎ終わっても、女の人が歩くようなところには絶対砥石は置かない。そもそも年配の方ならそういう大工の言い伝えを知ってるから絶対跨がないね。若奥さんだとそんなことはお構いなしだけど。でも割れた試しはないんだ。理屈から言っても割れるわけがないんだし。だから、お行儀ということでしょう・・・・・大工の道具は神聖だというので言い始めたんでしょうね。」
【大工道具の本:社団法人全日本建築士会】