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刃物あそび
  はて このナイフの使用方法は?


 ふだん縁のない世界の道具は、それを目にしても、どのように使うものなのかさっぱりわからないという経験はしばしばあることで、実はそう言いながら、あれこれ想像するのは楽しくもある。
 あるとき、刃の反対側に何とも不思議なへらのついたナイフを目にした。刃とへらを並行的に使用する作業とは一体何であろうか。【2010.3】


     へら付きの謎のナイフ
 ブレードの基部には JAPAN の刻印を確認できる。リベットの処理は少々粗い。へら部は2本のリベットで固定されていて折込み式ではない。まさか象牙ではあるまい。
 
 上の写真が問題のナイフである。決して美しい仕上げではないが、これによってある目的を達成することが出来るようである。

 正体は何と「芽接ぎナイフ」(芽つぎナイフ)であった。

 芽接ぎの技法は現在では万国共通のようで、このためのナイフの形態も共通性がある。 芽接ぎ自体は、国内では果樹やバラを対象として適用されている模様である。ひとつの方法を簡単に説明すると、@ますは増やしたい品種の一つの芽をナイフで木部も含めてそぎ取り、A台木とするものの樹皮にT字型の切れ込みを入れて、その部分の皮をへらで持ち上げ、Bそこへ先のそぎ取った芽を差し入れてテープで止める、といった具合である。 これにより接ぎ木と同様の結果を期待できることになる。この手法による場合は「T字形芽接ぎ」又は「盾芽接ぎ」と呼んでいる。
 次は中国国内の芽接ぎナイフの例である。(写真は岡村政則氏提供)
 いずれも柄の端がへら状に薄くなっている。ブレードの基部になじみのない漢字が2文字刻印されており、正真正銘の中国製であろう。
 中国製芽接ぎナイフ  その1  中国製芽接ぎナイフ  その2
 聞くところによると、国内では芽接ぎナイフが品薄で、手に入りにくい状態にあるという。そこでネット検索すると、冒頭で紹介した製品と同様のものが一部で販売されていた。価格は1400円から2000円程度で、製品の質の割には高めである。新潟県三条市内で製品を取り扱う店で聞いてみると、やはり本当に品薄のようである。正確に言えば、それほど売れる製品ではないようである。芽接ぎの作業自体は存在するはずであるが、これはどうしたことであろうか。

 そこで、今度は欧米の製品に目を向けることとして、budding knife(バディング・ナイフ 芽接ぎナイフ)の語を検索すると、驚くべきことに、国産、中国産など足元にも及ばないような、欧州メーカーの上質な芽接ぎナイフが多数存在することが明らかとなった。製品のカタログ等から、その一部を抽出すれば以下のとおりである。

:こうしたナイフは海外では 接ぎ木ナイフgrafting knife (グラフティング・ナイフ)としても共用されている。
   国産の接ぎ木ナイフ(接ぎ木用切り出し小刀)についてはこちらを参照
       上質な芽接ぎナイフの例
 スイス ビクトリノックスの芽接ぎナイフ
 こうした量産タイプが存在するということは、それだけ欧米では一般性があるということである。真鍮製のへら部は bark opener バーク・オープナー又は bark lifter バーク・リフターと呼んでいる。

(米国 Swiss Knife Shop 扱い $21.95)
 スイス ビクトリノックスの芽接ぎ・接ぎ木ナイフ
 つぎ木等に使用できるブレードが追加されたタイプである。

(英国 Tooled-up .com 扱い £19.36)
 スイス ウェンガーの芽接ぎナイフ
 ウェンガー社は2005年にビクトリノックス社に買収されているが、ウェンガーは独立したブランドとして生産・販売を継続している。

(英国 Tooled-up .com 扱い £16.30)
 ドイツ Tinaの芽接ぎナイフ
 樹脂柄のスイスナイフよりも上質の仕様で、柄材はウォルナットの美しい仕上げで、価格も高めである。

(米国 Silkystore .com 扱い $146.95)
 ドイツ Tinaの芽接ぎナイフ
 環状芽接ぎ法(後出)で使用するタイプで、クルミ、ペカンの芽接ぎ用として販売されている。二本のブレードの間隔は29ミリで、やはりへらがついている。欧米では決して特殊なタイプではないようである。なかなかのお値段である。

(米国 Silkystore .com 扱い $159.95)
 海外のオークション出品の芽接ぎナイフ例1
 ハンドルは鹿角であろう。
 以下のナイフのへら部分はその色合いから象牙である可能性が高い。
 海外のオークション出品の芽接ぎナイフ例2

 なぜ、国産の芽接ぎナイフは貧困なのか
 国産の良質な各種刃物は欧米にも輸出されていることは周知の事実であるが、芽接ぎナイフに関しては、国内ではほとんど選択肢がないどころか、ほとんど絶滅寸前のように見える。対する欧州の製品は実に多様で、高い品質のものが量産されている模様である。この格差はどう理解すればよいのであろうか。調べてみると、芽接ぎの技術自体がヨーロッパが起源とされ、現在でもヨーロッパが本場となっている模様である。さらに、少しだけ考えて、次の結論に至った。
@  果樹栽培、バラ園芸に関しては圧倒的に欧州における歴史が長く、しかもバラ園芸愛好家の人口も非常に多く、当然ながら道具の歴史も長く、その需要量が日本の比ではないことが容易に想像できる。
A  一方、日本では多分欧州のデザインに倣った製品が細々と生産されたが、需要の底辺がそれほど広くなかったことに加えて、切れ味に優れたシンプルな切り出し小刀(接ぎ木小刀)が元々あって、これに慣れていた日本人はこれらの片刃の小刀を使いこなし、この刃物に適合した接ぎ木手法(そぎ芽接ぎ)を考案して実行したことから、折り込み式のへら付きの芽接ぎナイフの仕様に対する需要が高まらなかったことが考えられる。
注)  切り出し小刀は「そぎ芽接ぎ」(後出)には最適であるが、刃の形状から樹皮に切り込みを入れる手法には適合しないとされる。
 海外の芽接ぎナイフは国内ではまったく目にすることがない。例えばビクトリノックスの多種・多様なナイフが日本に輸入されているにもかかわらず、同社の芽接ぎナイフは全く輸入されていないことを確認した。日本のカタログには掲載されていないのである。需要がほとんど見込めないとの判断なのであろう。なお、同社のフローリストナイフは輸入されているが、あまり需要はないようである。これも日本の市場ではマッチしないのであろう。

 都内のある刃物店で聞いたところは、昔は象牙や水牛のへらのついた芽接ぎナイフを見たが、今はないということであった。ちなみに、その店では芽接ぎナイフは一つも置いていなかった。
 
 芽接ぎなどしたことはないが、せめてビクトリノックスのレベルの製品が手に入れば、一度使い心地を実地で確認してみたいものである。
<参考 1:ナイフの刃部の形態による呼称> 
  芽接ぎナイフの刃部の形状として、背部の先端をえぐったような曲線を描く、鋭く尖ったものをフランス式(冒頭の国産品はその例)と呼び、背部が直線状のものをイギリス式と呼ぶ(図説樹木繁殖法)とのことである。自転車チューブのバルブの方式にも仏式バルブ英式バルブがあるが、いずれも両国のデザインの系譜なのであろう。
 
<参考 2:芽接ぎの主な方法> (「つぎ木・とり木の実際」:地球社 より作成)
@ 盾接ぎ
 (T字形芽接ぎ)
 前出。樹皮をT字形に切り込んで、削ぎ取った芽を差し込む方法。
【適応樹種】
 (果樹)モモ、ナシ、リンゴ、、ミカン、カキ、クリ、ペカン等
 (花木)サクラ、バラ、カエデ類等
A 逆芽接ぎ  樹皮を逆さT字に切り込む方法。
B 十字形芽接ぎ  切り込みを十字形とするもの。
C そぎ芽接ぎ  台木の樹皮を舌状に削ぎ取って、そこへ削ぎ取った芽を合着させる方法。日本で開発された手法といわれ、へらを要せず、切り出し小刀(接ぎ木ナイフ)だけで可能。
D 環状芽接ぎ法  芽のついた樹皮をダブル刃のナイフの幅でリング状に剥皮し、同じナイフで台木を剥皮して、先のリング状の皮をはめ込むもの。
【適応樹種】ペカン、ヒッコリー等。